デートその@


私の恋人、という肩書を部長に差し出してからというもの、私の周囲は大変に静かだ。秘密基地で顛末を話すとジョーカーは何度も「考え直せ」と言っていたし、今でも言ってくるが、実際、とんでもなく平和だった。仕事中に余計な邪魔が入らないというのは素晴らしいことだと私はのびのびとしている。考え直すのは実害が出始めたらで良いだろう。私はそう主張した。ヴィクトルは「まあそれでいいならいいけどね」と困った顔をしていた。たぶん、全面的に賛成ではないのだろう。私も全面的に今の状況が最高だとは思わないが、日々生活を送る上でのストレスは軽減されている。
ただ、その平和な生活の為に犠牲になるものもある。月に一度はしなければならないことになった部長との二時間にもおよぶ二人きりの時間である。仮に恋人時間と名付けて、私は何回目かの恋人時間に向けて憂鬱な気持ちになっていた。
いつもは適当にランチだとか、定時後に二時間飲みに行くだとか、仕事に絡めて消費していたのだけれど、今回、部長が「必要なら土下座でもなんでもするから休日に出かけて欲しい」と本当に土下座をしそうな勢いで頼んでくるものだから不承不承了解した。私は上司が部下に土下座をする姿なんて見たくない。正直想像するだけでおぞましかった。
明日の朝十時に待ち合わせなわけだが、やはり憂鬱で溜息が出る。何故。休日に。わざわざ。はあ。何度目かわからない溜息を吐くと、携帯電話が震えて、画面には大黒部長の文字。着信だ。私はそのまま気が付かなかったことにして枕の下に仕舞っておく。
だが、どれだけ放置しても鳴りやまない。暇なのだろう。
明日の予定を中止にして欲しい、というような話なら歓迎だが、電話である時点で絶対に無駄話だ。私はもうわかっている。わかっているのだが、あまりにもしつこいので電話に出た。「もしもし」『……』「用事がないなら切りますが」大黒部長はいつも私が出ると数秒黙る。何の間なんだ。『待て』なまえ、と私を呼んでいつも通りの声で言った。

『俺をたすけてくれ』
「私には無理ですでは」
『やめろ切るんじゃない。これは重大な用事だ』

絶対に、絶対にろくでもないことだ。私は深く、深く溜息を吐いた。聞きたくない。でもきっと、聞かないと先に進めない。

「なんですか」
『明日着ていく服が決まらないんだ』

想像以上に下らなかった。通話をしながらクローゼットを漁ってるのかがさごそと衣擦れの音がしている。こんな阿呆みたいなことが冗談ではないなんて、ひどい悪夢だ。大黒部長は私が聞こえていないと思ったのか『デートというのは、どういう格好で行けば良いんだ』と高校生でも聞かないようなことを聞いてくる。

「ああ、明日の予定はキャンセルと。ありがとうございます。助かります」
『そんなことは一言も言っていない。ありがたがるな。俺は助かってない』
「知りません。スーツでいいじゃないですか」
『君、どんな格好が好みだ?』
「なんでもいいですよ」
『なに? 俺ならなんでも好き? そうか……、そうだったのか……』
「あと五分でお願いします。以降はもう電話出ませんから」

大黒部長はぐっと押し黙って、妄言を腹の中に仕舞い込む。そのまま全部消化してくれたらいいのに。

『とにかく、好みの服を教えてくれ。必要なら今から調達してくる』
「普通でいいです」
『なまえ。君は普通という言葉をどう定義する? 人によって様々な普通があるだろう? つまり、俺は君の普通について教えてくれと言っているわけだ。君がうっかり見ただけでキュンとしてしまうような服装は? シンプルなのが好きか? カジュアルか? かっちりした格好のほうがいいのか? 君の友人のようにシャツにジーンズとかのほうが好感度が高いか?』
「あと四分ですからね」
『真面目に答えてくれ』
「貴方はもうちょっと真面目に生きて下さい」
『俺は真面目だ! 今この世界の誰よりも真面目だという自負がある!』

自棄になったのか高らかに笑う部長に、ため息を吐く以外のリアクションが取れない。

「本当に、なんでもいいです」
『なんでもいいわけないだろう。どうするんだ。俺が世紀末みたいな肩に棘が付いたジャケットで行ったら』
「そんなの持ってるんですか。見せて下さい」
『嘘だろう……? 今のは冗談だよな?』
「あと一分です」
『色味はどうだ。好きな色』
「適当に無難だったらそれでいいのでもう切りますよ」
『待ってくれ! あと一言だけ』

しかたがないので、その一言を待っていると、大黒部長は真面目な声で私に言った。

『おやすみなまえ。また、明日な』

真面目な声でふざけたことばかり言うこの人だが、時々、真面目な声で真面目な顔で、本当に真面目なことを言うことがある。私はやや面食らいながらも、冷静に、当然あるべき答えを返す。

「……おやすみなさい、大黒部長」

また、明日。


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20201120
「その後のデートはともかくそして俺は彼女の「おやすみなさい」を録音することに成功したわけだ。聞かせて欲しいか? 聞かせるわけがないだろう。馬鹿か? これであとは「おはようございます」と「お疲れ様です」が撮れれば最高なんだが。なに? 毎日言っている? いいや、今ならば俺はもう少し彼女の良い声を録音できるはずだ。なんと言っても俺は彼女の恋人だからな! 彼女の! 恋人! いい響きだな。名刺に書きたいくらいだ。役職の隣にな。それからそうだな「好きです」も欲しいな。俺に対してじゃなくてもいいんだが。なんとかならないものか。オイ、どこへ行く? これからお前も考えるんだ。如何にして彼女から「好きです」の四文字を引き出すか。さあ。君の名案を期待する。十秒以内に有益な発言をしろ」

 

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