HAPPY-ENDING/紺炉


「今すぐに死んじまいてえな」

と、紺炉さんは言った。確かに、そう言った。私は驚いてそんなことを言ってはいけないと紺炉さんの手を掴んだ。貴方が死んだら悲しむ人がたくさんいるし、何よりも、紅丸が泣くだろう。第七特殊消防隊の頼れる中隊長なのだから。滅多なことは言わないように頼みこんだ。「紅か」紺炉さんは私を抱きしめて、苦しいくらいに力を込める。「お前さんは、悲しんでくれねェのかい」「もちろん悲しいですよ、当たり前じゃないですか」浅草の人たちはみんな、紺炉さんのことが大好きですよ。だから、死にたいなんて、間違っても口にしないで欲しいと言った。紺炉さんは一体なにを思ってそんなことを言ったのか。その時の私は皆目見当がつかなかった。「なまえ」紺炉さんは私に深く口づけをして笑う。「そんなもん、俺は別にいらねェんだ」ならば本当に欲しい物はなんだったのか、それがわかる頃には、もうなにもかも手遅れだった。

「三軒隣に、差し入れ持ってったってな」

台所で片付けをしていたら、すぐ後ろからそう声をかけられた。「菓子、だかなんだか」私はまたかと思いながら「紺炉さんの分もありますよ」と机の上を指さした。小さな籠の中にマドレーヌがいくつか入っている。しかし、紺炉さんはそんなことでは満足できないようで、私の髪を一房指に絡めて「なあ」と甘えるような声で言う。「俺は二番目なのか?」溜息を飲み込んで「いらないなら」と笑うと「そうは言ってねェよ」と紺炉さんも笑っている。口元だけだが。

「少し前まで、なんでも俺に一番に味見させてくれただろ?」
「出かけてていなかったので」
「行先だって教えてたはずだぜ」
「……菓子を差し入れをしただけのことですよ。そんなに怒らないで下さい」
「怒ってるように見えるのか?」
「怒ってますよ。貴方は、最近、いつも」

「そんなつもりはなかったんだが」と私から洗い物を取り上げて、身体の向きを無理矢理変える。正面で向き合うようにして、それからぎゅう、と抱きしめられた。身体の熱は熱すぎるし、かけられる言葉は鈍器のようだ。頭のなかにがんがん響いて、歩くことさえままならなくなる。立ち止まって停滞してしまいそうなくらい、重くて暗い。
恋人関係になってすぐは気にならなかったのだが、この人は、私が思っていたよりも私への感情が歪んでしまっている。どうしてそうなってしまったのかはわからないけれど、正常でないことは確かだ。関係を続ければ続ける程、この人のそういうところが浮彫になるし、私は一緒にいつづける自信がなくなっていく。この人と一緒になれれば幸せだろうと思ったこともあったが、今はただただ窮屈だ。

「離して貰えますか。片付け終わらせないと」
「今晩、俺の部屋に来てくれるか」
「今日は、ちょっと」
「……最近いつもそれだな。体調でも悪いのかい?」

私はただ「ごめんなさい」と謝って、ぐ、と紺炉さんの体を押す。優しく、私の全部を取り込むように抱かれるのは気持ちいいけれど、近頃快感よりも恐怖が先にたつのだ。今日こそ、私もおかしくなってしまう、と、恐ろしくて涙を流している。だから。

「ごめんなさい」
「そんな顔すんな。責めてるわけじゃねェんだぜ。俺はただ、」
「本当に、ごめんなさい」

私にそれは持ちきれない。そんなにたくさん与えられたって胃もたれしてしまうし、拘束されたら苦しくて堪らない。

「なあ、なまえ」
「はい」
「俺は、そんなに欲張りか?」
「……」
「お前さえいてくれりゃ、それでいいんだけどな」

私じゃ無理だ。私では、その気持ちを受け止めきれない。体や心が軋む音がする。具体的には、夜、嫌な夢をよく見るようになった。日中、見られているような気がして寒気がする。そんな生活を続けることは、私にはできない。
もう無理だ、逃げよう、そう決めたら次に考えるべきなのはどういなくなるかという事だ。真正面から言うべきと主張する私と、話し合いなど無意味だと主張する私がいる。どうしようか。悩みながらも必要な荷物を鞄に詰めていった。

