もう戻れない/ジョーカー


「ジョーカー」

名前を呼んだ。するとジョーカーはぴたりとその男を殴るのをやめて、私の方を振り返った。「ああ」愛情すら滲ませて片目を細める彼は、左手に持っていたそれに興味を失ったようで、その辺に投げてこちらに小走りで寄って来た。ぱしゃぱしゃと、血溜りを踏むせいで、乾いたアスファルトに赤い足跡が数か所残った。「来てくれたのか」背が高い彼はわざわざ膝をついて私に視線を合わせた。私は、ぐるりと周囲を見る。来たけれど、遅かった。ここまでする必要はなかったのに。けれど、一人は生きているようだ。動くことはできないし、何もなければ血を失いすぎて死んでしまうだろう。あの人を生かすには、私はいますぐあの人の手当をする必要がある。

「なまえ? どうした。何か気になる事でもあるのか」
「……ジョーカーはそこで待ってて」
「オイ、待て。帰るんだろ?」
「まだ帰らないよ。はやくしないとあの人が」

死んでしまう、とジョーカーに言うのだが、彼は私の腕をつかんで離さない。指が食い込んで痛い。「ジョーカー」もう一度呼ぶと、渋々手のひらが離れていった。しかし今度は視線が刺さる。はじめてこんな風に見られた時、私は恐怖のあまり我を通すことなんてできなかった。固まって頷くことしかできなかったが、今は少し慣れて(しまって)思った通りに動くことができる。
全身に殴打の跡があるその人の傍らにしゃがみ込む。睨み上げられる。憎悪と殺意。当然だ。こちらがやっていることはあまりにも勝手で、自分たちの安全を考えるなら、ここでの正解は皆殺しなのだ。私のやっていることは将来、私か、あるいはジョーカーを殺してしまうのかもしれない。けれど。「……恨んでいいよ」存分に恨んでくれていい。それだけのことをしてしまっている。例えば回復した彼が私の生涯に幕を下ろすなら、それも納得だ。
私は大方の治療を終えると来た道を戻る。

「駄目だよ、やりすぎたら」

隣を歩くジョーカーに言うと「ああ」とバツが悪そうに頭をかいて、私の肩を抱いてぎゅっと引き寄せた。歩きにくいが、転ぶことは無い。ジョーカーが私を固定しているからだ。

「悪いな。いつもよ」
「……ううん、でも本当に、あんなことで、ジョーカーが怒る必要は」
「あんなこと?」

「あいつらは、お前に暴言を吐いたんだぞ」これのどこがあんなことなんだ、とジョーカーは目を大きく開いて興奮気味に私と接していない方の手を大きく動かした。悪く言われるのは気分がいいものでは無いけれど。「でも」

「殺したら駄目だよ」

上手く理解出来ている自信はないが、ジョーカーの中でも上手く感情を処理できていないのだと、私は思っている。殺したことに関しては多少罪悪感のようなものを感じているようだが、それとは別に私に暴言を吐いたという事実は許せないことであり、それこそ、殺してしまうまで痛めつけなければ収まりがつかなかったのだろう。「殺すつもりはなかった」とジョーカーは緩く頭を振った。自分では止まれないのだと言う。私に止められて、ようやく、無駄な事をやっている、と気づくのだと言う。「うん」気を付けよう、と私は言う。それしか言えない。
しばらく二人で歩いていると向かいから歩いてきた男に私の肩がぶつかった。それは決してわざとでは無く、酔っていたのか、薬でもやっていたのか、そういう足取りだった。この辺りは治安が悪いしよくある事だ。なのに。
ぎら、と紫の目が光るのを見て、私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。

「っ、ジョーカー!」

ジョーカーは私と目を合わせて、少しづつ落ち着きを取り戻していく。わざとじゃない。わざわざ怒ることじゃない。「ああ」ジョーカーは私をぎゅっと抱きしめた。「そうだな。お前の言う通りだ」炎のトランプはぱらぱらと消えていくけれど「でも、一発くらいは良かったんじゃねェか」霧散しきれなかった激情が、瞳に残っている。「ジョーカー」いいから、と宥めると、彼は深く重く溜息を吐いた。「はあ」

「お前がいなくなったら、俺は、どうなっちまうんだろうな」

ジョーカーはそう言って、不器用な指先で私の手を握り、縫い付けるように指を絡めた。


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20201003

 

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