「好きだ。なんとかしてくれ」/黒野


体中の熱を総動員して伝えられた言葉は聞こえていたが、胸を打つ、というようなことはなかった。
露骨に嫌な顔、というわけではなく、何か管轄外の仕事の指示でも受けた時のような怪訝な顔をした。その後、「それは私に言っても仕方がない」と言うように表情を消して首を振った。

「聞かなかったことにしていい?」
「言葉が気に入らなかったのか?」
「違う。応えられないから」
「時間がいるか? 待てと言うならいつまでも待つが」
「だから違う。待ってもらってもしょうがないって話」
「なら、何を迷う必要があるんだ」
「振ってんだバカ」

「振る?」黒野はじっと考えてからなまえの面倒くさそうな表情を見下ろした。「何故」どうして自分は今フラれなければならなかったのだろう。首を傾げてなまえの言葉を待っていると、なまえはようやく嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「何故って、付き合いたくないからだよ」
「俺のどこが問題だ。なかなかの優良物件だぞ」
「本気?」
「俺はいつでも本気だ」
「……なら、言わせて頂くけど」

こんな男でも人間である、必要以上に傷付かないでくれることを祈る。なまえは考えながら、しかし、自分が口にするのは極めて現実的なことなのだと自分を納得させておいた。

「弱いものいじめが趣味の男と付き合いたいとは思わない」

ざわついたのは周囲であった。
なまえは一つ溜息を吐いてすたすたと廊下を歩いて行った。ついでにいえば、雰囲気もなにもないようなこんな場所で告白するのも、なめられているとしか思えなかった。



黒野はいまいち弱いものいじめにも身が入らず、いざ痛めつけようとするとなまえの言葉が脳裏を過る有様であった。灰島でやっていることは弱いものいじめではあるが仕事である。趣味でいたぶっているわけではない。趣味でもあるが、ここではそうではない。しかし、弱いものいじめが趣味な男、というのがどうしようもなく自分を指すことはわかる。
子守りをしている同僚の女がひょこりと黒野の顔を覗き込む。「どうちたの? 元気ないわね」元気がないなんてものではない。

「フラれた」
「あちゃー。なまえちゃんについに告白したのね」
「した」

「フラれたが」何度も言っていて悲しくなってきた。施設の外で、今は休憩時間なのだろうか。子供と一緒になって遊ぶなまえの姿を見ていると余計に苦しくなってくる。だが、見ないではいられない。

「それで、どうするの?」
「それを今考えているところだ」
「へえ、良い手はあった?」
「そうだな。何か弱味を握って脅すか、それでも駄目なら監禁、洗脳……」
「黒野君、そういうところが駄目なのよ?」
「駄目? 俺が?」
「女の子はもっと大事にしてあげなくちゃ」

大事にしている。この上ないくらい大切に大切に接してきた。困って居そうだったら声をかけてきたし、面倒そうなやつに絡まれていたら助けたりもした。それから男と仲良くしている時はできるだけ割って入って暴れたし、子どもだろうとなまえに色目を使っていた(ように黒野には見えた)奴には容赦しなかった。一体どこが駄目だったのか教えてほしいくらいである。
しかし、失敗している以上、具体的なアドバイスを外に求める必要はあると思えた。「お前はどうするべきだと思う」天使のバックルがきらりと光り「そうねえ」と彼女は楽し気である。「できるだけ同じ時間を過ごすのはどう?」

「そうか。気付いた時には隣にいなければ落ち着かなくなっている、という作戦だな」

黒野はぴっと背を伸ばして窓に足をかけた。今にもなまえのところへと飛び込んでいきそうな構えだ。

「あ、でもやりすぎは」
「さっそくやるか」
「あっ」

くれぐれも大人しくしているように、だとか、嫌がるようなら無理矢理に一緒にいてはいけない、など、注意した方が良さそうなことはいくつもあったのだが、黒野は真っすぐ飛んで、なまえと子どもの間に着地した。砂埃を払いながらなまえは何やら文句を言い、その隙に子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
明らかに怒られている。怒ったなまえが立ち去ろうとして、その後ろに付いて行こうとした黒野は「ついてくるな」と言われていた。
彼はぽつんと立ち尽くし、くるりと振り返った。話が違う。視線はそう言っていた。

