罪状:抱えきれない程の優しさ05-2


二泊くらいしてもいいだろうか、と私は悩んでいたのだが、結局、52も(多分)はじめての旅行で長旅は疲れてしまうのかもしれない。と一泊で予定を組み立てた。連休の一日目二日目に設定して、残りの三日は普通に休日をすることにした。なにをするかはまだ未定だが、やりたいことはたくさん出て来ることだろう。
私は小さいキャリーバッグ(この為に新調した)に二人分の荷物を詰め込んだ。自分で持つ気満々だったので、すごくかわいいパステルブルーのものにしてしまった。気に入っているのだが、52が「俺が持つ」と奪って行った時、後悔した。こうなることを予測できていれば52が持ってもかわいらしすぎないものを選んだのに。
52と二人で電車に乗り込み、公共交通機関を使って目的地へと向かう。目的の駅までは三時間ほどで着く予定だ。朝、作ってきたおにぎりを食べながら、私は入念に宿までのルートを確認している。ふ、と外が暗くなった。トンネルだ。

「あっ」

電車に乗ってから、ずっと窓から外を眺めていた52が小さく声をあげた。「ああ」私も外を見ると、52が私の方を振り返った。「なあ、これ」「うん。見てるよ」ぺたりとガラスに張り付いて外を見ている。トンネルを抜けて、山を一つ越えたからだろう。雪が降っていた。積もっているところもある。52は一生懸命雪を観察していた。

「なあ、なまえ。これ雪だろ」
「そうだよ」
「本当に白いんだな」
「うん。白いんだよ」

そわそわと窓の枠に視線を巡らせたのは、開けて直接見たかったからだろう。残念ながら窓は開かない。改めて52がガラスに寄るものだから、52の口のあたりのガラスがみるみる曇っていった。
私は手を伸ばして曇ったガラスに人差し指で文字を書く。52、と書くと52がこちらを振り返る。

「……なんだ?」

呼んだわけではなかったのだけれど。「んーん。楽しいなと思って」52は黙っていた。これは無視されているわけではなく、言葉を探している間なのである。わからないことも増えていくが、わかってきたことも多い。52の丸い紫色の両目がこちらをじっと見つめている。綺麗だ、と素直に思う。この子にこの世界はどう見えているのだろうか。できるだけ、その目に負けないくらいに綺麗なものをたくさん見て欲しい、と祈る。

「ああ。……楽しい」

その一言が嬉しくて、私はおにぎりを一つ余分に52にあげた。
それについても律儀に「美味い」と言うのを忘れなかった。「なんか、いつもと違うな」と不思議そうに首を傾げている。手伝ってくれたので特別なことはしていないと知っているから余計にわからないのだろう。かわいい。いつか口に出してしまいそうだ。

「お弁当って、外で食べると美味しくなるんだよ」
「! そうなのか」
「そうなんだよ」

52は真面目な顔で目を輝かせて「家に帰ったらやってみよう」と言っていた。



宿に着くと、なまえは慣れた様子で受付(フロントと言うらしい)で今日ここに泊まる為の手続きを終えて一度部屋に荷物を置きに行った。

「そうだ、52」
「ん?」
「名前なんだけどね」
「名前?」
「そう。苗字はって聞かれたら私のを名乗っていいからね」
「苗字って、みょうじか?」
「正解。基本的には好きに過ごして貰いたいんだけど、一応、52は私の弟ってことになってるから」
「弟」
「……嫌かな。嫌だったらちょっと違う設定考えるけど」

なまえの言っていることはわかる。できるだけ困ることがないようにという配慮であろう。自由に過ごす為にある程度の約束事を設ける、と、これはそれだけの話だ。と、俺はわかっている。「おとうと」俺はなまえをじっと見上げる。なまえの弟。「嫌、じゃ、ない、けど」なまえは真剣な顔をしてくれている。
よくわからない。俺は、嫌だと思っているのだろうか。設定上だけでも家族ができることに戸惑っているだけだろうか。

「嫌じゃない」
「本当に?」
「大丈夫だ」

「わかった、そうする」と三度頷くと、なまえは「よし」と笑った。「じゃあ行こう」と大きな荷物を部屋に置いて、宿の外へと繰り出した。雪が降っているが「フロントで番傘借りよ。雰囲気出るから」となまえが言うので傘は持って出なかった。防寒だけをしっかりとして俺は恐々なまえに続く。
どうにも、ここに来てからはじめてこの世界に来た日のような落ち着かなさを感じている。どこをどう歩いて良いかわからずしきりにきょろきょろと周囲を確認してしまう。

