罪状:抱えきれない程の優しさ10-1


52は『甘える』ということがどういうことか掴みかけているようで、やはり師匠がよかったのだ。私にいろいろ無言で訴えかける術をあれこれとあみだしている。彼の境遇を思うとそれはとんでもないことなのではと思い好きにさせているがそろそろまずい。なんだか数か月前にもこんなことがあったような。
例えばこうだ。朝、仕事に出て行く時。

「じゃあ、行ってきます」
「……ん」

52は両手を広げて明らかに何かを待っている。何を待っているのかは聞かなくてもわかる。一度だけわからないフリをしたことがあるが頬を膨らませて自分から抱き付いて来たのであまり意味がない。
「ん」早くしろと言わんばかりにもう一度そう言って体を伸ばしていた。一度成功するとこれでいいのだと思うらしい。いや、その思考自体は間違いではなく、一度許可した私が軽率であるという話なのだが。

「あの、いや、えーっと」
「早く」
「52?」
「なんだ? 休むのか?」
「休まない。あのね、普通、兄妹は毎日毎日いってきますのハグしたりしないんだよ」
「してもいいだろ? した方が健康にもいいってやってたぞ」
「……」

52はこの間ずっと腕を広げて待っている。なんとなく不健全な気がする、というのは私が家族間のハグというものに慣れていないからだろうか。いや、それなら52だって慣れていないはず。若い分飲み込み吸収が早いとか、そういう話でもない気がするが。
ただ、私は最近考えるのだ。
例えば、今日がもし、最後の日だったら。
家に帰って来た時、彼が元の世界に帰ってしまっていたら。

「……迷惑だったか?」

そう考えると、まずいような気はしていても許してしまう。実際問題は起こっていない。甘やかして欲しいというならそうしたいと思う。私は今日もどうするべきか迷って、結局、今日が最後の日だったらと考えて許している。
これでいいのかはわからない。けど、望むことをしてあげてたいのは本当だ。ほんの数秒、私たちはぎゅ、と抱き合う。

「いってきます」
「ん、気を付けて」

私が離しても52はしばらくぎゅうぎゅうやっていて、恐らく時間を見て解放してくれている。ここのところ電車の時間が割とギリギリだ。



しない方がいいのかも、とは思う。
くっついていると幸せなのだが、その後、部屋に一人になるといつもの倍くらいには寂しい。そういう時はどうするか、なまえに聞いてみると「じっとしてると余計気になるから、出かけたり、掃除したり、動いて目の前のことに一生懸命になっておけば大丈夫」と笑っていた。なまえが実践してきたことなのだろうかと時計を見る。
父親は、五年前に亡くなったそうだ。働き始めて一年が経過したあたりだった、となまえが教えてくれた。俺は今、待っていればなまえが帰ってくるけれど、なまえは五年も、ここにたった一人で居たのだ。「寂しかったか?」と聞いた。「あんまり、考えないようにしてた」となまえは笑い、俺の頭を撫でた。「今は、幸せだよ」と。

「俺だってそうだ」

その時、俺はそう返した。俺だってそうだ。今は幸せだ。こんなことがあってもいいのかと考えない日はない。けど、実際にあるのだから、いつかまたあの地下に帰される日までは満喫してやるつもりである。
だから、部屋にじっとしているのは勿体ない。最近俺は図書館に出かけるのにハマっている。バイト代もあるし、勝手に家の物を増やすことさえある。ただ、その増えたものを見て、俺が帰ってしまった後のこの部屋でまた、彼女は一人になるのだと思うと、俺はいつも泣いてしまいたいような気持になる。いっそなまえも連れていけたら。けど、連れて行っても、俺ではなまえを、なまえがそうしてくれたように守ることができない。
甘える、という行為に慣れたわけではないが、もし、今日が最後の日だったら。そう考えると、そのくらいやっておけば良かったと絶対に後悔するだろう。
だから、俺は、結構勇気を出してなまえを求めてみるのである。

「ここ、いい?」
「? ああ。もう行くから」

図書館で黙々と本を読んでいると声を掛けられて顔をあげた。この場所を使いたいらしい。隣は空いているのだから許可など必要ないと思うのだが。
ざっと片付けて部屋を出るとなまえの職場へと向かった。夕飯の準備を終えて昼過ぎに家を出て、なまえの退社の時間に合わせて迎えに行く。遅くなるとか、アルバイトだとか、そういうことがなければ六月に入ってからは毎日そうしていた。
待っていると、なまえが同じ制服の人間に紛れて一人で出て来るので、手を振って近寄る。

「52」

なまえは気付いているかわからないが、見かけた瞬間は疲れた顔をしているのに、俺に気付くとぱっと明るく笑う。俺はそれを見るのも好きだ。

「なまえ、帰ろう」
「そう、だねえ」

俺が手を差し出すと、なまえは少し考えて、けれど結局手を重ねた。「嫌ならやめる」と言ってみたが「大丈夫」と笑う。困っている時は困っているくせに、こうすると決めたらもう困っていたことなんて忘れたみたいに笑っている。

「あ、ごめん。52、ちょっとデパート寄っていい?」
「何を買うんだ?」
「誕生日プレゼント。会社の同僚の」
「へえ」
「そう言えば、52の誕生日は?」
「誕生日か」
「うん、わかる?」

そんなものあってもなくても同じなので時々忘れてしまうのだが、俺はしばらく考えると思い出した。

「六月十四日」
「六月十四日?」
「そうだ、確か」
「六月十四日……?」

なまえは目を見開いてスマホを取り出した。「六月十四日」「ああ」次に手帖を取り出しまた何かを確認している。

「今日じゃん!!!!」
「そうだな、そう言えば」

「今日じゃん!!!!!」なまえはまた叫んで「ちょっと待って」と何やら俺から少し離れて電話をかけはじめた。なまえの声の感じから察するに、おそらく電話をしている先は店だろう。「そう、そうなんですよ。だから、はい。お願いします!」電話を切るとなまえはぐるりとこちらを振り返って、ばし、と叩くようにして俺の肩を掴んだ。「52」

「な、なんだ?」
「誕生日会やるよ」
「誕生日会?」
「今夜。誕生日会。やる」
「今日……?」

「やるからね」となまえは強く頷いた。「悪いけど、今日はここから別行動。七時に店に集合で」「え」「じゃあ、解散」「え?」手を解かれて、なまえは俺を振り返りながら「七時に、店ね。早く行き過ぎないようにね」と言い残し、走って行ってしまった。
俺は言われた通りに七時まで時間を潰し、店に向かった。
……一緒に帰りたかったから迎えに来たのに。


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20200722
夏、六月編

 

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