「……そんな目されてもし〜らないっと」

話を最後まで聞かないからそういうことになる。



黒野がこっぴどく振られてから一月程経過した。最初一週間はよく話題に上ったものだが、最近ではすっかり見慣れた風景になった。

「……」
「……」

なまえも、はじめのうちは「帰れ」「離れろ」などと黒野を追い払っていたが、最近はすっかり面倒くさくなったらしく、隙あらば後ろを付いて歩く黒野を気にも留めずに廊下を歩く。ひょっとして付き合うことにしたのでは、と囁く声もないではないが、なまえの様子を見ているととてもそんな風には見えなかった。
朝、休憩時間、そして夜。更には黒野に余裕があれば勤務時間中であろうがなまえに付き纏う黒野はあまりにも必死で、黒野を不憫に思った一部の女子社員から「付き合ってあげたらいいんじゃないですか」と言われることもあった。
なまえは、人の気も知らないで勝手を言いやがって、という気持ちを込めて、都度「あ?」と短い返事と共に睨み付けていた為、そのあまりの柄の悪さになまえの評価は着々と下がっていった。
その孤立は黒野には好都合で、なまえに追い打ちをかけるように、黒野に応援のメッセージを送る輩もいる。そんなものは燃やしてしまえ、と黒野に言うと「嫉妬か……?」と期待に満ち溢れた顔をされたので、なまえは必要な時以外口を開かなくなった。

「そろそろ付き合いたくならないか?」
「……」
「否定は肯定、」
「ならない。付き合わない。私はもっと常識のある人が好きだ」
「俺は極めて常識的な人間だぞ」
「無茶苦茶言うんじゃない」

実は困っている姿を見て楽しんでいるのではないか、と思い「クッキーあげるから今日は付き纏うのやめてくれ」と頼んでみたところ、黒野は喜んでクッキーを取った。ハラスメントが目的であればクッキーを受け取る理由がない。付き纏うのはどうやら好意からであるらしいとわかってしまうと怒る気力を振り絞るにも一苦労だ。
クッキーを持って帰った次の日から「手料理を貰った」と自慢気だったのでなまえはこれ系の餌はもう二度と与えないと誓ったが、常に背後に立たれるというのは鬱陶しいものだ。
特に、自動販売機の前でぼうっと何を買おうか迷っている時など、黒野がいることを忘れて気を抜いていると突然背後から抱きしめられることがある。時と場所を選ばないので傍目からはいちゃついているようにしか見えないだろう。これが困る。そういう時は全力で足を踏んで逃れるが、黒野は「今のはどきっとしなかったか?」などと足を押さえながら言う。

「強情だな」
「頼むからもっと簡単な相手を選んで」

黒野が飽きるまで続くのだろうかと思うと気が滅入ったが、三か月程経過すると黒野はぱったりなまえに付き纏うのをやめた。なまえはその日の夜久しぶりに一人でゆっくりと過ごした。
家でゆっくりしている時、三十分おきに電話が鳴るような生活とはおさらばだ。



「押して駄目なら引いてみろという言葉があるだろ」と教えられ、なるほど、と思い実行した。なまえは黒野のことなど忘れたように生き生きと仕事をしている。近くにいるより離れていたほうが笑顔が見られるというのは一体どういうことなのか。まさか嫌われていたとか。いいや、緊張して笑えなかったに違いない。
黒野はじっと物陰からなまえを見ているのだが、なまえになにか変化があるようには見えなかった。そんなことより。なまえの姿が見えないと不安になるし、五時間も離れていると冷や汗が出て手が震える。一日に一度も声を聞かない日があるとうまく眠ることもできない。これはいったいどういうことなのか。と考えると、これこそが、黒野がなまえに期待した反応であったことに気が付いた。
自分がいなければ落ち着かないようになればこちらのものだと思ってやっていたのだった。それがどうだ。ふと、どうしてもなまえの声が聴きたくなって、以前こっそり録音した音声データを再生する。そうするとやや落ち着くが、今この瞬間も、自分が近くにいないのをいいことに他の男に言い寄られてはいないか、他の男と仲良くしているのではないかと思うと駄目だった。
引いてみる作戦は一週間も続かなかった。

「なまえ」
「うわ、黒野」

その、黒野、の一言がどれだけ嬉しいか、なまえは欠片もわかっていないのだろう。ともあれ、これは自分ではどうにもならない。黒野の生活にはもうなまえという存在が必要不可欠である。となると、まずは現状の報告だ。今、自分の身に何が起こっているかと言うと。

「……俺のほうが離れられなくなった」
「は?」
「なまえから離れられなくなった」
「はあ?」
「お前がいないと駄目だ」

「いや、しらん」と言う身も蓋もない冷たい言葉すら、今の黒野には温かく染み渡る。そう、聞きたかったのはこの声だ。そして見たかったのは彼女一人で、なにより、手が届く距離に行きたかった。一刻もはやく。そして、一秒でも長く。
黒野は勢いよくなまえの手を握った。なまえの細い手がみし、と音を立てる。

「好きだ。なんとかしてくれ」

最悪必ずしも恋人同士である必要はない。たすけてくれ。と黒野は言った。

「無理」
「ありがとう、その調子だ」
「なにこれ……だれかたすけて……」
「どうした? 大丈夫か? 結婚するか?」
「しない。大丈夫じゃない。頼むからほっといて」

それだけはできない、と力強く首を左右に振り、少しでも元気になればいい、となまえの丸まった背中に抱き付いた。足を踏まれたが、実は、痕ができるので、これはこれで、悪くない。


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20200625:くろのさんに無限の可能性感じる…

 

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