23日:君をあいする一番の方法


頭が痛くて吐き気もしたので、午前中は動けなかった。二日酔いではなく、単純に体調が悪かった。
金曜の夜のことは、途切れ途切れで好き勝手喋っていたことだけ思い出せた。
けれど。
なまえはそっと自分の髪に触れる「好きだからだ」と聞いたことのない声で言われた。これ以上ないくらいに優しく撫でられたのも覚えている。きっとなまえに意識がないと思ってやっていたのだろうが、それだけはしっかり記憶にある。
涙が出そうなくらいの、あたたかい優しさだった。

「……どうしよう、かなあ」

しんどくてきついのは、大黒がなまえを構うから、でもあるが、それだけではない。一つずつ心の中でぐちゃぐちゃに絡まったものを解いて行く。
あの事件のことは許せない。けれど、私は復讐なんてしたくはない。灰島での仕事も好きだ。あの人の仕事をいくつも引き継いでいる。できればこのまま続けたい。だから、望むことは一つだった。大黒には必要以上に構われたくない。
なまえの気持ちに反して、大黒はたいへんに執拗になまえに声をかける。
見守るように、励ますように、そして最近は溶けてしまいそうに優しく。
ずき、と胸が痛む。
自分は薄情な人間なんじゃないかと思ってしまう。
血も涙もないような女で、あの事件のことなんて本当は何も思っていないのでは。
これは、持っていてはいけない感情だ。

「っ」

両手で目を覆い、今、一番溢れてくる想いを押さえ込もうとする。
許せない。許してはいけないのに。
全部、忘れたくなる。
全部、全部、全部忘れて。
忘れてしまって、私は、それから。
リビングの隅に置かれている写真をちらりと見る。二人で撮った写真があって、なまえもその恋人も子供のように笑っている。結婚するつもりだった。そうなるに違いないと思っていた。きっと幸せだろうと信じられた。
そんな人がいなくなった。
殺された。
一人だけじゃない。何百という人が焼けた。
そういう最悪の事件の首謀者。
世紀の極悪人のことを思い出そうとすると、いつもなまえのなにか小さな変化だとか、言動だとかを拾い集めて心底幸せだという風に笑っている顔が浮かんでくる。

「あーあ」

私も、最悪の人間なのだ。
このぐぢゃぐちゃしたものから解放されるためには、自分から動かなければしかたない。灰島にいる限りは、この気持ちを忘れることはできないだろう。決着をつけなければいけない。
なまえは長く作ったはいいがそのままにしていた辞表を棚から引っ張り出してじっと見つめる。
日曜日なので会社にはいない。
家に押し掛けてもいいが、筋を通すならまず行くべき場所がある。



なまえはどうしてこうなるのかなあと思わず、ふっと笑ってしまった。

「なまえ? こんなところで会えるなんて運命だな」

墓の前には先客がいて、もう結構長い間そこに座っていたのだろう、全体的に汗でしっとりとしていた。なまえは「こんにちは」とだけ挨拶をして、大黒の隣に座って手を合わせる。
こちらにも簡単な挨拶と、謝罪。
ごめんなさい。私は、最悪な女だ。
すっと立ち上がって、なまえはいつもよりはっきりとした声を出す。

「大黒部長」
「ん、どうした?」

大黒も立ち上がってなまえと向かい合う。なまえは一度目を伏せて、しかしこれは決めたことだと鞄から辞表を取り出し、大黒へ渡した。実際は渡す人間が違うのだが、それはそれだ。そんなことは関係ない。「これは」大黒は受け取るのを渋っていたが、なまえが無理矢理大黒の胸に押し付ける。紙が、ぐしゃりと曲がる。

「大黒部長」
「……ああ」
「大黒部長が好きです」
「は?」

八月二十三日「だから、会社辞めて中華半島にでも行こうと思います」と、せめて最後くらい、正しく決着をつけるために、言った。


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20200823

 

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