とりっく、おあ、とりーと/52


ここに来て、はじめて知ったことがたくさんある。
早朝の薄く張り詰めた空気だとか、覚醒しきる前の空だとか。太陽の光が肌にあたる感覚だとか、雲がゆっくり流れることとか、ただ歩くだけで空気の匂いも変わっていくことだとか、俺は知らなかったのだ。
洗濯したシーツが風に靡いているところを眺めている。後ろのほうからニュースの音が微かに聴こえていた。近日、ハロウィンというイベントがあるらしい。なまえも「今年は気合入れてお菓子用意しようかなあ」と張り切っていた。お菓子があるのは嬉しいけれどそれよりも。
ぼんやりしていると「寒くない?」となまえに聞かれた。俺はぱっと顔をあげてすぐにこたえる。「寒くない」なまえは寒いのが苦手なようだけれど、地下の環境の方が過酷だったし、今は昼間だから、朝晩のように気温も低くない。「そっか。じゃあ、いらなかったかもしれないけど」

「どうぞ」

「なんだこれ」マグカップを受け取って中を見ると、透明感のある白い液体からほわほわと湯気が立っていた。牛乳ではなさそうだ。これは確か、夏場に飲ませて貰ったことがある。

「ホットカルピス。濃いめのカルピスをあたためただけの飲み物です」
「へえ」

あれか。と思いながら一口飲み込む。温かくて甘い。「うまい」となんの捻りもない言葉をなまえはしっかり聞いていてくれて「それならよかった」と隣に並んで空を見上げた。不安になるくらいに平和な日々だ。
もう一口なまえの作ってくれたカルピスを飲み込む。冷たいやつも美味しかったけれど、これもいい。俺がいろいろ覚えることができるのは、なまえが物知りだからなのかもしれない。いや、最近わかったことだけれど、なまえは幸せになるのが上手いのだ。なんでもかんでも、例えばシーツ一枚だって、とても『いいもの』に変えてしまえるのだ。
カルピスを飲み干して、シーツに近づく。鼻先をそっと近付けると、不意に、強い風が吹いて、ばさ、とシーツが被さってきた。留めてあったのに。
「52」となまえが俺を呼んで、俺の後ろに立つ気配がする。くるりと振り返るが、なまえからは何の反応もない。

「?」
「52、シーツお化けだね」

なまえは笑っているようだ。なにが面白いのかわからないのが少し悔しい。ただ、シーツは地面についていないから、洗濯はやり直さなくてもいい。一安心だ。
そのまま呼吸をすると、シーツが吸い込んだ太陽のあたたかさも一緒に身体に入ってきた。これが、おひさまの匂いなのだと、なまえは言った。

「そういうお化けがいるのか?」
「どうだろう。わからないけど、ハロウィンの仮装みたいだよ」
「ハロウィンの?」

そうか。それなら。
もぞりと体を動かすと、顔の半分がシーツから出た。全部すべり落ちてしまわないように押さえながら、言う。

「とりっく、おあ、とりーと」

なまえはきょとんと眼を丸くして俺を見下ろしていた。間違っていただろうか、と思うが「そうだね、もうちょっと先だけど、うん」と反応をくれたので正される程の間違いは犯していないのだろう。
ただ、なまえの様子がおかしい。「うーーん」と言いながら、彼女はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。

「いやあ、もう、なんでも持ってってくれって感じなわけだけど……」
「いいのか?」

俺はゆっくりなまえに近付いていく。

「いいよ……なにが欲しい? ケーキ?」

俯いていた顔をあげた瞬間に、かぷ、となまえの唇に触れた。少しずれてしまったけれど、しゃがんでいてくれたから丁度よかった。沸騰する胸の内はバレてしまっているだろう。顔は赤いに違いない。けれど、今の俺がどんな顔をしているか、正確にはわからない。笑っていると、思うのだけれど。

「……いたずら」

なまえはしばらくまた頭を抱えていたが、すっと立ち上がると「じゃあ、お菓子はなくていい?」と言った。それとこれとは話が別だ。「なくてよくない」あれ。いや、お菓子がなければいたずらなのだから「やっぱりなくていい」そうだ、これでまたなにかしらのいたずらができる、けど、お菓子というのはなまえの手作りだろうか。それは食べたい。だから、つまり。「い、ら、いや、い……」そもそもどちらか一つじゃなければいけないのだろうか。とんでもない日もあったものだ。

「お菓子ももらえていたずらもできる日ってないのか……?」


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20201024はろうぃんふらいんぐ…

 

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