5日:君をあいする一番の方法
大黒はもう許可を取ることさえなくなまえの隣に座り、そしてなまえが食べているのとは違う店のカレーパンを食べ始めた。「普通のカレーパンは普通に美味いな」と言っているこれは独り言であろうとは思うが、なまえは「そうですか」と返事をした。
そのまま黙々と半分程二人並んで違うカレーパンを食べたところで、大黒がぐるりとなまえの方を見た。
「なまえ」
「え、はい」
「俺が突然カレーパンを食べ始めたワケが気にならないか」
「……夏ですからね」
「違う。勝手に理由を作るな」
「…………カレーパンに負けたような気がして悔しかったんですね」
「それも違う」
なまえは本気とも冗談とも取れない理由をいくつか口にした。
ラッキーアイテムがカレーパンだった。違う。夢でお告げを聞いたから。違う。単純にマイブーム。違う。大黒はなまえの言葉を一つずつ否定した。なまえは無表情のままじっと机の端あたりを見つめて「ああ」閃いた、と大黒と目を合わせる。
「好きな人がカレーパン食べてたからとか」
大黒はわざとらしい笑顔のままで固まった。なまえは無言は否定であると捉えたのか「あとはどんな理由があるかな」と再び考え始める。「それなら」となまえが次なる答えを口にしようとしたところで「なまえ」と大黒がようやく口を挟んだ。
「素直に、ここはもう素直に行こう。俺にどうして今日はカレーパンなのか聞いてくれ」
「どうして今日はカレーパンなんですか?」
「ああ。辛さに慣れていこうと思ってな」
「へえ」
「目標はとりあえず、君の食べているカレーパンだ」
「それはつまり」やっぱり、カレーパンに負けた気がして悔しかったのでは、となまえは思うが、まあいいか、と気付かなかったフリをした。
「人間は慣れる生き物だからな」
「それは、まあ、そうですね」
「少しずつ慣らしていけばそいつでさえ大したことはなくなるだろう」
「それも、はい、そうですね」
それで、慣れて、同じパンが食べられるようになったとして、だからなんだというのだろう。なまえはそこまで聞いてみたい気もしたけれど、大黒の言う事もまたどこまで本当でどこまで冗談かわからない。あまり間に受けるものでもないかもしれない、と口を閉じた。
「なまえ」
「はい」
「君も人が悪いな」
「はい。私はいい人間じゃないです」
「さて次だ。辛い物を食べられるようになってどうするのか聞いてくれ」
「辛い物を食べられるようになってどうするんですか?」
大黒はぴ、となまえの持つカレーパンを指さした。
「それを美味いと思ってみたい」
その一瞬、大黒の目元は夢を見るように細められていて、なまえは一瞬息をするのを忘れていた。この人のこんな笑顔ははじめて見たかもしれない。こんな顔もできるなら、もっと積極的に使っていけばいいのに。
「これは、辛いですよ」
「ハッハッハ! 知っているよ! 昨日食べたからな!」
辛くて、ついでに痛いんですよ。そう繰り返すが、大黒は絵に描いたような快活さで笑っていた。
八月五日、そんな風に露骨に歩み寄って来られると、裏があるのではと疑ってしまうのだが、いいのだろうか。
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20200805