好きだって言ったろ/紅丸
隣に立つ若の背が、やや高い気がして振り返った。「どうした」と言われる。やはり、高い。しかし、人間一晩で背が伸びたりはしないもので……。そのうち、ああ、靴に細工してあるんだと気付く。
「……若こそ、どうしたんですか?」
何故そんなことを。ときょとんと尋ねると、若はやや拗ねた様子でぽつりと教えてくれた。
「……お前が、男は背が高い方がいいっつったんだろうが」
え、と、改めて若を見てしまう。確かに、昨日は町の女の子と身長が高いのは正義、だなんて雑談をしたかもしれない。聞いていたのか、と言う驚きもあるが、そんなことが気になるのか、と若の新しい一面を発見できてなんだか嬉しい。
「あはは、何言ってるんですか。若って結構かわいいところがあるんですねえ」
これが、たまたま聞いていた、ではなく。
意図して聞かれていたのだと気付くのに、私は少し時間がかかった。
■
「なまえ!」
と、執務室に紺炉中隊長が走り込んできて、ぱっと顔を上げる。
「どうかしたんですか」
「いいから来てくれ。で、もうしねェように丸め込んどいてくれ」
「え?」
それってどういう、と聞く前に、若の前に通された。若は、顔に怪我をしたらしく、治療を受けていた。
紺炉中隊長は、こそりと、ありゃ自分で傷付けたんだ。と教えてくれた。何故そんなことを?視線で問うが答えてくれなかった。「悪ィが、頼むぜ」と私の背中を押した。部屋は、私と若と二人きりになる。
「大丈夫ですか、若」
「……あんまり、嬉しそうじゃねェな」
「う、嬉しくなんてないですよ、若が怪我したんですよ?」
ひや、と背筋をなにか冷たいものが撫でた。
「だが、お前は、……顔に傷のある男が好みなんだろ?」
そんなばかな。だが、その話は覚えている。町の女の子たちと紺炉中隊長がセクシーだとかって話に花を咲かせていて、その流れ、なんてことない流れで。「顔に傷のある男の人っていいよね」と、誰かが言って、私は適当に頷いたのだ。
頷いた、だけ。「な、」
「何言ってるんです、私は今のままの若が好きですよ」
場を納めなければ。
若がそんな理由で自分を傷つけるのは明らかに異常事態だ。
私が慌てて繕うと、若はほっとした様子で言った。
「それならいい。俺ァこの世界の顔に傷のある男全部、殺してやんなきゃなんねェかと思ったぜ」
「……はは、やだな、そんなの」
それは、冗談……か……?
冷たい何かに背骨を直接掴まれる。体が震えそうになるのを必死に押えた。
私は、自分の発言、身の振り方に気をつけるようになった。
■
若が何を考えているかわからない。紺炉中隊長にちらりと相談すると「普段は平気なんだがな……」と彼も彼で困惑しているようだった。怪我が綺麗に治った頃、ふと、手のひらに息を吐きかけながら私が言った。
「今日の夜、きっと、冷えますねえ」
「そうだな」
「やだなァ、寒いの苦手なんですよ」
「……」
「冷やさないように気を付けなきゃいけませんね」
言った。ただの世間話だ。今日の夜は冷えますねってそれだけの話。それがどうして。どうなって。「眠れねえのか」声は、私のすぐ頭の上から聞こえて来た。
「……いえ、大丈夫、ですよ」
正解がわからなくて恐ろしい。
つい数分前、若は半分眠りに落ちていた私の部屋に静かに入ってきて、するりと同じ布団に潜り込んで来た。心は全力で慌てているのだけれど、あまりの出来事に体が動かない。私の後ろから手を回して、手を握った若が言った「震えてるじゃねェか」があまりに自然にいつも通りの声音だったから、余計に体が震えた。
震えているのは寒いからではない。
迂闊なことは、言えない。
……。
「わ、若?」
「どうした」
「もう、大丈夫ですよ。十分、あたたかいですから」
「……」
ぴく、と若の体が動く。
それから、もぞ、と私の後ろで身じろぎして、より、私の背中にぴったりとくっついた。私は動けない。呼吸すら荒くなりそうなのを、必死に耐えている。
「……嫌か」
「え、あの、嫌、っていうか、」
どう言えばいいのか。どう行動したらいいのか。いつからこんなことになってしまっているのか。そもそもこれは、どうにかなるのか? 私にできることは。いいや、私がすべきことは、一体。
「付き合ってるんだ、そろそろこれくらいいいんじゃねェか」
……いつ から?
■
普段は、本当に。普段はいつも通りなのである。何の問題もない。いつもの浅草の破壊王。第七特殊消防隊の大隊長。新門紅丸に間違いない。なのに。いいや、だから? 二人になった途端、若は私と目を合わせて、私の存在を確かめるように深いキスをする。
あの夜、若は恐ろしいことに「そろそろこれくらい」と言った。言葉通りに、一歩ずつ一つずつ私の行動は奪われていく。日中はそこそこ自由にしていたけれど、誰と何をしゃべっていたのか聞かれたりするし、嘘は何故か全てバレる。だんだんと足も外に向かなくなってきた。
同衾はすっかり当たり前になって、最近は、朝起きると髪を結うのも、服を選ぶのも若がやっている。
「なまえ、」
髪も着付けも終わると名前を呼ばれて、私はゆるりと顔を上げる。
紺炉さんはなんとなくこの状況をわかってくれている様子ではあるが、今のところ若は私の前以外ではずれた行動を取ったりしない為、どうするべきか処理しかねているようだ。一応「本気で嫌なら相談してくれ」と言われてはいるが。
「……愛してる」
体が震える。とんでもなく寒い。
寒いのが苦手な私には大変堪える。
どうして、なんとかしてくれ、などと言えるのだろう。
一度。
嫌だと、言ってみたことがある。
髪も服も、自分でできるから、と。
若は、私の言葉を聞くと静かに。しかし苦しそうに口元を歪めた。「俺は、俺の全部をお前にやりてェ。一秒でも長く俺のことを考えて、俺のことを、一生見ていてくれさえしたらそれでいい」そして続ける。だから。「こうでもしてなきゃ、本当に、お前が笑いかけた奴、お前が気に掛けた奴を全部、壊しちまいそうで、なァ」私は、どうにか呼吸だけを続けて命を繋ぎ、やっとのことで「ごめんなさい」と謝った。
若は酒も入ってないのに「わかってくれたか」とにこりと笑った。本気で嫌になって紺炉中隊長に相談したとして、その先が、あまりに真っ暗だ。
私の身の回りの世話を終えた若が、改めて私に手を伸ばす。
流している髪を一房掴んで、愛おしそうにぱらぱらと遊ばせる。
「俺以外の事は全部、わからなくなっちまえばいいのにな……」
人体発火なんてこの世界からなくなればいい、そう言うのと同じ切実さで若は言った。
-----------
20191105:やんでれれてる?