罪状:抱えきれない程の優しさ11-2


遠ざけるべきだったかな、とは思ったのだけれど。丁度いい理由が説明できないと迷っていた。一体誰が、なんのつもりで流した噂なのかは知らないが、私が『中学生くらいの男の子と遊んでいる』という話は有名になりつつあった。実際迎えにも来て、手まで繋いで帰るのだから、当然と言えば当然だ。だが、直接私に何かを言ってくるような奴はいないし、そうではないと理解してくれている人たちもいる。それで充分だったのだ。いいやでも、この、それで充分、というのは、私が長く色々なことを諦めてきたせいでついた、負け癖のようなものだ。怒って嘘を吐いてでも押し通すべきものはきっと存在するのに。

「大丈夫」

走り寄って来た52にそう言って、頭を撫でた。
弟だ、と言い張ってもいいのだが、社会人というものはなかなか暇で、話してもいない家族のことを、どうしてか知っているのである。そう、例えば。私の本当の弟のことであるとか。その話まで出されて暇な誰かに探られたら、それこそ面倒だ。

「なまえ、」
「大丈夫だから、相手をしたら駄目」
「けど」
「帰ろう」

私は笑って立ち上がり、52の手を引いた。
構うことはない。構う必要はない。暇でしょうがなくて、遊ばれただけだ。
とにかく、52が人を殴ったりしなくてよかった。
黙って通り過ぎる。大丈夫だ。これ以上なにかをしてくる理由もないし、こちらからする必要だってない。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫、

「ちゃんと飼いならしておけよ」

前言撤回して、怒らなきゃいけない時というのも、ある。



なまえが怒っているところ、というのをはじめて見た。
俺の手をぱっと離して、自分より頭一つ大きい男の胸ぐらを掴み上げ「今、なんて言った」と。多分、その男の返事によっては殴っていたんじゃないだろうか。しかし、なまえは返事などさせず「なんて言ったか聞いてる」と男を睨み付けていた。ひ、と男が怯えたような声を出す。
俺は、周囲が何事か囁き合う声を聞いてハッとし、なまえの肩を掴む。

「なまえ」

と、声を掛けると、なまえは俺の方は見ずに、男を思い切り突き飛ばし俺の手を取って歩き始めた。しばらくはずっと怒っていた様子だったが、家に戻ってくると苦いものでも食べた時みたいな顔をしていた。
俺はその様子が面白くてからかってみる。

「相手をしたら駄目、なんじゃなかったのか」
「……」

俺の言葉にさらに居心地が悪そうにした。
なまえは拗ねたようにテレビの画面を見つめているので、俺は保冷剤をタオルで巻きながらさらに言う。

「折角、俺を止めたのに」
「……」

なまえは何も言わない。俺が後ろに立つとちらりと振り返り、また前を向いてしまった。唇を尖らせて、子どもみたいだ。

「……今日は52、意地悪だ」

俺は隣に座って、ぴとりと保冷剤を頬に当てる。赤くなっているし、少し腫れている。痛かっただろうか。今でも痛いだろうか。そんなことを考えていると、なまえはじとりとこちらを見つめてそっと両腕を広げた。しかえしかもしれない。俺は遠慮なく飛び込んでしまいたい気持ちになるけれど、ぶんぶんと頭を振った。

「い、行かないぞ」
「どうして?」
「子供みたいだからだ」
「52は子供だよ」
「そ、」

そんなことない、ことはない。しかし、ならば。

「なまえだって子供だろ。今日、俺と同じことしてたじゃねェか」
「そうだね」
「み、認めるのか……?」

なまえは頷いた。「子供だ」なまえは腕を下ろして、代わりに、俺の頭をするすると撫でた。「大事な人を、飼っている、なんて言われたのがムカついて掴みかかるような女を、大人とは言わない」はあ。とため息を吐いている。俺はなまえの頬に保冷剤越しに触れながら首を傾げる。

「後悔、してるか?」
「してない」
「……なまえって、思ったよりもずっと子供なんだな」
「そうだよ」
「否定しなくていいのか」
「しなくていい」

「私はあれでいいと思う。だからあれでいい」となまえは言う。「ああした結果何が起きたとしても、あれでいい」なまえは、強く強く断言した。俺から保冷剤を受け取り、自分で頬を冷やしている。それからちらりと台所を見た。今日の献立のメモがぶら下がっている方向だろうか。

「腹、減ったのか? 温めたら食えるから、十分くらい待って、」
「いや、今日もうピザとか頼もう。片付けとかする気分でもない」
「? 俺がやるから」
「いやだ。一緒にピザ食べよう」
「……」

なまえはどうしてしまったのか、言動までも子供っぽくなっている。俺となまえは適当にピザを頼み、ゴミを捨てるだけの片付けをしてまたソファに戻ってアイスを食べていた。頬の腫れは大分引いたが、引いただけだろう。