「悪いな」

これは紅丸の言葉だった。紺炉さんのことを謝っているのか、紺炉さんを止められない自分のこと申し訳ないと思っているのかわからないけれど、私は「ううん」と首を振った。止めないでくれるならそれでいい。いつか再会することがあれば、紅丸とはまた友達になれるだろう。
結局、私は何も言わずに出ていくことに決めて、ボストンバッグを一つだけ持って夜の浅草を歩いていた。
もう二度と戻らない覚悟で、外に、これはそう、逃げるのだ。

「俺を捨てるのか。なまえ」

いつものように、真後ろから声が聞こえた。私は慌てて振り返る。「紺炉さん」紺炉さんは至近距離で私を見下ろしながら泣きそうな笑顔で言った。

「納得のいく終わりってのは、なかなかねェもんだよな」

私は一歩後ろに下がる。
正確には、下がろうとした。けれど、紺炉さんが私の腕を掴んだので動けなくなった。「だから」

「だから俺は、あの時死にたかったんだ。お前が俺を一番好いてくれていた、あの時によ」
「こうなるってわかってたんですか」
「お前はどんどん先に行っちまう。こっちなんて振り返らねェ。いつか俺を置いてっちまう。わかってたさ。俺にとっちゃあ、お前と仲の良い恋人だった時ってのは、奇跡みたいな時間だったんだ。ずっと欲しかったものが、そこにあった」

私達は永遠になれないと、紺炉さんは最初からわかっていたようだ。……私は、永遠であればいいと思っていたけれど。
だからこそ、私たちはこうなってしまったのだと漠然と思った。最初からすれ違っていた。すれ違ったまま進んだら、手が届かないくらい離れてしまうのは当然のことだ。

「なあ、後生だ。なまえ」

ではどうしたら良かったのか。私は、彼は、なにをするべきだったのか。
紺炉さんは私を抱きしめて、腕の中に閉じ込める。微かに震えている。抱きしめられているのにとても寒い。直前、泣きそうに細められた目を見るのは、私にとっても辛いことだった。しかし、それをどうにかするために私自身を消費しようとは、もう思えない。

「好きである必要はねェから、隣にいてくれ。俺が死ぬまででいいんだ」
「……紺炉さん」
「どうせそう長くはねェよ」
「紺炉さん」
「行くな。浅草から出ていかれたら、俺は」

「紺炉さん」と私は決意を込めて名前を呼ぶ。

「さよならです」

終わりはある。必ずだ。納得がいかないこともあるだろう。でも、私たちは前に進む。その選択が目の前の人を悲しませるとわかっていても、私は私の為にこうすると決めた。身勝手だと怒ってくれてもいい。地獄に落ちろと呪ってくれてもいい。私は、もう耐えないと決めた。
説明出来ないくらいに悲しいことはある。そんなこと、この人の方がよく知っているだろうに。
私と目を合わせて、紺炉さんは深く溜息を吐いた。

「……そうか。そうだよな。最初から、俺程度じゃお前を止められねェんだ」

私は紺炉さんを押し退けてそのまま横を通りすぎる。もうかけるべき言葉はない。話し合いは何度もした。全部平行線だった。私が何を言ったとしても紺炉さんは「お前さんはそこにいてくれさえしたらいい」としか言わないし「放っておいてはやれねェよ」と私に自由な時間があることさえも嫌な様子だった。

「しょうがねェな」

「えっ」声は出たのか出なかったのか、ぎゅ、と首に腕が巻き付いた。途端、息がしづらくなる。「は、っう」力じゃ敵わない。爪を立てて引っかくが、包帯をしているから痛くも痒くもないだろう。

「もう、こうするしか」

次第に力が入らなくなってくる。視界が端から順に黒く、夜の闇と同化していく。逃げなければいけない。ここで捕まったらもう二度と浅草からは出られなくなる。いいや、浅草どころか、紺炉さん以外の人間に会う事すらできないのではないだろうか。私は助けを求めるように手を伸ばす。そこには何もない。私の指先は冷たい空を撫ぜるばかりだ。

「大丈夫だ。俺が死んだら、お前は晴れて自由の身だ」

次に目を開けた時、私は。


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20201005

 

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