16日:君をあいする一番の方法


なまえはここ数日、旅行中にも関わらず何か考え事をしていたようだ。それはおそらく、大黒に関係することに違いないのだが、なまえは大黒に対して「何故」だとか「どうして」だとかそういう質問は一切しなかった。
じっとこちらを見ている度に「どうした」と聞くが、なまえはゆっくり首を振るか、何かまったく関係のないことを言うだけだ。
旅行の締めくくりであるホテルでのディナーを口にしながら、また、なまえからの視線を感じて顔をあげる。

「どうした?」

なまえはすぐには答えず、こくりと少量水を飲んだ。きっと本当に考えていることは教えて貰えないだろう。そうだな「辛さが足らない」だとか、そういうズレた料理の感想を口にしそうな雰囲気である。

「あの」
「ん?」
「ここ、私が部長に御馳走していいですか」
「何故?」
「ずっと二人分旅費出して下さってましたし、最後くらいは」
「結構な額になるぞ?」
「その方がいいです」

きっと、何かを要求される方が楽なのだろう、と思い、大黒はぱっと両手を上げてにやりと笑う。

「悪いが、会計はもう済んでる。大人しく俺に奢られてくれ」

なまえの頼みはできるだけ全て聞いてやりたいとは思うものの、この旅行は全て俺持ちだ。あいつも、そうすると決めていたようだし、いや、そうでなくても俺はなまえには何かしてやりたくて堪らないのだから、結果は動かなかっただろう。
はっはっは、と大黒が笑うと、なまえは「……そうですか」と気持ち残念そうに言った。

「すいません、ありがとうございます」
「いいや」
「あの」
「ん?」

なまえはじっと大黒と目を合わせ直して言う。もう一つの、こちらはお願いだった。

「私になにかお菓子を持って来たり、ご飯を奢ってくれたりっていうのは、これで最後になりませんか」
「ならないな」
「とても困るので」
「困る必要なんてないだろう。俺のことは、便利な男だと割り切ればいい。使い勝手のいい財布、くらいに思ってくれて一向に構わん」

なまえはぐっと唇を噛んだ。
ここで「ああ、それなら安心しました」と笑うような女だったら、大黒はここまで彼女に心を砕いてはいない。

「大黒部長」
「ああ、どうした?」
「……ここの料理、美味しかったですか」

「急にどうした」と大黒が聞くが、なまえは「最初の料理、どんな味がしましたか」と質問を重ねた。意思の強い、しかししなやかな視線を受けながら、大黒はおよそ自分が感じた通りに言葉にする。ハズレだ、と思う料理はなかった。「次のは」「メインのお肉は」「あの緑色のソースは」なまえは淡々と問う。なら「これは?」と今口にしているデザートの話まで終わるとじっと黙り込んでしまった。
何か言いたいことがあるのはわかる。大黒はなんとか手探りでなまえの真意を知ろうと、ごく一般的な言葉から口にする。

「好みじゃなかったか? なら、そう言ってくれればいい。君にも好きなものがあるんだから、無理に好みに合わないものを口に入れる必要は」
「わからないんです」

どく、と胸がおかしな音を立てた。
わからない。

「なにがわからないんだ」
「わかりませんでしたか。さっきの私の質問で」

胸の音はどんどん大きくなっていく。
なまえは味のことを聞いた。
まるで、自分じゃ判断できないから聞いたようではなかったか。
いいや、しかし、ならば。

「合う合わないじゃなく、わからないんです」

大黒は大きく息を吐いて頭を抱えた。

「いつからだ」
「去年の今頃、気付いたらこうなってました」
「味がしないのか」
「熱いとか冷たいとか、柔らかいとか硬いとかはわかりますよ。あとは、辛味も」

なまえは詳しいことは言わなかったが、つまり、一年前、あの男を失ったショックから、味覚を感じ取ることができなくなったと、そういうことなのだろう。
聞いたことはある。
辛味を感じるのは味覚ではなく痛覚である、と。

「辛いと思ってるのか、痛いと思っているのか、判然としませんけどね」

だから、辛い物が好きだし、よく食べる。
人が食べることを想定したと思えない激辛料理を好んで食べるのはそういうわけだ。
唯一、他人と味を共有できる食べ物だから。

「辛いものだけは、まだ、」

なまえはそこから先を言葉にはしなかった。
無言で、出された料理を平らげる。
大黒は、彼女にかけるべき言葉を見つけられなかった。しかし、頭ではずっと、ならばどうするべきなのかを考えていた。気の利いた言葉など存在しない。
会話という会話もないまま大黒はなまえを車で家の前まで送り届けた。なまえは律儀にまた「お世話になりました」などと頭を下げる。そして、何も惜しまずに家へと歩いて行く。
遠ざかる背に、ようやく声をかける。
「なまえ」なまえはゆっくり振り返った。

「なぜ、教えてくれたんだ。今まで黙っていただろう」
「高い料理やお土産は、無駄だからですよ。私の前ではただの食べられる固形物です」

なまえはまた、そんな風に優しいことを言った。これだから、大黒の中には諦めるという選択肢が浮上しないのだ。
なまえみょうじは俺を簡単に呪い殺してしまえるのに、彼女は絶対にそれをしようとしない。
八月十六日、強く優しい彼女を、心底、愛している。毎日、一分一秒ごとに、そう、思い知らされた。

「なまえ」
「はい」
「おやすみ」
「……おやすみなさい」

気を付けて帰って下さい。旅行は、ちょっとだけ、楽しかったです。
ああ、だから、君の、そういうところを、俺は。


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20200816

 

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