そして永遠の愛を誓う・後編


「大丈夫ですか」

 これは、フォイェン中隊長にも聞かれたし、最後まで私を迷惑がらないでくれた同僚にも聞かれた。大丈夫ではない。けれど「大丈夫」と答えた。極力明るく振舞ったつもりだが、それがまた彼らの不安を煽ったようで、フォイェン中隊長は何度もなにかを言いかけてやめていた。ああ、そう言えば珍しくカリム中隊長に呼び止められた。なんだろうと言葉を待っていると「お前、フォイェンのこと」とだけ言ってから「いや、なんでも、なにもない」と去って行った。
その言葉の先を聞けなくてほっとした。もし、予想通りのことを言われたら、決意が鈍る。そうなれば、黒野を止められる人間はいなくなってしまう。

「黒野くん」

 私がそう呼ぶのを合図に、彼は蹴って転がしていた信者の男を解放した。
 そうして被害者が逃げていく間、私と黒野は見つめ合っている。今日は、中隊長達と戦闘になる前に止められた。周りに居るのはシスターだけだ。丁度いい、と思う。
 今、考えている渾身の賭けを実行に移す、その束の間、私と黒野の間にあるものは何だろう。と考える。

「やめてって言ってるよね」
「やめてるだろう」
「未来永劫、やめろって話なんだけど」
「それはできないな」
「できなくないでしょう。今までしてなかったんだから」
「そうだな。なまえが一生一緒にいてくれるのなら、できるだろうな」

 黒野に執着されているのは知っていた。いつからだったか、明確に覚えてはいないけれど、ふと気づいた時には黒野からの視線はどこか異常だった。一体なにが、私とこれとを繋いだのか。「どうして、だったっけね」私は少しだけ笑った。もっと早くに決断するべきだったのだろう。私が彼を野放しにしておいたせいで痛い思いをした人たちには、謝っても謝り切れない。

「なまえ?」

 修道服の下に隠していた刃物を自分の首に押し当てる。もっと冷たいかと思っていたが、服の下に隠していたからあたたかい。体の一部のようだ。片手だけだと震えていることに気付いて両手で掴む。
 あーあ。
 最期に見るのがこの顔か。

「なら、私がいなくなればいいわけだね」

 目を閉じて力の限り刃物を引いた。

「は、はは」

 水道管が破裂したみたいに血が噴き出たから、笑ってしまった。



 夢なのか、走馬灯なのか。
 走馬灯なのだとしたら、走馬灯でもこの顔なのだから、呆れてしまう。私は実は黒野のことが好きだったのでは、と勘違いしてしまう。
 私は黒野の隣に居た。
 なんだか懐かしい気がしたから、これは昔にあったことなのだろう。思い出そうとすると、周りの景色がぱらぱらと変わっていく。学校、公園、実家。違う。近くには川があった。学校の行事で、それは遠足だったか社会科見学だったか。たぶん、遠足だった。
 その日仲の良かった子が風邪で休んで、誰と昼ごはんを食べようかとふらふらしていると、同じく一人でいるクラスメイトの男の子を見つけたのだ。あまりしゃべったことはないし、私は意識して近付かないようにしていたと思う。それがこの日は、ふらりと隣に行った。今となっては、行ってしまった、が正しい。
 だがその時だけは、私は確かに自分の意思であれの近くに行って、お弁当を一緒に食べた。
 蟻の行列を乱すことに余念がない後ろ姿に話しかけて「食べないの」と聞いた。「もうそんな時間か」と真面目な顔で言うのが面白く、すぐ近くのベンチで並んで弁当箱を開けた。私も黒野も、その時がお互いをきちんと認識した瞬間だったのだろう。
 食べ終わって集合時間が近くなると私は立ち上がった。
 その背に黒野が声をかけきた。「なまえ」

「また、一緒に食べてくれるか」
「いいよ」

 いいよ、と言ったが、この約束は、そう言えば、果たされていない。



 気付くと、白い天井を見つめていた。ぐっと腕を持ち上げると持ちあがるし、顔の前で指を動かすこともできた。生きてるらしい。そうか。とぼんやりしていると、傍らでなにかが動くのが見えた。黒野だ。
 ここは病室な気がするけれど、私はどうしてこの危険人物と二人きりなのだろう。よく、中隊長達が許したな。

「なにしてるの」
「悪かった。俺がぜんぶ、だから、もう二度と、しないでくれ」

 黒野は私を見るなりぼろぼろと涙を流しながら言う。
 頬にぽたぽたと一粒二粒落ちて来る。

「なに」
「本当に、あれは」

 絶え間なく涙を流しているのに体が微動だにしないところが黒野らしいと思った。はじめて会う人間に見せたら間違いなく演技か、機械だと思われるだろう。

「よかった。もう、二度と起きなかったらと思うと、俺は」

 黒野の言う事はいまいち要領を得ない。思いつくことを涙と一緒に流しているという感じだ。私はぼうっと黒野を見上げる。とても疲れているからだろうか。起きたばかりだからかもしれない。あるいはあの夢のせいか、いまだかつてないくらい穏やかな気持ちで黒野の前に居る。

