君が運命になるまでに/大黒


手応えが無さすぎていっそ笑えてしまう。
口説き文句もワンパターンになってきて、最近では嫌そうな表情をすることもなくなってしまった。
朝見かけては「おはよう、調子はどうだ」と声をかけ、返事が何であれ肯定し、昼会いに行っては「今日は何を食べるんだ」と隙あらば同伴しようとし、当然のように逃げられて、帰宅するところを捕まえられたら「よう、おつかれ。今日こそ一杯どうだ、奢るぞ」と二人きりの時間を作りたくてたまらなくて必死なのだけれど、なまえはその全てを「用事が」の三文字四音で撥ね付けるのである。
あまりに無情で無慈悲だ。
大黒はなまえの情報を得る為に、(不正に入手した)最近なまえが購入したものリストを眺めながら言った。

「なぜだと思う。意見を聞いてやる」

黒野をはじめとする何人かは大黒がなまえに盛大に片想いをしていることを知っている。
事情を知る一人の社員は「みょうじさん、遊ばれてると思ってるんですよ」と笑っていた。なんだそれは勝手なお前の主観だろうと言い返そうとしたのだが「またあの暇な部長遊びに来たってよくぼやいてますから」情報の出処はなまえ本人からだった。
遊んでいるように見えるのか。と、一人になってから頭を抱えた。
この上なく本気なのだが、これ以上どうしろと言うのだろう。
彼女はいかにもまどろっこしいことは得意ではないという態度を一貫している。ならばまっすぐ、ストレートに気持ちをぶつけるのが一番伝わるのではないだろうか。
いや、今までもそうしてきたが、伝わらないということは、つまり、そうだ。足らないということだ。
もう一押しする為の何かを見つけなければならない。



なまえを見つけて呼び止めると、振り返らずに一度止まる。それでも上司が呼んでいるのだから聞かないふりをするわけにもいかず、くるりとこちらを振り返った。涼し気な両目がこちらを見つめる。
さっぱりとした印象の彼女に近寄り、にこりと笑う。
なまえは体を強ばらせた。大黒は逃げられる前に言う。

「さて、今日のランチはどこに行く?」
「外には出ません、暑いし面倒だから」
「なら食堂か。俺も行こう」
「食堂も行きません、人が多すぎるので」
「俺と二人きりでよければ俺の執務室でもいいぞ」
「自席で食べます」
「俺も行こう」
「来ないで下さい」
「何故?」
「目立つの嫌なんです」

ならば尚更二人きりになればいいのでは、と言うのだが、なまえはこれは(大黒にとってそうでなくても)大した用事ではないと察して窓から逃げて行った。炎で勢いを殺して、結局外へ走っていくので追いかけるのは諦めた。これだから能力者は。
ストレートに、二人になりたいと言っているはずなのに、これがどうして遊んでいることになるのだろうか。
そうこうしている間に、なまえは大黒の顔を見るなり逃げ出すようになった。
ただ、本当に仕事がある時には逃げ出さないので、大変に不思議だ。



「目立ちたくない」

とは、初めて会った時にも言っていた言葉だ。彼女に興味を持って色々と質問すると「仕事がしたくない」「定時で帰りたい」等々、やる気の無い本音を教えてくれた。それだけならばただの気のない社員だが、なまえが面白いのは「仕事をしない」「定時で帰る」為ならば全力を尽くすという点だった。ノルマを課せばそれを下回ったことはないし、期限を設定すれば必ず一週間前には終わらせている。
ただの興味や純粋な評価が、好意になるのに大して時間はかからなかった。
なまえに心を奪われたのが正確にいつだったのか、それは大黒にもわからなくなってしまっているけれど、初めて会った日のことは忘れもしない。あの日からなまえには目をつけていた。
気付いた時には、なまえの隣は格別だった。

「悪いが、俺は別の作業をする」

大規模に行われた新人研修で、大黒の担当した新人がなまえだった。
「よろしくお願いします」と頭を下げるなまえにそう言った。それまでの態度や言動から自分が手伝う必要は無いと判断したからだ。
この新人は、企画のプレゼン練習ぐらい一人でこなすだろう。
ただ、突然放り投げられたら困惑するかもしれないと思っていた。
けれど、なまえは。

「それって一人でやってもいいってことですか」

と嬉しそうに返してきた。
しばらくして出来上がってきたものは新人賞を取得したが、褒められたところは全て大黒のおかげと話していた。
一体何事かと、お前になんの得があるのかと思い問い詰めると、なんのことはない。評価されて目立ちたくないと、ただそれだけの話だった。
それがまた大黒にとっては面白く、ちょっかいを掛けたり上手く使ったりしているうちに、この有様だ。



