文字数オーバー/大黒


そんな雰囲気ではなかった。と言うかそもそも、そんな仲でもなかったはずなのに。大黒部長は突然、灰島の食堂で、期間限定の冷やし中華を食べ終えた私にこう言った。

「君が好きだ。付き合ってくれ」
「……え?」

私に言った、と言う実感が持てずに私はすかさず周囲を見回した。大黒部長は私を見ているように見える。周りも極めていつも通りだ。手の込んだドッキリという事もなさそうだった。「聞こえなかったか?」大黒部長は平然と繰り返す。

「好きだ。付き合おう」
「……え?」
「困ったな。さっきと反応が一緒なんだが、聞こえていないということは無いよな? ああひょっとして、もう少し音量が必要か? ーー俺は、」

一段階声の大きさをあげたせいで、何人かがこちらを振り返る。私はすかさず部長の前で手を振って「大丈夫、大丈夫です。聞こえてました」と大惨事になるのを阻止した。

「そうか。ならいい。それで返事は?」
「ええ……? あまりも突然じゃないですか?」
「……ひょっとして不味かったか? 告白はゴリッゴリに雰囲気を作ってからされないといくら好きな奴からの言葉でも受け入れられない派か?」
「なんですかその派閥。いや、まあ、丁寧にされるのは嬉しいですけど」
「誰だ、君は素朴で自然な感じが好みだから日常生活の中で告白してしまった方がいいとか言ったやつは」

それは本当に誰なのだろう。私は「クソ」と悔しそうにする部長をぼうっと眺めていたのだが、放心している間に「それで?」とまた聞かれてしまった。ええと。

「……好きなんですか? 私が?」
「そうだ。出来れば結婚を前提に付き合いたい」
「付き合うんですか? 私と?」
「俺と君なら上手くいくと思わないか?」

正直思わないけれど、あまりにも自信満々なので否定するのも申し訳ないなと黙っておいた。しかしわからない人だな。本気なのか冗談なのか、どちらの可能性も等しくあるような気がしてならない。
多分これは「本気ですか?」と聞いてみて「本気だ」と言われても確信することはできない気がした。

「わかりました」

これは、私が大黒部長の気持ちを信じられるまでの時間稼ぎである。遊びならきっと長くは続かないだろうし、適当に済ませるに違いない。そういうことは得意なはずだ。

「文通からはじめましょう」

大黒部長はにっこりと笑ったまま固まっていた。これはなかなか珍しいリアクションだ。



「出来たぞ。記念すべき一通目だ」

文通から、と言った時、この人は確かに「面倒だ」と思ったはずなのに、やると決まればにっこり笑って感情を読ませないので立派なものだ。
楽しんでいるように見えるのもすごいなと感心しながら手紙を受け取る。

「いや、シーリングスタンプ」
「なかなかいいだろう?」
「結婚式の招待状じゃないんですよ?」
「雰囲気があると思わないか?」
「あと重い。何枚入ってるんですか」
「十枚だ。君への想いを綴っていたら長くなった」

私は泣きたくなりながら封を開けて便箋を取り出した。たぶん、これはなかなかいい紙だ。百円では買えないだろうなと私は読む前から泣きたくなった。

「返事はいつ取りに来たらいい?」
「いや、渡しに行きますよ」
「分かった。三日以内だな」
「納期厳しいなあ」
「なら、そうだな。週一のデートで期日を一週間に延ばしてやる」
「三日でお返事書きますよ」

「まあそれならそれでいいさ」下手に出てみたり上から見下ろしてみたり忙しい人である。丁寧に三つ折りにされた便箋を広げると細かい几帳面な字が並んでいた。

「……字が綺麗ですね」
「字が綺麗な男は好きか?」

なんだか遊びにしては手が込んでいるし、ふざけているにしては時間を使いすぎているような。「返事が楽しみだな」大黒部長は上機嫌に去っていった。
家に帰って手紙を読んでいると、これはひょっとして時間外労働なのでは、という気持ちになってきた。
一行目には「なまえへ」と、私の名前が、私よりも上手く書かれている。

「先日は告白の返事を急かして悪かった。つい最近お前が営業部の若手に告白されたという噂を聞いて居てもたってもいられなくなってしまった。君のことだからな、交流もないような男といきなり付き合うようなことはないとわかってはいたが、それにしても唐突すぎたな。やはり雰囲気作りは大切だ。
断っておくが、これは告白の返事はいつまでも待つと言っている訳では無い。付き合う気になったら一秒でも早く教えるように。時間は有限だ。」