「なまえ」
「うん」
「なまえ」
「そうだよ」
「なまえ」

 なまえ、なまえ、と何度も呼ぶ。声を出すのは実は億劫なのだが、話していないと眠ってしまいそうだったから、一々短く返事をする。
 黒野は涙を拭いもせずに私に言う。

「これからは、お前の言う事をぜんぶ聞く。だから、本当に、それだけは」

 きっと。
 私が呑気に寝ていた間、彼は誰よりも狼狽えたのだろう。
 元々顔色は良くないが更に悪いし、目の下に隈もできている。どのくらい眠っていたか定かではないが、頬の肉も削げたように減っている。食事もしていなかったのかもしれない。最悪の展開を夢に見たりもしたかもしれない。そんなもの見せられるくらいなら眠らないことを選ぶ、これはそういうことをするだろう。
 たった一回、小さい頃に、一緒に並んでお弁当を食べた。
 気まぐれに声をかけた。
 それだけのことでこの男は、こんなことになってしまったのだ。

「かわいそうに」

 構って欲しくて、でも方法がわからなくて、結果私に自死する決意を固めさせた。
 眠っていてよかった、と思う。小さなかすり傷であの狼狽え方だったのだから、今回黒野がどれだけ暴走したのか、考えたくもない。

「かわいそうにね。こんなに、私を、好きになってしまって」

 黒野の涙を指の先で拭う。
 私はもう一度寝かせてほしくて目を瞑る。黒野は何も言って来ないだろうと思ったのだが、予想に反して、怒ったような声音で言った。

「どうして、そんなことを言うんだ」

 白い部屋は、何故か黒野に似合っていた。
 そういえば、実験室のようなところで仕事をしていたんだったかな、と思い出す。

「俺はいつでも、幸せだった」

 その後、小さく、お前は、そうじゃなかったかもしれないが、と続いたので笑ってしまった。は、と強く息を吐き出すと、首の辺りが痛んだ。少し、眠気が遠のいた。
 もう一度目を開けて黒野を見る。
 ほとんどこれは確信なのだが、一応、聞いてみよう。

「黒野くんは、いつから私が好きなの」
「俺の話を聞いてくれるのか」
「もしかして、一緒にお弁当を食べた時?」
「なんで先に正解を言うんだ」

 泣きながらむっとするので、器用だな、とまた笑う。笑う事しかできない。黒野は「いや、待て」と考え込む。

「覚えていたのか」
「ううん。さっき、夢で見た」

 そんなことだろうと思ったが、と黒野は息をついて、しかし幸せそうに笑っていた。本当に怖い男だ。私にならなにをされても良いと思っている。私がすることは、ただ一つ、私を傷付けること以外ならば、全部受け入れるつもりなのだろう。「忘れていたのは知っていたし、今となってはあれは気まぐれだったとわかっている。だが、当時の俺は」私は反対側の眼から流れる涙を掬い上げた。

「お前は、俺のことが特別好きなんだと、勘違いしたんだ」

 本当に、
 かわいそうに。
 私は心の中でもう一度言った。

「お前のことがいろいろわかってきて、どうやら俺に見込みはないようだとわかっても、どうしても、俺はもう一度。お前の、隣で」

 俺だけを見て笑って欲しかった。
 最初は単純な気持ちだった。
 弁当でも給食でもそれ以外でもなんでもいい。
 ただもう一度だけ、一緒に、隣で。
 隣で食事がしてみたかった。

「きっとなまえが魔法でもかけたんだろう? あの時の弁当はこの世のものとは思えないくらいに美味かった」

 黒野はようやく泣き止んで、それでも私から目を逸らさなかった。
 何度考えてもあり得ない、と否定して来た可能性について考えてみる。すなわち、私は優一郎黒野を好きになれるか。という問題だ。私は黒野と恋ができるのか、と言い換えることもできるだろう。
 何度考えても結論は無理、であった。今でもそう思う。この男との関係は、恋にはなりようがない。こんなもの、誰の手にも負えない。だというのに、この男は私を選んでしまったのである。そして私は選ばれてしまった。
 夢で見た、いくつか会話をしたが内容は忘れてしまっている。あの頃に戻ることはできない。黒野はとんでもない男に成長した。
 でも。
 きっとこれは、しょうがないことだ。