「ん……?」

ある日、いつもの様になまえの通販の履歴を眺めていると、結構大きな買い物をしている事に気がついた。望遠鏡だ。
この規模の買い物は、一眼レフカメラを買っていた時以来か。あの時も「写真でも取りにでかけないか」とデートに誘い「一人で行きます」と断られた。
今回はそうはさせない。なにがなんでも連れて行く。
なまえを見つけるなり、大黒は軽く手を挙げてなまえを呼んだ。

「……お疲れ様です。さようなら」
「待て待て待て待て」

腕を掴んで止めると、なまえはなんとも言えない顔でこちらを見上げた。この表情がぱっと明るくなるデートプランを持ってきたのである。大黒は渾身の笑顔で提案する。

「デートしないか」
「しません」
「最近、新しい望遠鏡を買っただろう? 一緒に星を見に行こう」
「私のプライバシーが全力で漏洩しているんですけど……」
「天体観測をするにしても、一人で担いでいくのは大変だろうと思ってな。どうだ? 俺なら荷物持ちと足と両方してやれる」
「家のベランダで見るのでお気使いなく」
「皇国から少し外れた場所へ行ってみないか。きっと星がよく見えるぞ」
「……」

なまえは小さな声で「行きません」と言った。これはやや揺れている時の返事だ。大黒も、伊達に毎度毎度振られている訳では無い。
もう一押し二押ししてみようと大黒は誘い文句を繰り返す。

「二人で、星を、見に行かないか」
「いえ、星は、一人で見るに限るので」
「行こう」
「行きません」
「何故?」
「一人で見たいからです」
「観測中の軽食も付けるぞ」
「結構です」
「強情だな」
「どっちがですか」

ただ行きたいと言うだけでは駄目だし、食べ物でも釣れてくれない。
ならば情に訴えかけるかと笑顔でいるのをやめてしおらしくしてみせた。これならどうだろうか。

「君は俺と二人きりになるのが嫌なのか」
「それもあります」
「どうしても?」
「一人で気ままにやるので大丈夫です」
「しかたないな……」

駄目だ。この路線は全く駄目だ。視線はどんどん冷えていく。泣いて叫んで土下座しても首を縦に振ってくれそうにない。
普段の大黒ならばここでなまえに捧げられるものがなくなって終わるのだが、今日は違う。
取っておきの切り札がある。
今回限りの残念すぎる作戦がある。

「なら、黒野も連れていこう」

黒野、と言うと、なまえはぴくりと顔を上げた。
そうだ、あの黒野である。

「えっ、黒野先輩?」
「そうだ、黒野先輩だ。どうだ?」
「黒野先輩も来るんですか?」
「ああ」
「……黒野先輩かあ」

なまえは未だかつて無いくらいに悩みに悩んだ末にこくりと頷いた。頷きやがった。大黒が全てをかけても首を縦に振らなかったと言うのに、黒野は名前だけでなまえから了承をもぎ取った。
手柄ではあるが癪なので、後で虐めておくとしよう。

「黒野先輩も来るなら、行きます」

なまえは黒野のファンだった。全く意味がわからないのだが、少し前にそう話していたのを思い出した。ひょっとして役に立つのではと思い立ったが故の作戦である。
なまえと黒野に直接の交流はほぼ無いのだが「前見かけた時、自動販売機の前で、あれ多分立ったまま寝てたんじゃないですかね。頭にトンボがとまってて」となまえにはそれが大変にツボに入ったらしい。
挙動や言動が面白く、以来、見かけると眺めているそうだ。積極的に仲良くなろうとは思わないが、遠くで見ていると大変に面白い。それが、なまえの中の優一郎黒野という男だった。
こちらは彼女の視線も関心も欲しくて欲しくてしかたがないと言うのに、自動販売機の前でうたた寝をしていただけで注目を浴びている。腹のたつ男だ。

