ホールケーキ


『ケーキをワンホール食べないと出られない部屋』と書いてある。それ以外に情報はない。正方形の白い部屋の中、中心にテーブルが一つと椅子が二つ。テーブルの上にはどうやら淹れたてらしいコーヒーと、いちごのケーキが置いてある。サイズはそこまで大きくはない。そして、二人分の食器だ。切り分ける為の道具も揃っている。

「何故……」

私は一人で椅子を引き、ケーキを見つめてとりあえずコーヒーを一口啜った。普通に美味しいコーヒーだ。

「何故、セックスをしなければ出られない部屋ではないんだ……?」

そして大黒部長がいる。先ほどから壁を叩いて絶望しているが、話している内容がただただクズなので私は聞かない様にしながらフォークを手に取って、そのままケーキを削り口に放り込んだ。めちゃくちゃ美味しい、というわけではないが、まあ、普通のショートケーキの味がする。
大黒部長はひとしきり部屋に文句を言った後にようやく椅子に座った。

「って、君。もう食べ始めているじゃないか」
「……」
「非常時だ。話しをしないか? な? 情報交換は大切だろう?」
「コーヒーもケーキも普通です。食べられます」
「そうかそうだな……、それはなかなか重要な情報だな。つまり毒が入っているとかそういうことはなさそうだと。それを、わざわざ、身体を張って先に確かめてくれたと……。君、ひょっとして、俺が思っているより俺のことを好きなんじゃないか?」

ケーキワンホールくらい訳はない。が、この不快感をどうしてくれようか。大黒部長という存在が胃にもたれる。私は甘いものを口にしているのに眉間に皺が寄ったのを感じる。部長は私がつついている反対側を少しだけ切って自分の皿に乗せた。
食べるのだろうかと思ったが、一向に食べる気配はなく、じっと私の方を見つめてみたり、今日のこの後の予定や、今日の天気の話なんかをしたりしている。私は当然返事をせずに黙々とケーキを食べ進める。

「よく食べるな。食べるのは好きか?」
「……」
「そうか。なら、そうだな、甘いものはどうだ? 俺以外からは受け取っているし嫌いではないよな?」
「……」
「なあ、もう少しゆっくり食べた方がいいんじゃないか? 急いで食べるのは体に良くないぞ? しかも過度な糖分は女性の天敵だろう? 太るぞ?」
「殺すぞ」

あ、しまった。まあいいか。部長はひゅ、と息を吸い込んでしばらく口を閉ざして黙っていた。私も何事もなかったかのようにケーキを食べ続ける。急いで食べたほうが食べやすいので急いでいる。時間なんかかけたら満腹感と戦わなければならなくなる。既に大黒部長という未知の生物とも戦っているのでこれ以上敵を増やしたくない。「あー……」

「今、何か言ったか?」
「いいえ? 何も」
「だよな。よかった。しかし、焦ってもしょうがないだろう?」
「一刻も早く出たいんですよ」
「俺は折角だし二人でゆっくりしたいんだが?」
「一刻も早く出たいんです」
「普段話せないことを話したりだとか」
「……」
「親交を深めないか?」

一刻も早く出たいと言っているのに。この人には私の言葉が届いていないのだろうか。既に二分の一を食べ終えた私は一度コーヒーでリセットして、残りの半分に手をかける。部長はずっと「いくらなんでも早すぎないか?」とか「新たな特技を知ってしまったな」だとか一人で大変にやかましい。

「わかった。何の話ならしてくれるんだ?」

うっかり舌打ちが出そうになるのを堪えて、ちらりと大黒部長を見た。彼は私と目が合うとぴくりと体を震わせて、一度、さっきから少しも手を付けていないケーキに視線を落とした。

「て、れるな。二人きりで、こんなに穏やかな時間を過ごしていると思うと」

どこが穏やかか。私は呆れ返ってケーキを消費する作業に戻った。二人きりではあるが、穏やかではない。こんなわけのわからない部屋に閉じ込められて、ケーキを食べることを強制されて。しかもめんどくさい上司も一緒だ。彼はなにが面白いのか私をちらちら確認して「いや、これはこれで」だとかなにやらごちゃごちゃひとりで話している。

