罪状:抱えきれない程の優しさ12-3


この家に来てからの私の人生は、五年おきに大きなことが起こるのだ。
私は、誰にも話したことのない私の話を、一つずつ52に語った。
二十年前、父方の祖母が老衰で亡くなったのを機ににあの家に来た。その五年後に弟が生まれた。さらに五年後、当時五歳の弟を連れて母は出て行き、二人だけの生活を五年すると、父は仕事中に交通事故で死んだのだ。葬式には母も弟も来なかった。父の会社の人がいろいろと世話を焼いてくれた。
一人だけになって五年が経った年に、52が来てくれた。
思えば、一つずつなくなっていった人生だったのに、どこからともなく52は現れた。家に帰ると部屋があたたかい、迎えてくれる人がいる、それがどれだけ私にとって嬉しいことだったか話しはじめてしまったあたりで、脱線していることに気が付いた。「ごめん」だからつまり、さっきの態度は。

「いきなりだったから、びっくりした」
「……それだけか?」
「いや、それだけかって聞かれると、もっといろいろ複雑な気持ちではある、けどね」
「例えば、どんな?」
「あんまり綺麗な気持ちじゃないけど」
「いい。教えてくれ」

幸せそうだ、と思った。

「……それは、綺麗な気持ちじゃないのか?」
「こう、幸せそうでよかった、と言う気持ちとそうじゃない気持ちがせめぎ合ってる。例えば、きれいさっぱり忘れやがって、とか、なかったみたいに扱いやがって、とか」
「……難しいんだな」
「難しい」

52がじっとこちらを見る。
それで、と聞かれているのだろう。それにしたって、久しぶりに私に要求したことが「なまえのことが知りたい」とは恐れ入る。話さないわけにはいかない。これを逃したら、次いつわがままを言って貰えるかわからないのだから。

「でも、まあ、よかったかな。元気そうで」
「いいのか」
「いい」
「文句くらい、言ってもいいんじゃないのか」
「柄じゃないな、そういうのは」
「俺が」

水槽の水が揺れているからだろう。52の顔に落ちる影がゆらゆらと動いている。52は私の服を掴んで身を乗り出した。ぐっと顔が近くなる。「俺が」私が言わないのならば自分が言ってやる。そう言おうとしたのだろうと思う。けれど、結局その先の言葉に迷っているようだった。「俺は」悩んでいる内にややしゅんとしていたが、そのうちキッと力の入った視線をこちらに向けた。

「なまえには、俺がいるぞ」

数秒、周囲の音や気配が遠くなった。
知らない誰かの話声や、微かに聞こえる水の音、イルカショーの開始を知らせるアナウンス。そういうものが近くに戻ってくるのと、52が大きく目を見開いて狼狽えはじめるのは同時だった。「え、」

「ど、どうした? どこか痛むのか?」

52は、私の頬を伝って落ちていく涙を、手のひらを添えて遮った。
私はその手のひらの上に自分の手を重ねて笑う。
笑うのだけれど、涙が止まらない。

「いやあ、ぜんぜん、どこも、むしろ吹っ飛んだっていうか」
「飛んだ? なにがだ?」

お父さん、私は、こんなに嬉しいのは人生ではじめてかもしれません。
お母さん、私はきっと、貴女よりも愛されているに違いありません。
弟たち、貴方達に彼を紹介できないことは、たいへんに残念です。
人目も気にせず、私は52をぎゅうと抱き締めた。「なっ」52は驚いて逃れようとしたが、私がそれを許さず、52を腕の中に閉じ込めていた。
胸のあたりがあたたかい。手のひらで、52のあたたかさだとか、頭の形だとかを確認する。
52がここにいる。

「大好きだよ、52」
「だ、」

地味で、そこにあるものに満足した生活をしていた。それでいいと思っていた。問題はない。けれど、52が来て、出来るだけ料理も美味しい方がいいと思って作れるものも随分増えた。52が私より私のことを気にするから私も私のことを気にするようになった。ファッションもヘアスタイルも、世界には楽しめることがたくさんある。挑戦することはとても面白い。

「大好き」

職場を出ると迎えに来てくれているのが嬉しい、父は料理ができなかったから、誰かの手料理を食べられることが嬉しい、大事なバイト代で彼が買ってきてくれるものが、なんだかんだ言いながら嬉しい、私のことを心配してくれる声や、それは駄目なんじゃないかと窘める声が嬉しい。思い返してみると、実にいろいろな声色で、私の名前を呼んでくれている。過ぎ去った日々がきらきらしていた。彼と過ごす全部の時間が愛しい。今この瞬間が幸せで堪らない。
この子は私の、大事な大事な男の子だ。
そっと解放して、けれど離れがたくて頭に手を置いたままで言う。

「ありがとう。52が一緒じゃなかったら、こんなに穏やかでいられなかったと思う」

やっぱり勿体ない気がしてもう一度抱きしめて、52の頭の上に顎を乗せた。

「52がいてくれて良かった」

52は今度は大人しくじっとしている。私の心臓の音を聞くみたいに静かにしていた。
仲の良い兄妹に見えるのか、こんなに近付いたら恋人同士に見えるのか、どちらだって同じことだ、と私は思う。
私はこの子がこんなにも大切だ。

「……ん」

君の成長を、ずっと傍で見ていられたらいいのに。


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20200819:八月編、おわり

 

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