「よし、決まりだな」

誰が黒野など連れて行くものか。
目から滲み出るこれは涙じゃあない。



なまえは黒野が来ないと分かって本当に残念そうに「えっ」と驚いていた。そして車の中でさらに残念そうに窓の外を眺めていた。

「嘘つき……」
「嘘じゃない。腹痛だそうだから、しかたないだろう?」

本当は声すらかけていない。
なまえはそれがわかっているのか「大黒部長は嘘つきだ……」とちくちくと攻撃してくる。

「はあ……黒野先輩になんて挨拶しようか考えてたのに……」
「なんて挨拶するつもりだったんだ」
「ファンです、サイン下さいって……」
「……」

信号で止まると大黒がペンを取りだしなまえの服の端を引っ張った。

「ちょ、ちょっと! なんですかそのペン! やめて下さいシャツに名前書こうとしないで下さい!」

なまえはシャツを自分の方へ引き寄せて、せまい助手席で限界まで扉の方へ寄った。
いろいろと腹のたつことはあるけれど、大黒はひとまず安心していた。
なまえのことだから、黒野が来ないとわかった瞬間、それなら帰ると言い出しやしないかと不安だったのだ。けれど、今のところ大人しくしている。
会話はいつも通りに弾まず、なまえの表情はなかなか変化がないが、それでも、長い間隣に座っていた。

「ここですか」
「ああ。事前にリサーチ済みだ」
「へえ」

星を見る人間の間では有名な観測スポットらしい丘に辿り着くと、なまえは早々に炎を出してあたりを照らした。
それから後部座席に押し込んでいた荷物を取り出し、手早く観測所を作り始めた。
まず、持ってきた二枚のマットを敷いている。
「手伝うか?」と提案したが「大丈夫です」と言われ、触ろうとしたらさらに強めに「大丈夫」と、暗に触るなと言われたので大人しくなまえがせっせと準備するのを見つめていた。
なまえは第三世代だというのに、炎の操作が上手いようで、必要な灯りを必要な場所へ固定して作業を進めている。

「便利だな」
「部長は懐中電灯持って来てないんですか?」
「持っているが、必要か?」
「今は必要ありませんね」

なまえはひょこりと空を見上げて、いつもより高い声で言う。
そわそわとして、この状況が楽しくて堪らないようだ。

「ああー、もうこの時点で東京皇国の中より断然星が見えますね」
「そうだな」
「ふふ」

「ハッ」だとか「へえ?」だとか、曖昧に(馬鹿にしたように)笑っていることはあるが、心の底から楽しそうな笑顔は貴重だ。いや、本当は貴重でもないのだが、大黒の前では笑わないから、大黒にとってはかなり価値のある表情である。

「手伝うか?」
「大丈夫です!」

断る声もやや弾んでいた。「そうか……」大黒の心境としては複雑である。
なまえは寝転がって夜空を見るためにマットの位置を調節して「よし!」と額の汗を拭っている。
荷物はこれで全部だった。

「ところで聞きたいことがあるんだが」
「なんです?」
「マット、どうして二枚なんだ?」
「……黒野先輩をもてなさないとと思って」
「俺の分は用意しなかったんだな?」
「部長が提案したんですよ。自分で持ってると思うじゃないですか」
「……そういうことにしておいてやるか」

黒野のことなんて言うんじゃなかったと後悔しながらもなまえがしているようにマットの上に寝転がった。土と草の匂いが近くなる。
さて。

「じゃあ、消しますね」
「ああ」

なまえが炎をかき消すと、目の前には夜空しかない。
表現するための言葉より先に「これは」と思わず声が漏れた。知識として、星が無数にあることは知っていたけれど、実感として目の前に広がると圧倒される。
本当に綺麗なものを見た、という気がして、予定していた口説き文句も忘れて魅入ってしまった。
普段こんなにゆっくりと星を眺めることは無い。星に僅かに色がある事だとか、瞬いていることだとか、知識として当然知っていることがやたらと目につき、はじめて知ったような気持ちになる。こんなに美しいものを見たのは、世界で二人だけなのではないかと、そんな風に思えてしまう。
なまえと大黒は間違いなく、同じ感動を共有した。

「これは、望遠鏡、いらなかったかもしれませんよ」

なまえはすっかりテンションが上がって一人であれこれと持ってきたものをいじっている。「すごい」「本当にすごい」と会社では聞いたことの無い声ではしゃいで「写真撮ろう写真」とカメラをリモコンで操作していた。
この日はどうかと提案して、ここまで連れてきた人間への礼はいつだろうかと空を眺めながら待っている。
しかしこれだけたくさん星があると、一つくらい、降ってきたって良さそうな。