「ごめん」
「なにが?」
「痛いだろ、それ」
「ああ、いや、こんなの大したことじゃないよ」

しばらく休んだからだろうか、なまえはいつもの調子に戻っていた。俺はほっとして、なまえの頬に触れてみる。

「ごめん」
「いいよ。大丈夫だから」

笑うと痛んだのだろう、若干眉を顰めていた。けど「本当に大丈夫だからね」と言うので俺はじっと黙るしかない。

「なあ」
「うん?」
「なまえは、大人になるってどういうことだと思う」
「……大人になる、大人になる、かあ。ん? あれ、もしかして最近ずっと考えてたのはそのこと?」

隠しておこうか迷うけれど、結局一つ頷くと、なまえは「ああ、そういうことかあ」と納得していた。「そうだったんだね」とソファに体を預けて背筋を伸ばす。その後、にやりと笑って俺の膝の上に落ちて来た。
愕いていると、なまえは膝の上から俺を見上げて「あはは」と笑う。

「どうなんだろうね。私にはわからない」
「わ、わからないのか? 本当に?」
「わからない」

なまえはそっと目を閉じた。俺はつい、その瞼だとか、合わさった睫毛だとか、ふんわりと盛り上がった頬。うっすら赤い唇を見ていると、どきどきしてしまう。わからない。と彼女は笑い、起き上がった。

「私は大人かな?」
「え、そ、そうなんじゃないのか」
「さっき子供だなって言ったのに」
「それは、子供みたいって話で」
「これは子供みたいついでなんだけどね52」

あまりにもなまえがわからないわからないと言うものだから、俺もわからなくなってきた。ぐるぐると堂々巡りをはじめた思考を強制的にまとめあげるみたいに、なまえが俺に飛びついた。ぎゅう、と抱きすくめられる。せっかくがまんしてたのに!

「っ、なまえ」
「嫌かな」
「嫌じゃない、けどっ!」
「駄目かな」
「駄目でもない、」

けど。頭を撫でて貰ったり、甘えて抱きしめて貰ったり、そうじゃなくて。俺もまた、なまえに同じだけのものを返せるようになりたいのに。なまえの問いかけがあまりにも弱弱しいから振り払えない。声が、泣きそうに掠れている。

「ごめんね。あんまり近いのはどうか、なんて考えてたくせに、最近少し、いや、大分、かな。寂しくて」

その感情は、俺がなまえの為に色々と買ったり見たり(見るのは今も見るのだが)していた時と同じ感情なのだろうか。だとすれば、なまえのわがまま、ということになる。それがわかっているからだろう。なまえは俺をぎゅうぎゅう抱きしめるばかりで、何かをしてほしい、とは言わなかった。別にいい。したいことをしたらいい。ただ、今の状態は寂しい、と彼女はそう教えてくれたのだ。どうしろ、とも言われていない。
子供みたいに感情に任せて怒ったついでに、子供みたいにわがままを言っている。
俺はせっかく、がまん、してたのに……。

「ばか! なまえはばかだ!」
「そうだね」
「なまえはばかなんかじゃない!」
「……ほんと難しい年ごろだね」

なまえのせいだ、と言ったら喜ばれそうだったからやめておいた。なまえは俺を抱きしめたまま、ふう、と息を吐き出す。ぽんぽん、と怒っている俺の背中を叩いて愉快そうに言う。

「どうしたらいいんだろうね」
「大人なら、わかるんじゃないのか」
「大人になりたいね。立派な大人に。君に間違ったことさせないで済むような」
「そんなこと、考えなくていい」

重荷になっているのでは、そう考える日もある。嫌になる日もあるのでは。俺の顔を、見たくない時だったあるかもしれない。考え出したらキリのない不安の山。俺はどうにか見ないようにしながら前を向く。

「俺は、ちゃんと、大人になるから」

四六時中見て貰わなくても大丈夫。ちゃんと考えて、ちゃんと立てるようになる。俺は、そういうのが大人だと思う。なまえがそうであるように、時々はこうやって反省したり悩んだりするのだ。真正面から、できるだけ素直な気持ちでそれを乗り越えていけるのが、きっと。

「……そしたら、大人のなり方教えてくれる?」
「別になまえは、そのままでいい」
「そういうわけには。私、52に幻滅されたら、きっと泣いちゃうし」
「しない」
「本当かな」
「……きっと、できない」

幻滅なんてどうやってするのだろう。なまえはやっぱり大人なのだ。俺のような人間を傍に置いて、お互いに楽しく生きよう、なんて提案して実践できるすごい大人だ。焦っても仕方がない、と、そう言う気持ちになった。雷の夜の日訪れた男を思い出すと胸がチリチリするけれど、今日のなまえの姿を思い出すと、ゆっくりでいいのだと思う。一年二年じゃ、これは埋まりそうにない。諦めるわけではないけれど、時間はすぐには進まない。「あは」なまえは笑って、こつん、と俺と額を合わせて言った。

「私も」

俺は、この日から、なまえが寂しがるので、いってきますとただいまのハグは復活させた。撫でられるのも、時々は避けないでいる。なまえが寂しがるので、しょうがない。俺じゃなくて、なまえが、寂しがるのだから。しないわけにはいかない。
まったくなまえは時々とても子供みたいだから、しかたがない。


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20200726
七月編、完

 

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