それから、仕事のこと、普段の大黒部長の様子のこと、面白かったことや社内の噂話なども話題にした後、(文章の約五割ほどがこの話だったのだが)ここ最近の私の様子について書かれていた。
この時間にここで見かけただの、あくびを噛み殺しているところを見ただの、今週は二回も冷やし中華を食べていた事だのが、熱っぽく書き記してあった。
一体いつどこでそんな情報を仕入れたのか。
どこかで見ていたというのか。
こんなことを書いて私が怖がると思わなかったのか。
私一人ではツッコミきれない。

「随分長く書いてしまったが、一つルールを増やそうと思う。俺は最後に君にひとつ質問をするから、質問に答えた上で君も俺になにか質問をしてくれ」

ようやく最後の行へたどり着くと、最後は、好きな色は? とお見合いでも聞かない様なことを改めて聞かれていた。



期限いっぱい使って返事を書き、大黒部長に手渡した。

「お返事書いてきました」
「ああ。ありがとう。随分軽いな……?」
「ではまた……返事はなくてもいいので……」
「はっはっは! 返事は明日渡す」

最近あったことと、黒野さんが面白かったことなどを書いて、好きな色は黄色ですと答えただけの簡単な手紙を渡した。もちろんシーリングスタンプではない。ただの封筒と便箋と、それを買った時に付いてきたシールで封をしたものだ。
質問は何にするべきか悩んだが、私も同じように好きな色を質問した。
返事は本当に次の日に来るのだろうか。私は欠伸をしながら出社して、業務開始時間までぼんやりしていた。すると、珍しい人が隣に来た。

「なまえ」
「あれ、黒野さん。おはようございます」

黒野さんは私よりも眠そうで、尚且つ疲れた様子で「はあ」とため息をついた。

「大黒部長に何か言ったか?」
「なにかってなんです?」
「俺の事を話さなかったか?」
「え? あー、手紙には書いた、かな」
「それだ。二度としないでくれ」
「な、なんでですか?」
「面倒だからだ。部長が。嫉妬して」
「嫉妬?」
「俺の事よりお前のことが書いてあるんだがどういう関係だとか。どうしてお前の方が好かれているんだとか。一つでも多くなまえの情報を吐けだとか」

黒野さんはまた「はあ」とため息をついた。「とにかくやめてくれ」と言う声は切実で、ちょっと可哀想になったので、手持ちののど飴をひとつ献上した。
問題の返事の手紙はその日の昼に大黒部長が持ってきて、私は震えながら受け取った。



私は返事に三日かけて、大黒部長は一晩で手紙を書いて私に押しつけに来る。毎回十枚はある。しかも内容は少しずつ違う。手紙を十往復くらいさせたあたりで、私はとうとう耐えられなくなった。
大黒部長は忙しい人だ。だと言うのに、私の手紙の十倍の文字を書いて返してくる。それがもう十回だ。
私は何故か部長に詳しくなってしまって、部長のことをわざわざ私に聞きに来る社員も出始めた。好きな色とか好みのお酒とか、そういうものを知っているのは私だけらしい。なんだそれは。確かに手紙で聞いたけれど。
そして、部長の目の下の隈が濃くなっている気もする。無理をしているのは間違いない。申し訳なさすぎて死にそうだ。「無理しなくていいですよ」と手紙を渡しながら言うと「だが君は、俺のこういう姿が見たかったんだろう?」と笑っていた。
倒れられたら私の責任か。
そう思うともう一秒だってこんな状況に身を置きたくない。

「駄目だ、もう、無理です」
「なにがだ?」
「これ以上はたぶん胃に穴が空きます」
「それはまずいな? 俺に何か出来ることはあるか?」

そしてこの人はあくまで私に返事をさせるつもりらしく、にやにやしながら待っている。私は額を軽く押えながら目を閉じた。わかったわかった。わかりましたよ。

「もう部長の気持ちは充分伝わりましたから文通止めましょう」
「つまり?」
「付き合いますから無駄に私に時間使うのやめましょう」

言うと、部長は少し間を置いてから立ち上がり、私の腕を掴んで自分の腰の辺りに持っていった。流されてはいけない波に流された気がするが、もう知らん。私に文通は向いてなかった。そもそも、無理して愛してもらうのが向いてない。

「もういいのか? もっと続けてもいいが?」
「いいです。勘弁して下さい」
「そうかそうか。なら次からは聞きたいことは直接聞くとしよう」

そうして下さい、と私は引かれるがままに部長の胸に顔をくっつけた。壊さないように雁字搦めにするために、徐々に腕の力が強くなる。
私は、ようやく終わった、と、見当違いのことを思った。

「たった今、俺だけのなまえになったわけだ」

この時の私は、十枚程度の手紙など、可愛く思えるくらいに愛されてしまうことは、まだ知らない。
呑気に部長に抱きしめられて、高そうな香水の匂いをゆっくり吸い込んでいた。


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20200927:あめさんのこのネタから。
どの道大変な目にあう。気がする。

 

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