「あ」

ぱっとなまえの方を見る。なまえはカメラの三脚をいじっていて見ていなかったようだ。

「流れたぞ、今」
「えっ!!!? どこですか!!!!」

なまえがばっと顔を上げ、大黒の方へ寄ってきて空を見る。もう消えてしまっている。ので、流れた場所を教えることしかできない。

「あのあたりだ。結構はっきりしていたな」
「ええ……いいなあ」
「願い事を唱える余裕まであったぞ」
「願い事」

なまえはぴたりと止まって大黒を見る。機嫌がいいからかテンションが高いからか、いつもより口数も多くなっていて、さらりと大黒への質問が出た。

「流れ星にですか? ちなみに何のお願いを? あんまり重たいことを言うと流れ星落っこちてきますよ」
「ああ。好きな人と両想いになれますようにだな」
「……えっ」
「恋が叶いますようにだ」

なまえはまたぴたりと固まった。
真っ暗なのが悔やまれる。「ふ、」と思わず吹き出しそうになったなまえが、口元を押さえる音がした。

「ふふ、それ、相当面白いですよ、部長が言うの……、どうしたんですが、ここ来る前に女児向けアニメでも見たんですか……ふ、くくくく」

これなら、次の誘いも無碍にはされないだろう。しかし、折角ツボにハマっているようだから、もう少し笑ってもらうかと大黒は反論した。

「失礼な。俺は結構純情だぞ。消しゴムに意中の人間の名前を書いたりするしな!」
「あはははは! その冗談死ぬほど面白いんでやめてください!」

なまえはしばらく寝転がったまま腹を抱えて笑っていた。「他にも聞くか?」と尋ねると「もうお腹いっぱいですから」と止められた。一度治まっても思い出すと面白いのか、なまえの楽しそうな声が一帯に響き渡っていた。
一帯に響いているのに、聞いているのは自分だけなのだ、と大黒はようやく、なまえに対して手応えを感じた。
これは、いくらか好感度が上がっているに違いない。

「あー、笑った……」
「楽しそうでなによりだ」
「部長って思ったより面白い人ですね」
「ハッハッハ、そうだろうそうだろう」

その調子で株が上がって上がって、うっかり恋をしてしまえばいい。
そんなことを考えていると、また一つ、星が流れて消えていった。

「今度のは見たか?」
「はい」

手くらい握っても許される状況ではないか、と微かに指を動かすと「すごいなあ」となまえが言った。声は震えていて、その後すぐに鼻をすすっていた。

「本当に、すごい」
「大丈夫か? 寒いか?」

「い、いえ、大丈夫、です」やはり声が震えていた。
用意らしい用意は全くしてこなかったが、上着くらいは貸してやれる。大黒が言うと、なまえは「いえいえ、大丈夫ですよ」と首を振った。

「声がおかしいぞ」
「あ、うーん、大した理由はないんです、大丈夫」
「嘘をつくな。ちょっと顔を見せてみろ」

あったら便利かと電池の切れかけた懐中電灯も持ってきていたのを思い出す。ぱ、と灯りをつけると、お互いの顔が良く見える。
なまえは「あー」と気まずそうに顔を逸らして、照れたように笑った。
その頬は涙で濡れている。

「ごめんなさい、ちょっと、その、感動して」

「なまえ」懐中電灯を放り投げてなまえの体を抱きしめる。汗とそれから、虫除けスプレーの匂いがしている。
なまえは文句も言わず、声もあげずにじっとしていた。ただ驚きはしたようで「ひゅ」と息を飲む音がした。
嫌だったら全力で嫌がるか、得意の精神攻撃で「その香水は好みじゃない」とか言ってくると思っていたが、なまえは一向に口を開かない。
それをいいことに腕に力を込めてぎゅうぎゅうと抱きしめる。抵抗されないということは、許されているのではないか。実は望まれてさえいたのでは? 勝手にポジティブに考えて、調子に乗ってなまえの背筋をするすると撫で始めた。
ここでようやく、なまえに動きがあった。
なまえが震えている。「なまえ?」

「は、なしてくれますか」
「っ!?」

声のトーンが全然違う。歓喜に震えていた声が、今度は恐怖に震えている。顔色も抜群に良かったのに、今は冷や汗をかいて蒼白だ。
「はなして」ともう一度、なまえが絞り出すように言ったので、大黒はすぐになまえから距離を取った。

「すまない、驚かせるつもりはなかったんだが」
「だ、大丈夫です、ちょっと、しばらく、放っておいて下さい。そしたら、元に戻ります」

なまえはマットに転がって意識的に深く息を吸い込み、長く吐き出して落ち着こうとしている。
大黒は自分がなまえを怖がらせたのだと判断して、マットを離し、懐中電灯を拾いに行った。
車に戻り、約束していた軽食を取り出す。有名なホテルのサンドイッチだ。

