五分だけでもいい/被害者、ナタク孫


それは完全に大人が子供を虐めている現場だった。
私はありったけの軽蔑の気持ちを視線に込めてそのろくでもない大人を睨んだ後、ナタクくんの手を取ってそのまま歩き出した。「待て、俺はまだ彼と話を、」子供を壁に追い込んでにこにこしているような大人とは関わらない方がいい。ナタクくんはほっとしたように肩を上下させた。

「なまえさん」
「うん、もう大丈夫」
「待てと言っているだろう」
「あ、ナタクくん。そう言えばハロウィンのお菓子あるよ」
「えっ! 本当ですか!!」
「うん。クッキー大量に焼いてきた」
「やった!」

よしよし、私はナタクくんのアタマをわしわしと撫でてそのまま歩いていく。後ろでなにやら「おい、なまえ」だとか「上司を無視するなと言っているだろう」だとか「その菓子は俺にもあるんだよな?」だとか頓珍漢なことを言い続けている上司がいるが相手をしても時間の無駄なので、ナタクくんの歩幅に合わせて進んでいく。
ナタクくんは優しいから大黒部長のことを気にしているが、無視『するべき』ものもこの世界には存在する。

「なまえ!」

が、とうとう正面にまわられて肩を掴まれたので、ナタクくんだけでも解放しようとポケットからクッキーの包みを彼に渡して「またね」と言った。ナタクくんは私を心配してくれたが、この人と二人の時はとんでもなく面倒なだけで害はないから平気だと教えてあげた。「害はない……?」いや、面倒なことが既に害だが。ナタクくんの感覚はとても正しい。彼は離れ難いようだったが、最終的に「なにかあったらこれを」と防犯ブザーを貸してくれた。灰島製だ。

「……」
「…………」

ブザーの紐に手をかけると、大黒部長が両手を掴んで止めに来た。あと少しで音が鳴ったのに。

「それは、アドラバーストを持つ彼に危険が迫った時用に持たされているものだろう。そんなものを鳴らしたら大事になるぞ」
「てことは、黒野さんとか飛んでくるのかな。困りますね」

「そうだ。困るだろう?」と部長はまだ私の肩から手を離さない。それどころか、ギリギリと力が強くなっていく。普通に痛いしやめてほしい。

「痛いんですが」
「なまえ。さっき、彼に菓子をあげていたな?」
「ハロウィンですから」
「そうだったな。よし、なまえ、よく聞け」

あまり聞いていたくないのだが、腕が上がらないから耳を塞げない。部長は滑らかにその脅し文句を口にした。

「Trick or Treat」
「あー、パワハラですか」
「どこがだ!? ただの! なんてことない! 上司と部下のじゃれ合いだろう!」
「お菓子をあげたくない場合は?」
「……くれないのか!?」
「度が過ぎた悪戯されたら訴訟するので、カメラセットしていいですか?」
「俺からの犯罪ギリギリの悪戯を甘んじて受け入れるほど俺に菓子をやりたくないと!?」

悪いことをした訳でもないのに上司に詰め寄られるのは気分が悪いな、と思いながら「はい」と頷いた。「あと肩離してください。なんかじとっとしてるんで」大黒部長は慌てて私の肩から手を離して高そうなハンカチで手を拭いていた。しかし、彼の好みのものではなさそうで、もしかしたらプレゼントなのかもしれない。嫌味なことである。

「しかたないな……。なまえ、これを見ろ」
「……高そうなチョコレートですね」
「実際高い。そして美味いぞ」

そして私の顔の前でひらひらとチョコレートの箱を振りながらじっと何かを待っている。何かを期待しているようだが私はこれから子供たちにお菓子を配るという使命がある。
ただ高いチョコを自慢したいだけなら他所でやってくれないだろうか。
横に避けていこうとすると、部長はピッタリ私の進行方向を遮るようにスライドした。二、三度抜けないか試してみたが無理だったので、面倒になって「なんですか」と溜息をつきながら聞いた。

「俺に言うことがあるはずだ」
「私が処理しなきゃいけない書類に意図的に印鑑を押し忘れるの殺意が湧くのでやめてください」
「違う」
「今、本当に面倒なので退いてください」
「そうじゃない」
「私に謎の嫌がらせするのもいい加減やめません?」
「なまえ、いいか、よく思い出せ。今日はハロウィンだぞ?」

私はくるりと後ろを振り返ってそのまま元来た道を戻り始めた。この道はもうダメだ。別のルートから行こう。「待て待て待て」大黒部長に腕を掴まれて、もうそろそろ本当に嫌になってきた。全力疾走してやろうかしら。

「トリック、オア、トリートだ。ほら、繰り返せ」
「間に合ってます。ありがとうございます。さようなら」
「わかった! ならもうなんでもいいからこれだけは受け取ってくれ!」

「ほら!」と乱暴にこちらに押し付けられたチョコレートの箱を見つめる。なんでもいいから受け取ってくれ? 私はくっと首を傾げた。何故?

「……くれるんですか?」
「ああ」
「部長が私に?」
「そうだ」
「それ五年前に買ったとかじゃなくてですか?」
「今日この日の、ついでにいえば君の為に、君に渡したいが為に! 昨日用意したものだ」

部長が私のためにハロウィンにお菓子を用意した?あまりにも胡散臭すぎて私は一度首を元の位置に戻してそのまま反対側にも倒しておいた。そんなものを貰ったところでナタクくんを虐めていた事実と、部下から菓子をたかろうとした事実はなくならない。
私はゆっくり左右に首を振り、より誤解がないようにチョコと私の間に手のひらを差し込んだ。

「結構です」
「断るのか!?」
「タダより高いものはありません」
「断るのか!!」
「では」

私はようやく行きたかった方向へ足を進める。ただこの道を通りたかっただけなのに酷い目にあった。しばらく歩くと角からドミニオンズが歩いてきて私とぶつかりそうになった。ああ。「ハロー!」明るい声で挨拶をして貰えたので私も「はろー」と返す。

「なまえ! トリックオアトリート!」
「大人はこっちね」

反対側のポケットから適当なアルミホイルに包まれている不揃いなクッキーを差し出した。適当なものを取ってもらうシステムだ。「ありがと!」と彼女は言って、私の後ろからはとんでもないスピードで部長が走り込んできて「用意してるんじゃないか! なんで俺の前では出さなかった!? 君はもしかして俺が嫌いなのか!!」と喚き散らした。嫌いなのか? 嫌いなのかって、そんなもの。

「なんで毎日嫌がらせに余念のない上司を好きになるんですか?」

「あーあ」と天使のバックルの彼女は言ったが、かわいそうに、とは一言も言わなかった。


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20201030:被害者、ナタクくん編
「君、確か彼女と特別仲がいいよな? そう怖がるな。チョコレートをやるから。で、だ、何事にもきっかけというのはあるだろう? 君はつい先日彼女と個人的に遊んでいたな? あんなものは彼女の仕事の範疇ではない。何故彼女はあんなに君に構うんだ? 君は彼女になにをした? あるいは何を言ったんだ? 教えてくれるよな? 子供だから? 君は彼女がそんなことを気にするように見えるのか? アドラバースト? いいやそれもあまり関係ないだろうな。なにかあるはずなんだが。なあ、いつも彼女とどんな話を、ーーあ」

 

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