プロローグ/大黒、52


恋をした。
抗えないほど自然に。
委ねたくなるほど運命的に。



「よし」

制服が変に汚れていたりもしないし、髪形もいつも通りだ。昨日うっかり机に突っ伏して寝てしまったけれど、顔に変な跡はない。
いつもと同じ時間に学校へ向かう。本当は迎えに行きたいのだが、そういうわけにはいかないから、会えると信じて駅に向かう。約束をしているわけじゃないから、会えないこともあるけれど。会えればしばらくは隣に座って話が出来る。
ニュースと、天気予報、それから占いを見てから「いってきます」と外に出る。つい先日アルバイト代で買ったスニーカーがぴかぴかしている。まだ汚れはついていない。なまえは、これに気付いてくれるだろうか。
気付いて「かっこいいね」とその一言が聞きたくてそわそわしてしまう。スニーカーくらいでなまえの気持ちが劇的に変わるとも思えないけれど、おしゃれなスニーカーを買うような男だと思って貰えたら嬉しい。
大人になった、と、背丈も歳も足らない俺は、彼女の隣に立つために努力を惜しまないのである。

「!」

待ちわびていた姿を見つけて深呼吸をしながら近付く。スーツ姿にはもう慣れたけれど、何度でも、この瞬間は緊張する。

「なまえ」

なまえはくるりと軽快に振り返って、いつも通りに笑ってくれた。



「よし」

スーツに余計な皺は一つもないし、勿論どこも解れていない。以前なまえに「上品ないい匂いですね」と褒められた香水をきつくなり過ぎないようつけて、最後にもう一度髪をチェックした。いつも通りだ。おかしい所はひとつもない。
今、彼女の部署は比較的暇であり、早朝の業務は一切ない。だからきっといつもの電車で駅に着くはずだ。新聞とニュースとを同時に確認し、家から出る。少し前まで車で通勤していたのだが、晴れている日や余裕がある日はなまえとの時間を少しでも増やしたくて電車通勤にかえた。逆に天気が崩れそうな日は車で行く。それが役に立つ時が必ず来るはずだ。
それから今日は、先日彼女と見に行って予約した時計を付けている。昨夜届いたばかりでどこを見ても傷一つない。彼女は気付いてくれるだろうか。よく気が付く彼女のことだから、きっと一番に気が付いて「似合ってますね」と言ってくれるはずだ。彼女もこの時計を気に入っていたから、ちょっと物理的に距離が近くなることもあり得るかもしれない。
ああ、最高にいい気分だ。きっと彼女がこちらだけを見てくれたら、そのあたたかい優しさを特別にしてこちらに向けてくれたのなら、もっと気分がいいのだろう。欲しい物を正しく得るために、俺は珍しく真っ当に努力を積み重ねていた。

「!」

隣に、幼馴染だとかいう高校生がいるのが気に入らないが、彼女は今日も元気そうでなによりだ。こちらに気付いて貰うためにひらりと手を振った。

「みょうじさん」

なまえはぱっと顔をあげて、俺の大好きな笑顔で「おはようございます」と言うのである。



家の最寄りの駅から会社の最寄り駅までは52くん、会社の最寄駅から会社までは大黒さんと一緒に出勤する。いつからかそういう日が多くなった。

「じゃあな、52くん。みょうじさんは俺と仲良く出社するからな」
「……なまえ。今日の帰りの約束忘れてないよな?」

残念ながら仲はあまり良くないが、私はうん、と頷いて、会社へ向かって歩きはじめる。いつまで経っても大黒さんが隣に来ないから振り返ると、なにやら言い合いをしているようだった。

「学生はさっさと帰って勉強でもしておいた方がいいんじゃないか?」
「部長ってのも自由に時間が取れなくて大変だな?」

52くんも大黒さんも意味がないのにわざわざ人とぶつかるような性格じゃないのにな、と思いながら手を振った。「遅刻しますよー」二人がこちらを見て、52は同じように手を振って、大黒さんは軽く駆けて来る。
大黒さんが隣に来ると、いざ、会社へ向かって歩きはじめる。私はもう一度だけ振り返って52くんに手を振った。

まあ、きっと二人とも、よっぽど譲れないものがあるのだろう。


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20200915

 

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