「52」

不安だ、ということなのだが。

「行こうか」

なまえがいつも通りに笑うので、自然に体から力が抜けていった。なまえが借りてくれた傘を受け取って二人で並んで外へ出た。



52は落ち着かない様子だったが、降って来る雪にもぱらぱらと居る観光客にも、それぞれの土産物屋の雰囲気にも慣れてきた様子で、一生懸命店を回っていた。アニメキャラクターやアイドルのご当地キーホルダーが並んでいるコーナーで目を輝かせてやたらと格好良く装飾された剣を手に取っていたので笑ってしまった。「好きなのあったら買っていいよ」といくらかお小遣いを渡してある。
まだ時間はあるから海の方まで行ってみよう、ということにはなっているのだが、海は明日の朝でもいい。ゆっくりさせてあげようと自分も52の近くで土産物を眺める。会社に一つ、適当なものを今の内に選んでおこうか。

「あれ」

ぱっと顔を上げると52の姿がない。さっきまでそこにいたはずだが。
この店にはいないようだ。外へ出てみるが、見えるところにはいない。さっきより人が多くなっている。

「んん……」

逸れた時の集合場所は決めてあった。52は「わかった」と頷いていたし、このままでも問題はないように思う。彼はしっかりした子だ。とは言え、それは普段の話で、ここは知らない土地で、浮足立ってもいた。
ふと、彼の名前を知った日に、一人で、橋の下で丸まっていた52の姿を思い出す。

「どこ、行ったかな」

探そう。彼には私の居場所がわからないだろうが、私にはなんとなく、彼のいる方向がわかる。
彼からは常に、灰の匂いがする。



「ありがとうございました」と言われて買い物は終了。問題なく買い物ができたことに安堵して店を出ると、なまえの姿がない。ふらふらと夢中になって歩いている間に置き去りにしてしまったのだろうか。慌てて隣とその隣の店も覗き込むがなまえはいない。
人混みを掻き分けながらなまえの姿を探すけれど見つからない。
完全にはぐれた。
ついさっきまですぐ後ろに居たのに。一体どうして。
もう日が傾きかけていて、寒さも一層増して来た。
めちゃくちゃに走り回ってなまえを探す。
息があがる。真っ白の呼気が空気の中に溶けて消える。俺もそうなってしまうのではないかと怖かった。なまえは。ああ、なまえはそういえば、はぐれたら、宿に戻ればいいと言っていた。
なまえの言葉を思い出してようやく足が止まる。そして来た道を戻ろうと振り返るが、路地に入ってしまったせいでここがどこだかわからない。人も居ない。民家はあるが、俺には全部置物のように見えた。
自動販売機の小さな明かりと、その側面のあたたかさに寄り添って立ち止まる。
ぱちち、と音を立てて街灯がついた。
黒い空から降って来る雪からは音がしない。ただ音もなく手のひらに降って来ると、そのままじわりと水になる。
はじめて見た時はあんなにも綺麗だと思ったのに、暗闇の中、一人で見上げる雪は、なんだか。
雪を見ているのが嫌になって膝を抱えた。まるで地下にいるような気持ちになる。あの時とは違うのは、俺は外の世界にいるのだということと、それから。

「なまえ……」

なまえはどうしているだろうか。俺を探しているだろうか。あまりに心細くて、ありもしない想像が頭を支配する。なまえは俺を探してなんかいなくって、むしろ、なまえは俺を一人にしたのだ。きっと世話をするのが面倒になったんだ。だから、また、俺はここに捨てられて。

「せめて、あの通りに、いてくれたら、もうちょっと早くみつけてあげられたのに」

はー、となまえが息を吐く音がした。
ばっと顔を上げると、こんなに寒いのに汗をかいたなまえが俺の前に立っていた。

「なまえ?」
「ごめんね。見失っちゃった」
「……っ」

ぶわ、と腹の奥にいた感情が一気に喉元まで競り上がってきて、結局一つも言葉にならなかった。なまえは「いいよ、大丈夫」と言い、俺の腕を引いて立ち上がらせた。
傘を器用に肩に引っ掛けて、空いている手で俺に積もった雪を払う。

「ん? 傘どっかに置いて来ちゃった?」

言われてようやく、店に置いてそのままだと気付いた。「あ、店に」と言うと「ああ。忘れて来た場所が分かるなら全然大丈夫。ほら、ここに宿の名前も書いてあるし、なんとでもなるよ」と笑っていた。なまえは、改めて、「ふう」と息を整える。

「よし。今後の対策は後で考えるとして、はやく帰ろう。晩御飯は蟹だよ」

なまえは俺の手を掴んだまま、俺はなまえの手を掴んだまま、宿まで戻った。
部屋に入ってコートやマフラーを干している時、ようやく俺は「ありがとう」となまえに言った。なまえは「なにが? お小遣い?」と本当によくわかっていない様子で首を傾げた。
それが面白くて、俺はすっかり安心した。
一瞬でも、捨てる為に、なんて考えたことはこの人への侮辱に他ならない、と俺は思った。


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20200707

 

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