君に捧げる永遠の(11)


「ホットケーキが食べたいな」

と、なまえがぽつりと、それは独り言だったのだろう。犬の体にブラシをかけながら言った。犬は顔をあげて、それはなんだとなまえの顔を舐めている。「よしよし」興奮しかけた犬を宥めて何やら考えている様子だった。
大方、作るべきか、食べに行くべきか、というような事なのだろう。

「食べに行くか?」

俺がそう提案するとなまえは「うーん」と首を傾げていた。出て行くのは面倒なのかもしれない。傍まで行くと犬が俺から目を逸らすように顔を背けた。構わずなまえの反応を伺う。

「そうじゃなくて」
「そうじゃない? どういう意味だ?」
「こう、好きなように積んで、メイプルシロップかけて」
「つまり、手作りがいい?」
「んー、たぶん、はい」

しかし作るのも面倒だと、そういうことらしい。「そうか」と言った俺の顔が真剣だったのか、なまえは「そんな深刻にしてもらうようなことじゃないですよ」と言った。いいや、彼女が俺に「なにかがしたい、たべたい」というのは珍しい。
どうしても主張を通したい時は素直に甘えてくることもあるけれど、そうでなければなるべく俺に借り(などと俺は思わないが、彼女の感覚に近いものはきっとこの言葉だ)を作らないようにしている。
ならば、だ。

「よし、俺が作ろう」
「えっ」
「少し待ってろ」

俺はすぐに作業に取り掛かった。



少し待っていろ、とは言ったが、実際には買い物に行くことになり結構時間がかかった。俺は家から出ている間に作り方を調べて、人気のあるレシピを見比べながらより失敗しなさそうなものを選び実行した。
生地を焼いている時、なまえがふらふらと歩いて来て、俺のすぐ隣に立った。「いいにおいですね」と、反対側には犬までやってきて鼻をぴくぴくさせている。左隣にはなまえ、右には犬だ。

「もうできる。座って待っていてくれ」
「はい」

言いながら、彼女が動く様子はない。フライパンの上でぷつぷつと弾ける生地を眺めて、目をきらきらさせている。子供だって、ホットケーキでこんなにテンションは上がらないと思うのだが、彼女はじっと俺の手元を見つめて、その完成を待ちわびているようだった。
ああ、それにしても、キッチンに二人で立つととんでもなく家族っぽさを得られて大変に幸せになれる。俺となまえとは夫と妻である。犬はまあ子供のようなものと考えれば、これは絵に描いたような一家団欒の風景に違いない。
なまえをちらりと盗み見ると、生焼けのホットケーキのなににそんなにときめくことがあるのか、やはり、瞳を輝かせている。ふ、と思わず笑ってしまった。

「待ちきれないのか?」
「だってすごく美味しそうですよ」
「俺が作っているからな」
「うん。部長さんの料理、美味しいです」

こくりと素直に頷かれて気分が良くなる。

「だが、君の料理の方が八億倍美味いぞ?」
「ありがとうございます」

こんなに、穏やかで、柔らかくて素直な彼女が妻である。この事実以外になにか必要か? と俺はついうっかり満足してしまいそうになるが、ホットケーキ作りに集中した。
彼女のこれは万人に向けられるものである。そうではなく、俺はいつかなまえからの特別な好意が欲しい。これはその為の一歩だ。

「飲み物用意しますね。何がいいですか」
「君と同じのでいい」

彼女と犬が俺の傍から離れていって、マグカップを棚から出してくれた。紅茶を淹れることにしたらしい。最近彼女はノンカフェインの飲み物をよく買ってくる。
同じタイミングで用意が終わると、テーブルに向かい合って座った。

「食べてくれ」
「わ、きれいに焼けてますね。いただきます」
「ああ。生地は甘めにしたからな、きっとマーマレードジャムをかけても美味いぞ?」
「マーマレード!」

折角座ったところなのに、冷蔵庫からジャムを取り出して四段のホットケーキにかけていた。彼女は始終わくわくした様子でホットケーキと向き合って、丁寧にナイフを入れて小さく切った。……いつだか連れて行ったホテルのレストランでメインディッシュが出された時でもこんなに丁寧にはしていなかった。これはつまり、彼女にとってその晩餐よりも価値のある一皿というわけだ。そう思うと誇らしい。

「んん、おいしい」

そして俺はその一言の為に頑張っていた。もちろん、その気合を彼女に見せつけることはしなかったが、そこも含めて完璧にやりきったと言える。こういう小さな積み重ねが、最終的に大切であると俺は思っている。
四段は少し多いんじゃないかと思ったが、彼女はぺろりと平らげて「ごちそうさまでした」と満足そうだ。

「ありがとうござました。想像の八億倍美味しかったです」
「どういたしまして」

これは相当に気分が良いようで、俺の言葉をそのまま使って食器を片付けはじめた。鼻歌まで聞こえてきそうな後ろ姿を、俺はきゅ、と抱き締めに行った。「部長さん?」

「またいつでも作るからな。食べたくなったら言ってくれ」

なまえの髪にキスをすると、くすぐったそうに身を捩った。「じゃあ」

「次からは五段でお願いします」

足りなかったらしい。俺はすかさずまだ手を付けていなかった最後の一枚を彼女に献上した。やはり俺は、些細な幸せに酔って満足している場合ではない。
彼女の幸せは、俺とは別のところにあるのだから。


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20200926

 

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