罪状:抱えきれない程の優しさ07-2


なまえの言っていることは、ぜんぜん、わからない。

「好きにしていいって言ったくせに」

張られた左頬がずっと痛い。
ベッドで一人、枕に顔を押し付けてじっとしていると、時計の音が聞こえて来た。腕から外してじっと見つめる。見ていると涙が出てきそうになる。なまえはどうして、俺を殴ったのだろうか。

「……」

あの場所では、俺が生意気だと殴られた。理由が無かったこともある。だが、なまえのはきっと、そうじゃない。殴られたのは俺なのに、なまえは俺より痛そうにしていたのを見たからだ。理由はあったのだろう。詳しいことは、俺にはわからない。
素直に言うことを聞いておけば良かった、という自分と、やっぱり納得できないという自分、ここから出て行きたいような気持もあるが、出て行くことはもうできない。それよりも、俺は、単純になまえと一緒に居たいと思っている。
こういう時、どうしたらいいのだろう。
謝るべきだろうか。でも、俺は何か悪いことをしただろうか。わからない。わからない。わからないことが、悪いことだろうか。いつか何かの会話の中でなまえが「自分もよし相手もよしってことが大切だよね」と言った。笑って欲しいと、喜んで欲しいと、きっと似合うと何かを渡して、本当に似合っていると俺も嬉しい。これは、なまえにとっても、俺にとっても良いことではないのだろうか。いいや、やるなと言われたのだから、なまえは実は無理をしていて、本当は迷惑で、嫌なこと、だったのだろうか。わからない。わからないことだらけだ。
夜、夕飯も食べずに部屋に籠っていると、いつの間にか眠っていて、起きる頃にはなまえは仕事に出て行っていた。
机にメモが残っている。

『朝ごはんは適当に食べてね。あと、一つお使いお願いします。お昼頃、下の住所のお店に行って来て下さい。お昼ご飯はそこで食べさせて貰えることになってるから。よろしくお願いします』

あんなことを言っておいて。結局俺を使うんじゃないか。と思うが、なまえの中に俺への意識があることにほっとしている自分もいる。なまえと出会ってから、いろんな自分に出会ったが、昨日からまたいろいろと発見し続けている。良いことか悪いことかは、わからない。
朝食は食べずに、なまえのメモの通りに行動する。
駅の裏通り、居酒屋や食堂に紛れてその店は存在した。店の前で看板を見上げる。カフェとだけ書かれている。あまり大きな店ではないが、こういうのを、雰囲気がある、と言うのだろう。木で出来た重い扉を開けると「いらっしゃいませ」とすぐに声をかけられた。

「なまえに言われて」

と言うと「ああ」とカウンターの奥にいる男がにこりと笑った。

「待ってましたよ」

詳しい用事は聞いていない。促されるままカウンター席に座るとすぐに「何か飲みますか」と聞かれた。首を振ると「じゃあ私のオススメを」とコーヒーを出された。なまえはあまりコーヒーは飲まないが、たまに気分で飲んでいるので、俺も飲めなくはない。

「俺は、ここで何をしたらいいんだ?」

言いながら、ひょっとして、捨てられたのではないかと言う気がしてくる。ここに売られるか押し付けられるか何かして、今日からこっちで暮らせとか、そういうことかもしれない。俺は波打つカップの中身に視線を落とした。

「最終的にはここのケーキを持って家に帰って貰えれば任務完了ですよ。でも、お昼も食べて来いって言われませんでしたか?」
「書いてあった」
「ちょっと待っててください。お昼ご飯でも食べながら、私となまえさんの話でもしましょう」
「俺は、なまえのことあんまり知らない」
「ははは、おかしなことを言いますねえ。知らなかったらあんな風に彼女を変えてしまえませんよ」

「変える?」店の男は何やら料理を作りながら俺と話をはじめた。なまえのことをよく知っている風だ。なまえはこの店に良く来るのだろうか。俺は来たことがないから、こっそり一人で来ていたのだろうか。

「昨日の夜ね、一人で来たんですよ。なまえさんが、相談に乗って欲しいって」

俺が寝ている間に来たのだろう。なまえは、この男、と言うか、この店で高校一年から大学四年までの七年もの間、アルバイトをしていたのだそうだ。今でも年に何度かは手伝いを頼むこともあるらしい。だから、なまえのことは良く知っている。「けれど」と話は続く。