「あー、その、何か食べないか」
「ごめんなさい。もうちょっと待って下さい」
「わかった」

言われて、軽食をなまえの横に置き、ついでに買ってきていたお茶も持ってきた。できることは全部やりたい、と言うより、今日に懸けているこの必死さをわかって欲しいのだ。
用意したものはこれだけじゃない。

「なまえ」
「ごめんなさい、まだ」
「これを。気が晴れるといいんだが」

近くに行ったら怖いだろうかとなまえが手を伸ばしても触れられないくらいの距離でしゃがんで、それだけを手に持ち、彼女の方へ腕を伸ばした。
なまえはちらりとこちらを確認して起き上がり、大黒からのプレゼントを受け取った。
中身は砂時計だ。
炎を出してよくよくみると、中に入っているのは星の砂である。

「くれるんですか?」
「ああ」
「……ありがとうございます、カップラーメン食べる時に使います」
「君な、いや、まあいいが」

なまえはふぅ、と息を吐き出して「すいません」と謝った。

「ちょっとだけ、良くないことを思い出しただけなんです」

忌々しそうに虚空を睨み「大黒部長は関係ないんです。すいません」と頭を下げた。
関係ないとは寂しい言い草である。関係者になりたくて、話してみろ、と言いかけるが、なまえはすかさず軽食を指さして言った。

「これ、頂いて良いですか」
「……ああ」
「ありがとうございます」

その良くない思い出と、彼女が一人が好きであることは深く関係していそうだけれど、今日は聞き出せそうにない。
大黒はしっかり今日のことを記憶して、なまえに、努めて穏やかに飲み物をすすめた。

「これも飲め」
「至れり尽くせりですねえ」

なまえが元の調子を取り戻しつつしみじみと言った。

「今日の俺は、いつも以上に本気で君を口説いているからな」

自分の炎に照らされて、口をきゅ、と引き結ぶ顔が見えた。
つい抱きしめてしまったせいでプランはぐちゃぐちゃになったが、ここを逃せば、タイミングはない。
大黒は自分が真剣であることが伝わるように軽薄な笑顔を取り払った。

「本気?」
「本気だ」
「口説いてるんですか?」
「ああ。君が欲しい」

静かな横顔を好きになった。隣にいると、何も言葉を交わさなくてもどんどん活力が、あるいは気力が湧いてくる。そんな人間、この世界にそうそういるものではない。
誰にも渡したくない。

「好きな人と、両想いになりたくてな」

できれば、自分もなまえにとって、そういう人間であれたらと、近頃はよく考える。

「叶えてくれるか?」

なまえは、じわじわと顔を赤くして、大黒の視線に耐えかねて俯いた。

「……本気ってどういう意味ですか?」
「毎日暇さえあれば会いに行って、挙句の果てに星に願ったり、消しゴムに名前を書いたり、後輩の名前を利用したりしたとしても、どうにかこっちを見て欲しいという意味だな」
「それは、なんだか、切実ですね」
「切実なんだ」

「からかわれてると思ってました」となまえは言った。なんて悪質なんだとも思っていたらしい。「俺はそんなに暇じゃない」と言い放つと、なまえと再び目が合った。
なまえの瞳は、この夜空のようだった。

「嫌か。俺の恋人になるのは」

なまえは大黒のことを、悪質ないたずらを仕掛けてくるとんでもない上司だと思っていた。認識が新しくなったからと言って、すぐさま恋人になってくれるかどうか、ここからは大黒の頑張り次第と言ったところだろう。
まず、ピーアールが独りよがりにならないように「不安なことがあるなら聞こう」とどっしりと構えた。
なまえは容赦なく普段思っていた事をぶつける。

「だって部長、遊んでそうですよ」
「君が俺を選んでくれるなら、遊ぶ必要はなくなるな。いや君を落とすのに必死で遊んでいる暇なんかないんだが」
「嘘つきだし」
「黒野のことを怒ってるのか……? なら今度本当に紹介するから水に流してくれ。本当は紹介したくない気持ちを押し殺して、紹介すると約束しよう」
「釣った魚に餌を与えるの最初だけじゃないです?」
「ここには、いつでも連れてきてやる」
「いつでも?」
「ああ、いつでもだ」

なまえはじっと考え込んで、やや困ったような判断がつかないと言うような顔をして言った。

「それは嘘ですよ。部長は忙しい」
「……」

都合のいいことばかりを言ってはいけない。なまえはしっかり現実を見て大黒と話しているのである。
取引先と喋っているわけでは無い。悪い癖だな、と大黒は頭をかいた。「そうだな、それは嘘だ」悪かった。けれど。

