罪状:抱えきれない程の優しさ08-3


次の日には、52は普通に戻っていた。眠そうに起きて来て、私を手伝って、家を出る。ただ、意識が52から外れている時、ちらちらとこちらを見ている気配はする。「なに?」と聞くと「なんでもない」と目を逸らされる。
そんな日々が何日か続いた。
なにもない、わけはないのだが。
見ていると、何か言いたいことがあるには間違いないとわかる。けれど、それよりも今は、それがなんであるかを私に当てて欲しそうな気配があるような気がする。丸一週間が経つと、52は朝からずっと不貞腐れていた。リビングのソファでだ。まるで私に見せつけるようなやり方に、今日も私はどうしたものかなあと悩みながら、極めていつも通りに声をかける。

「買い物行くけど、52はどうする?」
「俺は行かない方がいいんじゃないのか」

なんでそうなる。寂しいというか呆れるというか、怒ることはないが、あまり長引かせるのも良くないのかもしれない。時間と共に悪化しているし、このあたりでしっかり時間をとってどうにかするべきことなのではないだろうか。
私はソファ、52とテレビの間に入って、52の頬を両手でそっと包む。「な」

「なんだ」
「なんにも」
「な、なんにもないわけないだろ」
「うん。どうしたの? 私がなにかした?」

52は私の手を振り払わずに視線だけを外して、黙ってしまった。なにかした、わけではないのかもしれない。52が左手を私の手首に添える。52の腕には父の形見の時計が巻かれている。大切に使ってくれているようで、毎日汚れを拭いている。
父と私は大体同じような性質だった。ならば、私が52くらいの時に、父に抱いた不満を思い出すことができればなにかヒントになるだろうか。

「なまえが」
「うん。私が?」

52はぎゅ、と唇を噛んだ。
もうちょっと子どもらしくいられたら、あるいは、もっと大人になれたなら。その狭間に居た頃のことを思い出す。

「……なにも。なまえはいつも通りだ」

なにかされたなら、もっとちゃんと怒ってる。こう叫んだのは、私だったか、母だったか。

「そうか。なにもしてないからか」
「え」

待つ、と言うのはこちら側から言えば聞こえはいいが、52側からすれば放っておかれているように思えるのかもしれない。ふ、と笑ってみる。踏み込む、という大変なことを、私は52に丸投げしていたと、そう言えなくもない。こっちだって怖いのに、と私の中で眠っていた誰かの声がした。
聞くべきことは、本当はたくさんある。
それに気付くと全て繋がった。先週彼が私に「ばか」と言ったあれはつまり「鈍感」とかそんな意味だ。「気が利かない」と言い換えることもできるだろう。あの日、私はいろいろとヨシダくんに質問を投げた。それなりに距離があって気安い上、彼の性質上よほど何を聞いても大丈夫、と思ったからだろう。52に普段気を使って聞かないことまで聞いた気がする。そうなると、彼は、52はどう思ったか。気を使う、とは高尚なことと思われがちだが、それは必ずしも万人に良く思われる行動ではない。
違ったら彼は怒るかもしれないが、まあ、その時は、怒られればいい。
進め、と自分の体に念じる。

「52、ここでの暮らしは楽しい?」
「……た、のしい」
「52は」

十一月の終わり頃、彼はこの家に来た。そしてもうすぐ半年が経とうとしている。私は自分で彼のことを家族だと言ったくせに、根本的なことを有耶無耶にしたままだった。私くらいは事情を聞くべきだった。

「どこから来たの?」
「……っ!」

「俺、は」52は体を起こして泣きそうになりながら私と真正面から向かい合う。「俺はっ」

「違う世界から、来たんだ」

たぶん、と付け加えた。「そうだったんだね」と私が言うと、彼は肩の荷が下りたみたいに体から力を抜いた。そして、ぽつぽつと、今まで言おうとしてやめていたたくさんのことを話してくれた。私は時々は質問をして、できるだけ全部を吐き出して貰おうと気を付けた。
『言いたいことがある』というのはつまり『聞いて欲しい』ということなのだと、私はようやく気付いたのだった。



わかっていた。なまえはきっと聞いてくれる。けれど、そのなまえの有り様がとても優しいので、俺は何度か目を擦った。俺も外に出たことはないから、地下で叩きこまれた偏った知識しかないのだけれど、それも含めて全部話をした。
両親には捨てられたこと。聖陽教の暗部に拾われたこと。そこでは戦闘訓練と洗脳のような教育を受けていたこと。発火能力のこと、焔ビトのこと、東京皇国のこと、知っていることは全て話したのではないだろうか。話し終えてなまえを見ると、涙を流しながら俺を見ていた。
なまえ。
なまえは、俺のように涙を隠そうとはせずに、そのまま俺の頭を撫でた。

「俺は、いつか、あの世界に帰るんだ。ここに来た時と同じように突然。いつもみたいに理不尽に」
「うん」
「それで、俺は」
「うん」

――あの世界の、真実を。

なまえは、俺の体をぎゅっと抱き寄せた。「うん」となまえが言うのが聞こえた。俺もなまえの背中に手を沿える。柔らかくて細い、思い切り力を入れたら折れてしまいそうな体だ。だけど、俺も、力を込めてなまえに抱き付く。「52」呼ばれたので「ああ」と返事をする。「52」なまえの声がしている。この家に俺を置いて、俺のことを本気で考えてくれるなまえの声。「52」聞こえてるけど、何度も呼んで欲しくて黙っていた。「ふぁいぶつー……、」俺の大好きななまえの声。いつか、別れなきゃならないなまえの声が。

「その日まで、私は絶対52を一人にしないから、大丈夫」
「本当は、大事なものが増えるのは怖いんだ」
「うん、ごめんね」
「でも、俺は、あいつらとのつながりも大事にしたい」
「うん」

「えらいね」となまえは俺の頭を撫でた。もっと。もっとそうやっていて欲しい。「大丈夫」「できる」ぴったりくっついているなまえの体がとても熱い。いいや、熱いのは俺の体かもしれない。なまえはそうっと俺から離れて、今度はきゅ、と手を握って言う。

「大丈夫」
「そればっかりだな」

確かなことは一つも言えないとわかっている。俺が笑うと、なまえも笑った。鏡のようだと思いながら、俺はこんなにきれいに笑えないとも思う。「なまえ」不思議な響きだった。「なあ、なまえ」ろうそくに火が灯るように、胸が熱くなる。なまえ。いつか、また、世界の理不尽が俺をどこかへ吹き飛ばすその日まで。

「俺を、ここに居させてくれ」

なまえは笑って「もちろん」と言った。「当たり前」だとも。俺はこの日、はじめて自分からなまえの腕の中に飛び込んでいった。
とてもあたたかくて、とても、こわい。


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20200716
春、四月編、完

 

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