罪状:抱えきれない程の優しさ10-3


「こ、恋人……?」
「ああ、違う違う。ただの大学の同級生」
「恋人だったろう?」
「元ね、元。今は違う」

俺は何故かその言葉にとてもとても安心して、つい、胸を押さえて大きく息を吐き出した。よかった。本当に。どうしてかはわからないが、とにかく良かった。なまえはこの元恋人に対してはどうとも思っていないようで、本当に服だけ乾かした後外に放り出していた。「まったく」と、なまえは聞いたことがない声で言った。俺は少しびっくりしたが、なまえの服を掴んでくい、と引いた。

「よ、よかったのか?」
「あれはあれでいいの。調子に乗るから」
「そ、そう、なのか?」
「そうなの。油断してると平気で一晩が一週間になる」

はあ、と強めの溜息を吐いて、なまえは眉間に皺を寄せていた。こんな顔をさせるのだから、なまえはあいつが嫌い、なのだろうか。

「ごめんね。びっくりさせたね」
「いや、その」
「ん?」
「あいつも、ここに住んでたことがあるのか?」
「ないよ。泊まって行ったことは何回かあったけど」
「なあ」
「なに?」

詳しく聞いてもいいか。と許可を得ようと思ったのだが、俺はどうしてもその一言が言えずに、視線を彷徨わせるしかなかった。なにもかも聞いてみたいような、聞いてしまうのが怖いような気持ちになって、ぎゅ、と胸の前で服を巻き込んで拳を握った。

「俺は、ここに居ていいのか」
「……どうしたの? そんなのいいに決まって」

わかっている。なまえは俺を放り出したりしない。あいつのこともすぐに追い出していたし、だから、けれど。なんだかうまく思考できない。俺はどん、となまえにぶつかっていった。なまえは受け止めてくれたが、いつもなら得られる安心感がまったく湧き上がってこない。それどころか、優しく頭を撫でられると胸を焼かれているような気持ちになった。
どうして。

「なまえ、俺は」
「うん?」
「俺は」

その先が言葉にならない。なまえはいつもそうしてくれるように抱きしめて頭を撫でて、俺が何かに不安がっているのをわかってくれて「大丈夫」と言ってくれた。それを聞いて、ようやく少し安心した。大丈夫だ。なまえが、そう言うから。
結局言葉には出来なかったが、大丈夫、焦らなくていい、となまえは笑った。

「……」

その日の夜は雨がひどくて、日付が変わるか変わらないかぐらいから、外がぴかぴかと光り出した。見るのははじめてだが、これが、雷というやつだ。
大きな雨粒がガラスにぶつかるのと、雷が一瞬外を一気に照らすのを見てじっとしていると、あの男の声となまえの声とが思い出される。なまえは、なんだか、いつもと違った。「恋人だった」「子守りか」「泊めてくれ」あいつが言った言葉に「絶対無理」「嫌」「調子に乗るから」と返したなまえ。
あの男と話すなまえは、何と言うか。いつものなまえじゃなくて。
そんなことをぐるぐる考えていると、微かに足音が聞こえた。俺の他にはなまえしかいないから、なまえがリビングの方へ向かった音だろう。こんな夜中に起き出すなんて珍しい。トイレだろうか、とも思うが、十分経っても戻ってこない。俺は俺の部屋のドアを開けると、リビングに明かりが付いているのを見た。
そっと部屋を覗くと、なまえがソファでペットボトルのお茶を持ったまま小さく丸まっていた。

「なまえ?」
「52、ごめん、起こしちゃった?」
「いや、起きてたから」

なまえは顔を上げてこちらを見た。なんだか別人みたいに見えて隣に座っていいものか迷う。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。

「隣に、座ってもいいか」
「いつも許可なんて取らないのに」
「今日は、なんとなく」
「いいよ」

なまえは少しだけ横にずれてくれた。
俺はぽすんと隣に座る。
雨のせいか雷のせいか、夕方突然訪れたあいつのせいか、なまえが酷く小さく見える。
外が光ると、なまえはぴくりと震えた。

「怖い、のか?」
「怖い、のかな」

なまえは膝を抱えて目を閉じる。

「怖い、っていうか、いや、怖い、のかなあ」
「苦手なのか?」
「んー……、平気、な、はずなんだけど」
「平気なのか? でも、」

手が、震えている。
怖いんじゃないのか。……いや、怖いとは思いたくないのかもしれない。大したことではないと頭では分かっているのかもしれない。それでも体が震える、そういうことは、時々ある。
俺は、今日、突然現れたあの男のことを思い出した。

「あいつは、このこと知ってるのか」
「ああ、知ってたと思う。まだ覚えてるかどうかはわからないけど」
「覚えてるから、今日、来たんじゃないのか」
「それはどうだろうね。まあ、そういうところが、ないわけじゃなかったけど」

どうだろうね、と、なまえは繰り返す。
もしあいつがいたら、なまえは。
あいつは。

「あいつ、なら」

あいつならどうしたんだ。あいつならどうやってなまえのそばに居たんだ。俺はそんなことが気になって仕方なくてついに聞いてしまったのだが、俺の言葉に落雷の音が重なって、なまえには届かなかった。なまえは大きく体をふるわせてぎゅうと自分の体を抱きしめていた。
俺はどうしたらいいのかわからない。
なまえは今、どうして欲しいのだろう。
冷や汗がひどくて、顔色も悪い。「フー、」と深く長く息をしている。
今日ははじめてのなまえにたくさん出会う。
そして、俺は今まで何を見ていたのかわからなくなる。
「なまえ」丸くなって震えているなまえにそっと手を伸ばすと、また大きく雷鳴が響いた。
そして、ふ、と部屋の明かりが全て消えた。

「落ちたね」

なまえは態度と声とがちぐはぐで、声だけ聞いたら今のなまえの姿は想像できない。

「真っ暗だな」
「うん」
「なまえ」
「暗いね」

声が聞こえなければ、一人でいるのと変わらない。だからだろうか。なまえは「暗い」と#見たらわかるようなことを繰り返している。
俺はなまえの肩を掴んで顔を上げさせる。

「なまえ!」
「! はい」

なまえが驚いている顔が目の前にある。俺の手の先には、炎が発生しており、あたりをぼんやり照らしている。
俺たちはしばらく見つめあって、そして空いている手で力のままになまえを抱き寄せる。なまえみたいにするのは難しい。

「わ、」
「大丈夫だ!」
「へ、え?」
「大丈夫」

ゆっくり頭を撫でて、背中を叩いて、あとは何だっただろうか。

「大丈夫だからな」

抱きしめてようやく、なまえの体が冷えていることに気付く。

「頼りない、かもしれないけど」

あいつみたいにはいかないのかもしれない。なまえと俺との間に寝そべる年の差は一年二年でどうにかなるようなものではないのだろう。
でも、それでも。
俺が。

「絶対に、大丈夫」

大人になりたい。なまえを守れるくらい、大きく強くなりたい。
大人になるためには、一体、どうしたらいいだろうか。

「ありがと」

雷が通り過ぎるまで、なまえの体の震えが止まることはなかった。


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20200723:6月編おわり

 

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