五分だけでもいい/いい加減にしろ
最近、よく知らない人にまで「部長と飯とか、行ってやらないの?」と言われる。自分より立場が上だったり、同期だったり、後輩だったり、出入りの業者だったり、とにかくいろんな人にまで言われるようになった。
彼らは大黒部長が気の毒だと思っているのか、大黒部長に脅されているのか、この状況を楽しんでいるのか、さっぱりわからない。私は呼び止められる度に警戒するようになり、正直とても、とても疲れた。
ナタクくんにまで「い、行ってみたら、結構楽しいかもしれませんよ?」と言われたし、天使の彼女にも「いっそ行ってやった方が言うこと聞くんじゃないかしら?」と言われた。ヴィクトルは「まあ、わかることもあるよ。きっとね」と否定してくれなかったし黒野さんも「もう付き合うか殺すかどちらかにしてくれ」と究極の二択を迫ってきた。
「はあ」
ため息をついていると一体どこから湧いて出たのか大黒部長がひょこりと私の横に立って「どうした? 幸せが逃げるぞ?」などとそこに逃げたらしい私の幸せを捕まえるような仕草をした。
「……」
「相変わらずドライだな! 俺はもう慣れてきたけどな!」
「ハッハッハ!」と部長は余裕そうに笑っているが、私はため息しか出ない。相変わらず私から返事があろうがなかろうが隣でひとしきり話をして、そして気が済んだのか時間が来たのか「名残惜しいがここまでだな」またそのうちに、と言いながら去っていく。
部長がいようがいまいがされる部長の話に私はうんざりして、ふらふらと灰島の敷地内を歩き、そのうち歩いているのも億劫になって壁に背を預けてうずくまった。
「もうやだ……」
面倒くさすぎる。これが明日も明後日も続くと思うと会社に来るのも嫌で仕方がない。大したことではないと思っていたが、長引けば長引くほどにしんどい。私が一体何をしたというのか。大黒部長は私の何がそんなに気に入らないのだろう。
「それならやはり、行くしかないんじゃないのかね」
「うわっ!?」
驚いて飛び退くと、隣で社長がゲームをやっていた。いつの間に。というかお付の人達はいなくてもいいのだろうか。私は「えっと」と何を言われたか考える。
行くしかない、と言ったか?
……社長まで?
「社長までそんなこと言うんですか?」
「勘違いしないでもらいたいのだが、私は別に彼に弱みを握られたりはしていないよ」
「いやそれは、はい」
「ただ、業務に支障が出るくらいなら、話し合いの場を設けて早急に何とかするべきだと、そう思うだけだよ」
「はい……」
話し合いになれば話し合いはできるだろうが、彼と会話が成り立った試しがない。私は泣きそうになりながら返事をした。
灰島社長はちらりと私を見て、興味がなさそうに吐き捨てた。
「わかったらさっさと行動したらどうかね?」
「…………はい」
転職したい。今すぐに。
■
仕事の用ではないのに部長のところに行くのははじめてかもしれなかった。彼はにこにこと喜んでいるような顔をしたが、私がその言葉を口にするとカッと目を見開いた。
「い、いま、なんと言った?!」
「明日、お昼、一緒に食べましょうって言いました」
「俺とか?!」
「ここには貴方しかいません」
「二人きりでか?!」
「お話したいことがあるんです」
部長は「フーー……」と大きく息を吐き出してから改めてにこりと笑って見せた。
「今でも聞くが?」
「今は仕事中なので」
「真面目だな君は……、そして俺にお預けとは……、勿体ぶらなくたって君からの言葉なら俺は全面的に受け入れるが……」
ぶつぶつと文句を言ったあとに、一度咳払いをしてまた体制を整えた。なんだかいつもより背筋が伸びている気がする。
「まあいい。どこに行きたい? 好きなところを奢るぞ」
「公園で」
「ん?」
「公園のベンチで」
部長は首を傾げながら頷いた。絶対よくわかってない顔だが、わざわざ説明することもないだろう。
「なるほどな……?」
「いいですか」
返事さえ貰えればこの部屋からはさっさと去る。返事さえもらえれば。今のところ偽物という確信はないようだし、このままなら。
「もちろんだ。明日が楽しみだな」
よし、明日こそ、この嫌がらせをやめて貰えるようにしっかり話をするとしよう。
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20201106