「見違えるくらい綺麗にしてましたね。聞けば貴方がやった、と」
「嫌だったみたいだけどな」
「彼女がそう言いましたか?」
「やめろって言われた」
「自分でやるから?」
「聞いてるなら俺に確認しなくてもいいだろ」

つん、とコーヒーカップを持ったまま答えると「そうですね」と店の男は笑っていた。なまえとはまた違った穏やかさで笑っている。「それでね」と男が言うのと、油になにかを入れるのは同時だった。

「私は、バイトでもはじめたらいいんじゃないかと思うんですよ」
「バイト?」
「だから、自分でお金を稼げば、それは正真正銘自分のお金なわけですから。なまえさんに使い方をあれこれ言われる必要はないわけでしょう?」
「そう、なのか?」
「そうですよ」

言われて、俺はじっと考える。そうだろうか。そう、だろうか? 自分で働くだなんて考えたこともなかったが、確かにそれならなまえも文句を言いようがない気はする。ちょっとだけ地に足がついた感じもするし、そうなると、俺は一人で不安になったり、何かしなければならないような気になることもないのかもしれない。

「そうしたら、きっと彼女も素直に君からの好意を喜べます」

「まったくあの子は昔から難儀な子ですよ」静かに笑う店の男との話はそこから過去なまえがやらかした失敗談で終わった。出前先を間違えたとか手を滑らせてアイスティーにレモン丸ごとぶち込んだとか大した話はなかったが、俺はなんだか嬉しいような悔しいような気持ちになった。
男が作っていたのはカツサンドで、味噌のたれが付いていた。「うちの店一番人気のメニューですよ」とのことだった。かなり食べ応えがあった。同じものを作ったらなまえは喜ぶだろうかなどと考えている自分がいて、この店についてなまえに聞いてみたい気もした。俺が無言で考え込んでいると男は「バイトの件、考えておいてくださいね」と話しを切り上げ、俺にケーキを持たせて店の外まで見送った。
外に出されて、ふと、このままなまえの家に帰っていいものか迷う。
そもそも、このお使いはなんだったのだろう。バイトをしたらいい、とは言われたが、そもそもなまえは俺にいろいろされるのが嫌だと言ったんだから、それは何の解決にもなっていない。ような。
俺はしばらくぐるぐるとなまえの家の周りを歩きまわっていたが、結局一度帰ることにした。出て行くにしてもケーキは置いて来よう。言い聞かせるようにしてなまえの部屋の鍵を開けて、家に入った。いつもならばしいんとしているが、今日は奥からがたりと音がした。誰かいるようだ。「なまえ……?」時間を確認するが、まだ三時前だ。なまえが帰ってくるには早すぎる。
警戒しながら靴を脱ぐと、ばたばたと音がして、リビングへ続くドアが開いた。

「52……!」

「え」なまえだった。制服姿のまま俺のところまで走ってきてぎゅう、と俺の体を抱きしめる。え。

「なまえ?」
「か、」
「?」
「かえってこなかったらどうしようかと思った……!」

なまえは一度体を離して、両手のひらで俺の頬を包んだ。そしてそのままこつりと額を合わせる。「よかった」と言うなまえは笑っているのに、目からはぽろぽろと涙が零れていた。つられて、俺の目からもなにかが流れ出て行った。

「他に帰る場所なんて、ないだろ」

「叩いちゃってごめんね」となまえが言うので「俺も」と首を振る。俺のやっていることだっておかしかった。望まれればなんでもやる、ならば、なまえがやめろと言ったらやめたらいい。そうできなかったのは、……駄目だ、言葉になってこないけれど、ただ一つ言えるのは、他でもない自分が奴隷ではいられないと思っているということ。だから、もうやめろ、わかった、とはいかなかった。「ごめん」

「ちゃんと話をしてみようか。うまく言葉になるかわからないけど」

なまえがまたぎゅうぎゅうと俺を抱きしめるので、なんだかどうでも良くなりそうだなと思いながら「ん」と頷いた。なまえが言葉にできないことを、俺が上手く言葉にできるのだろうか。

「なまえ、仕事は?」
「……定時まで待てなくて午後休貰って来た、だけ」

ふ、と思わず笑ってしまった。
なまえも、赤くなった目を細めて笑っていた。


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20200714

 

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