「君とちゃんと目が合ったのは実は久しぶりなんだが」

視線をあちこちに泳がせている間に私は流し込むようにケーキを食べる。うん。ワンホールくらいならなんとかなる。お昼前で良かった。お弁当の後だったらどうかわからない。大皿に乗ったケーキが無くなったので、もう一度コーヒーを飲み、ウェットティッシュの袋を破り口元を拭いた。
部長はまだ一人で何やら喋っている。

「せめて一日に一回くらいは何か世間話でもしないか? 大した話じゃなくてもいいんだ」
「部長」
「ん? どうした?」

私は部長が最初に切って、以降全く手を付けていないケーキを指差して言った。

「食べないならそれ下さい」
「嘘だろ君、もう食べたのか……?」

「はい」と言いながら、皿に手を伸ばすが、部長がさっと移動させたので掴めなかった。私は仕方なしにじとりと部長を見上げる。

「なんですか?」
「なんですかじゃあないだろう。早すぎる。もっと、こう、あるだろう!? 折角二人きりなんだぞ!?」
「食べないならそれ下さい。一刻も早くここから出たいんです」
「仕事熱心なのはいいことだが!」

さっと手を出すがまた避けられた。部長の言葉に付き合わなければいけないのだろうか。いや、ちょっと、ううん、大分面倒だ。

「下さいって言ってるじゃないですか」
「嫌だと言っているだろう? もう少し俺と雑談してくれるだけでいいんだ」
「私も嫌だって言ってるんですけど」
「おかしな事態になっていたと言って仕事をサボれるぞ?」
「はやく下さい。どうしても自分で食べたくないなら私が口に放り込んでやりましょうか?」

部長が、びし、と音を立てて固まった。本当に分からない人だ。そして私の顔とケーキとを交互に見て、大人しく皿をこちらに差し出してきた。私はそれをフォークで二つに割って、一つをうまくフォークに乗せて持ち上げる。「……っ」ごく、と唾を飲み込む音がした。
部長がゆっくり顔を少しこちらに寄せて口を開く。
なにやってんだこの人。

「あっ」

ぱくりぱくりと残りのケーキを自分の口に放り込んで、ついでに残りのコーヒーを飲み干してから手を合わせた。「ごちそうさまでした」立ち上がると、唯一ある扉へ向かう。さっきまで固く閉ざされていたが、今はどうだろうか。いや、条件は達成したのだから開いていなければキレてやる。
ドアノブに伸ばした手を部長に掴まれた。今度はなんだ。と振り返ってぎょっとする。大黒部長ともあろうものがまるで駄々を捏ねるみたいにぎゃんぎゃん喚く。

「君! どうしてそんなにひどいことを平気でやるんだ! 俺のときめきを返してくれ!」
「そんなに食べたかったなら自分でさっさと食べたら良かったじゃないですか」
「違う! 俺にとってはケーキだろうがステーキだろうが一緒だ。君に! あーんしてもらうというのが大切だったんだ! わかるか!? それを君は期待させておいて落とすとは! 一体どういうことだ!? 小悪魔め! 男心を弄ぶのが楽しいのか? 君になら一生だって弄ばれてやるからちょっとプライベートな連絡先を教えてくれないか!?」
「きもちわるい」

しまった。つい本音が。私は部長の手を振り払い、今度こそドアノブを掴んだ。ひねるとがちゃりと音がして、押すとちゃんと開いてくれた。よかった。もう二度とこんなめには遭いたくない。
すっかり静かになった大黒部長が恐る恐る訊いてきた。

「……今の、胃がもたれたって意味だよな?」
「それ以外になにがあるんですか?」

いくら面倒で鬱陶しくて嫌がらせばかりしてくる上司であったとしても、暴言を吐くのはよくないことだ。私はしっかり誤魔化しておいた。


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20201106

 

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