罪状:抱えきれない程の優しさ12-2


なまえは多分、海が好きだ。
大抵のものを好きだと言うけれど、海を見ていると嬉しそうだし、水族館に行こうと思う、と言った時にぱっと目が輝いたのを見逃さなかった。
薄暗く青色に染まった空間を、小さな子供や俺くらいの奴、それから大人がゆっくりと歩いて行く。男女で手を繋いでいるのもいる。俺はそういう奴らを見かける度になまえを盗み見ては、細い指を掴もうか迷う。
繋ぎたいから、で繋いでいてはまた甘えているように見えてしまう。そうでなくて、あの寄り添うような雰囲気は俺となまえでは出せないのだろうか。悩んでいるとなまえがこちらを振り返って、ぱし、と簡単に手を掴む。人が多くてはぐれそうだから、と笑っていた。
俺もぎゅっと握り返して隣を歩く。
横に長い水槽の前でなまえが立ち止まるので、俺も立ち止まる。
アザラシ(だったはず)が腹を上に向けてすうーと横切っていく。なまえは指をさして笑っていた。「なんで上向きなんだろう」

「……なあ」
「ん?」
「なまえは、水族館には何度か来たことがあるのか」

我ながら上手いと思う。これならば、自然になまえの家族のことを聞きだせるかもしれない。周りにははしゃぎまわる子供や、赤ん坊を抱えた家族連れなどもいる。

「そうだね、何度かあるね」
「家族でか?」
「家族で、は、あったかな。あったと思うけど、私は覚えてないなあ」
「覚えてないのにあったことはわかるのか?」
「写真があってさ。私は小さくて覚えてないんだけど」
「写真があるのか? なまえが子供の頃の?」
「そうそう」
「他にも?」
「……見る? 帰ったら」

俺はこくこくと頷いた。小さい頃のなまえ。想像できない。旅行に出てきたばかりなのに、はやく帰りたくなってしまった。

「あれは、何歳だったんだろう。弟もいなかったし、小学校だと思うんだけどな」

弟。

「弟? 弟がいるのか?」
「あれっ、言ってなかったっけ」
「聞いてない」
「結構年の離れた弟がいるよ、13歳差だから、ああ、今ごろ丁度52と同じくらいか」
「へえ」

なまえはそれ以上何も言わなかった。
もっと聞きたいと思っていたけれど「弟のことは良く知らない」と笑うので、聞けなくなってしまった。
しかたがないので、小さい頃のなまえについて考えてみる。
小学生は時々店や、外でも見かける。そのサイズになまえを縮めてみるがやっぱりうまくいかない。例えば俺と同じくらいの年のなまえもいたのだと思うと、不思議だった。俺にとってなまえはこのなまえだからだ。いや、俺が来たばかりのころに比べたら大分華やかになったというか、余計に綺麗になったけれど。確か、垢ぬけた、とか言うのだ。こういうのを。
こっそり、俺のお蔭である、と胸を張った。きっかけであっただけで、今も努力をしているのはなまえ自身だから、そう偉くもないが。

「52、52? イルカショーを観る時間はありますか」
「ちゃんと予定に組み込んであるぞ」
「やった」

なまえが館内アナウンスを聞きながらそんなことを言うので笑ってしまう。調べたところによると、ギリギリに行くと席がないことがあるそうだ。そろそろ行こうかと提案するべく口を開く「なまえ、そろそろ、」俺の言葉は第三者に遮られた。

「おかあさん!!」

ど、となまえの体が一度震える。「え?」なまえはくるりと振り返る。腰の辺りに抱き付いて来たのは、小さな子供だった。小学生か保育園児か判断がつかないくらいには幼い。「あ」と子供はなまえの顔を確認してハッとする。そしてなまえからぱっと離れて、本当のお母さんを探してきょろきょろとする。

「おかあさん……?」

途端に呼ぶ声はしおれていく。今にも泣きだしそうな声だった。なまえは正面にしゃがみ込んでにこりと笑う。「大丈夫」力強く言い、そっと子供頭を撫でる。「お母さん、すぐに迎えに来てくれるよ」と。
子供は導かれるようにこくりと頷いた。「よし」となまえは立ち上がって、そっとその子供に手を沿える。

「係員さんのとこまで行こう」

子供は、なまえの顔をちらちらと見上げている。変な反応だな、と思う。どこがどうおかしいのかはわからないが、なまえの背中を見て母親と間違えたくらいだから、なまえとこの子供の母親は似ているのかもしれない。
水槽から離れて人の少ないところで一度立ち止まる。近くに係員の姿はないから、進むか戻るか「いや、でも、このあたりで逸れたなら動かない方がいいのかな」となまえは考えている。結局、係員を呼んでくることにしたようで「ちょっとまってて」となまえが言いかける。今日はよく言葉を遮られる日だ。

「あっ!! 見つけた!!」

声に一番に反応したのは、小さな子供だった。「おにいちゃん!」と走って行った。家族が見つかったようだ。俺くらいの年の男に抱き留められ、更にその後ろからはなるほど確かに、背格好がなまえに似た母親が走ってくる。「よかったな」俺はなまえにそう言ったのだが、なまえからの返事がない。「なまえ?」
直立したまま動かない。
視線はまっすぐあの親子だ。
母親は子供になにか言い聞かせるのに夢中でこちらには見向きもしないが、代わりに、お兄ちゃん、と呼ばれた男がこちらに寄ってきて頭を下げた。

「ありがとうございました!」

なまえはたっぷり数秒黙ったままだったけれど、その内、何かを飲み込むように「うん」と言った。

「見つかって良かったね」

そして、不自然なくらい唐突に、俺の手を取って歩き始めた。
イルカのプールへ行くのかと思っていたが、無言でぐんぐん歩き、その内ぽつりと「ごめん」と振り返った。顔は笑っていたが、顔色が良くない。気付くとここはこの水族館の目玉の一つで、かなり巨大な水槽の置かれた、ホールのような一角だ。水槽の前の段差に座れるようになっていて、何人かが休憩がてらに座って話をしたり、じっと水槽を眺めたりしている。鰯の群れが過ぎ去って行った。
俺はなまえを端のほうへ座らせて、ひょいと顔を覗き込む。

「大丈夫か? どこか痛むのか?」
「ん? いやいや、全然そんなんじゃないよ。勝手に進んじゃってごめんね」

「イルカショーだったね」と言い、立ち上がろうとするなまえの腕を掴む。そんなんじゃないなら、なんなんだ。俺には言えないことなのか。
俺の手を掴んで歩く横顔を思い出す。
今にも泣き出してしまいそうな、耐えるような顔が脳裏に張り付いていて、イルカショーどころではない。

「なまえ」
「なに?」
「さっきの、知ってる奴らだったのか」
「……」
「教えてくれ」
「52、」
「なまえのことが知りたい」

声が震えた。
嫌われたらどうしようか。鬱陶しいと思われたら、どうしたらいいのだろう。そうは思うが、俺はなまえを放っておくことはできない。放っておいて欲しいと頼まれたわけでもない。何も聞くなと言われてもいない。
弱気になるな、と自分に言い聞かせる。
きっと大丈夫だ。

「教えてくれなきゃ、俺はここを動かないからな」

……思ったよりも、子供みたいな台詞が出てきた。
俺は言ってからこんなはずじゃなかったと恥ずかしくなったが、なまえはゆるりと笑ってくれたから、これでいい。

「さっきのが、私のお母さんと弟だよ。向こうは多分、気付いてないけどね」


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20200817

 

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