「無理な時は、車だけでも貸すから、いつでもここに来るといい。一人がいいなら、一人でも」
「えっ! 本当ですか!」

なまえが目をキラキラさせてこちらを見るので、この隙を(ここに付け込むことが如何に格好のつかないことであったとしても)見逃す訳にはいかない。
大黒は大きく頷いた。

「本当だ。オフロードでもどこでも走れるような車もあるからな。それはいつ君が乗って出かけてもいいようにしてお」
「ありがとうございます部長。私のこと、かわいがってやってください。よろしくお願いします。大好きです」
「君な、君、本当に、あー、まあ、いいか。仕方がない。これでも成果は上々だ」

大好きです、と言う言葉にもっと浸らせて欲しいのだが、なまえはもう大黒との大切なやり取りは終わったと言わないばかりに空を見上げている。
それでも「なまえ」と呼ぶと「はい」と返事があって、いくらか柔らかく視線が合った。

「ならこれで、君と俺とは恋人だな? 他に言っておきたいことはないか?」
「優しくして下さい」
「もちろんだ。と言うか、君に無理を言ったことはないはずだが」
「……それも嘘ですよ」
「嘘なものか! 俺が一度でも無理やり連れ出したことがあったか? 今回だって君は嫌とは一言も言っていない」
「物は言いようですね」

なまえに見えるように手を伸ばして、頬を撫でる。抵抗せずに撫でられているなまえはくすぐったそうにしている。触れ合いが全て怖い訳では無いようだ。
「抱きしめてもいいか」と聞くと、なまえから大黒に体を預けることもした。
さっきのは、大黒の何かがキッカケになって、運悪く嫌なことを思い出しただけのようだ。
今回は大丈夫そうである。
しかし、いつでもなまえが拒絶できるように、全ての動作をゆっくりゆっくり行った。
髪を撫でて、体温を確かめて、体を離す代わりに視線を絡ませ、唇がぴったり合うように角度をつけて顔を近付ける。
誰もいないしこのままもっと先まで行きたいのだが、なまえの身体が固くなるのが分かったので唇を離した。
なまえはきっと、こういうことに苦手意識がある。
そんな気がする。
ぽんぽんと背中を叩くと、なまえの体から少しづつ力が抜けていった。今日はここまでだ。

「愛してる、なまえ」
「……」

出会った時から正直者だ。俺と違って適当なことは言えないのである。それが、自分の心のことともなると尚更に。
間違えないようにしてやりたい。
あまりなまえが気負わないように、ぱちりと片目をつぶって冗談みたいにしておいた。

「嘘じゃないからな?」
「……はい、本当だったら、とても嬉しいです」

しばらく星を見ていると、いくつか流れ星を見ることができた。なまえはまた泣きそうな顔で空を見ていて、大黒は新しい願い事を唱えることに余念がない。
どうか、なまえに、運命の人が現れませんように。
今はもう俺のものなのだから、後から来てこちらが運命ですだなんて、そんな横暴は許さない。
なまえが本気で惚れてくれるまで。
運命なんでどうでもいいと自分に恋をしてくれるまで。
必ず、同じ言葉を返せるように惚れさせる。
星空にさえ、勝ってみせる。


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20200823
灰島に狂っている夢女二人がプロット交換しました。素敵すぎるプロットはあめさんに頂きました。


↓おまけ↓

帰りの車で、なまえはなんだか落ち着きがなく、信号で止まると大黒の二の腕を指でつついて遊んでいた。
刺さって痛い時もあるのだが、なまえは無言でその遊びを繰り返す。考えてみたが、何が目的か分からないので、大黒はとうとう熱心に自分の二の腕をつつく恋人に声をかけた。

「それは、なにをしてるんだ? 俺の二の腕に何か用事か?」
「えっ……いや、あの……」

見て分からないか、という顔をされてもわからない。どういう反応を返すのが正解なのだろうか。
なまえは言いづらそうに手を引っ込めて、大黒を覗き込むようにじっと見つめた。

「……恋人と仲良くなろうと思って」
「かわいすぎる」

恋人には甘えるタイプだったらどうしよう。
際限なく甘やかしてしまう自信しかない。

「私はこんな調子ですけど、本当に大丈夫ですか?」
「君はそんな調子だからこそいいんだ。知らないのか」

なまえは呑気に、知りませんでした、と目を丸くした。

 

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