五分だけでもいい/被害者、優一郎黒野


ついに来たか。と、私は半ば諦めながら、私の右横の壁に置かれた足を見た。反対側に走ってもいいのだが、私の足元を黒煙が泳いでいるので走り出した瞬間捕まるだろう。
私と黒野さんは目を合わせてお互いに溜息をつきあった。

「黒野さん、退いて貰えませんか」

黒野さんが自主的に絡んできている訳では無いとわかっているので腹も立たない。と言うか、黒野さんはもっと怒っても良いのではないだろうか。
そんなことを考えていると、ぼそり、と彼は思い煙を吐くように言った。

「俺は、お前みたいな強いやつは好きじゃない」

「そうですか」よく知っている。噂はかねがね聞くし、実際に見たこともある。この人はこういう人かだと割り切っておかないといちいち心を痛めることになるだろう。
はあ。また、黒野さんがため息をついた。

「だが、上司命令だからな。仕方がないんだ」
「まあ、そうでしょうね」

これは仕方がないことだ。本当にそうか? と彼はすっかり沈んでしまっている。相当私と絡むのが嫌なのだろう。正直私だって嫌だ。彼の仕事に協力して、すぐに終わらせてしまおうと「それでその、なんですか?」と聞いてみた。
黒野さんはぐっと顔を近づけてきて言う。

「なんでもいいから有益な情報を得てこいと言われた。なんでもいいから有益な情報を吐け」
「有益って、例えば?」
「なんでもいい。部長は恐らく、お前のことが一つでも多く知られたら満足のはずだ」
「はあ……」

黒野さんはポケットから小さく折りたたんだ紙を取りだした。なにか、びっしりとメモが書いてある。「これは」聞きたくないが、聞くしかない。

「部長がお前について知っていることリストだ。これ以外で頼む」

上から順番に名前性別生年月日血液型身長体重スリーサイズ愛用している化粧品のメーカーエトセトラ。嫌悪感を隠しもせずに眉間に皺を寄せてじっと眺める。いや、なんだこれ。どこ情報だ。怖すぎるわ。と言うか細すぎる。

「いや、これ以外……? ないんじゃないですか?」
「お前、俺が可哀想だと思わないか?」
「勝手に仲間意識みたいなものはありますが」
「それだ。俺を助けてくれ」
「とは言いますが、」
「なんでもいい。バレなければ嘘でもいい」

黒野さんは必死だった。査定か左遷かボーナスが給料が、はたまた全部か。何を握られているやら彼は盛大なため息をつきながら私に詰寄る。
なにか。なかったか。
私も、必死に考えていたが、黒野さんのお腹がなる音を聞いてしまって、私はとうとう気の毒でたまらない気持ちになった。本当に迷惑な人だな。大黒部長という人は。「はあああ」とため息がどんどん深く長くなっていく黒野さんに、鞄からおにぎりを二つ出して、そのまま差し出した。

「……これ、よかったらどうぞ」
「くれるのか」
「少ないですけどね」
「いいや。充分だ。これで俺は……、これでいい」
「そうですか」

黒野さんはようやく黒煙を引いてくれた。おにぎり二つのうち一つは、即座に彼に食べてもらえていた。普通の人じゃないのに割合に普通の人なので、面白い。黒野さんをみかける度に、毎回、そう思う。


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20201106:「どうだった。成果はあったんだろうな? なに……? 彼女の手製の炊き込みご飯、のおにぎりを貰った? ……は? 何故初対面同然のお前がそんなものを貰えるんだ? まさか彼女は、お前みたいな男がタイプなのか? そんなことがあっていいと思っているのか? クソ……、さっさとそれを寄越せ。……は?? 美味いですよってどういう意味だ? お前、食ったのか……? 俺よりも先に……? そうです? お前はバカか? まとめて俺に持って来ないでどうする? 俺がそんなに寛容に見えるか? 大概にしろ。減給だ」

 

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