「いいよ」

 私は黒野のネクタイを引く。

「なにがだ」

 黒野はされるがままに私の方へ体を倒す。

「いいよ、わかった」

 きっと後悔するだろう。それでも、いい、と今、思った。
 私は両手を黒野の首に回して、ぐっとこちらに寄せる。

「は……?」
「一生、一緒にいてあげる」

 黒野は以降、無言であった。
 本当に、だとか、嘘じゃないのか、だとか、そんな言葉があると思ったが、実際には何もない。呼吸すら忘れてしまったみたいに静かだった。「黒野くん?」呼びかけても反応はない。仕方がないから待つか、と黒野の首にまきつく腕を解くが、黒野は全く動かない。「?」いつも大概異常だが、これはこれで異常だった。

「黒野くん」

 声をかけて、肩を揺すると、「え」押した方向にばたんと倒れた。椅子までひっくり返って私はこれはまずいと頭のあたりのナースコールを鳴らした。
 後から聞いた話によると、この時黒野の心臓は止まっていたらしい。
 しまった、ほっといたら死んだのか。と、思わないでもない。



 息子は、どちらかというと俺に似ていた。
 小学校に通い始めた息子は弱い人間をわざわざ助けてしまうような世間一般で言う強く善良な性質で。それはいい。そこはなまえに似ているから悪くない。
 しかし、母親によく見られようと異常に必死で、なまえの言う事は良く聞き、勉強も運動もしっかりするせいでなまえは大変にかわいがる。そんな風にかわいがられたことなど俺はないのだから、少しは父親に遠慮するべきだ、としばしば考える。

「ねえ、お父さん」
「なんだ」
「お母さんはどうして、お父さんのこと黒野くんって呼ぶの」

 お母さんも黒野なのに。などと、気にしなくても良いことを気にする。だが、それが優一郎くん、になるのも時間の問題なのだ。

「約束してるんだ」
「へえ、どんな」
「それは秘密だ」
「ふーん」

 興味がなさそうに俺の隣を歩いている。実際あまり興味がないのだろう。
 だが、俺はあの日のことは繰り返し思い出す。
 こいつの存在がなまえの中にあると発覚した次の日だった。なまえは俺の隣で俺が入れたココアを飲みながら言った。

「黒野くん」
「どうした?」

 熱かっただろうか。淹れ直すか。そう言おうか迷ったが、なまえが真剣な顔でこちらを見ていたからぐっと黙った。なにか、真面目な話があるらしい。俺はなまえのことならば大抵なんでもわかるのである。

「私たちの子どもを、私に隠れて虐めないって約束できる?」
「……俺は、お前の言葉なら全部守ってきただろう」

 とは言え、自信はなかった。俺は別に、なまえと一緒にいられれば良いのであって、なまえとの間に子どもができるだとか、そういうことには興味がない。ただ、なまえが欲しいと言うからそのようにしただけだ。
 故に、子どもがもし男なら、俺でない男を一生懸命世話をするなまえを見て、その子どもになにもしないでいられるかはわからなかった。
 なまえは俺と一生一緒にいてくれる、と言った後は身一つで俺の家に一緒に住むようになり、仕事もやめて、極力男と接触するのを避けてくれていたから、今までなまえとの約束を違えたことはない。だが、四六時中、三百六十五日邪魔者が増える、と思うと、

「もし約束して、実行してくれたら、その時は、優一郎くんって呼ぶから」

 ゆういちろうくん。
 その部分だけを脳内にガリガリと記憶させる。優一郎くん。

「今の、もう一度頼む」
「約束して」

 なまえの言葉にこくこくと頷く。なまえは本当に、一体どれだけ俺を幸せにしてくれたら気が済むのか。

「その約束を守ったら、何回でも呼んでくれるんだな」
「うん。とりあえず、この子が二十歳になるまで」
「わかった」
「もちろん、その後も約束を破るようなことがあれば呼び方は元に戻す」
「ああ。約束だな」
「約束。なんならダーリンとかでもいいけど」
「だっ」

 ちなみにこの後、俺は熱を出して一週間寝込んだ。
 ――優一郎くん。
 そのたった一回を反響させていると思わず鼻歌を歌っていることがよくあった。
 俺は俺の敵になり得る息子をちらりと見る。まだまだ小さい。

「はやく大きくなるといいな」
「お父さん、そればかりだね」
「俺はそれだけが楽しみだからな」
「親は普通、子どもに子どものままでいてほしいものじゃないの」
「必ずしもそうではない」

 ふーん、とまた興味がなさそうに言った。言い方がなまえに似ている。なまえに似ているところは悪くないと思うが、まあ、それだけだ。それにしても弱そうである。強くなりたい、なんて言ってくるようなことがあれば、俺は教育としてこいつを吹っ飛ばすことが許されるのではないだろうか?

「大きくなったら、ぼく、お母さんとけっこんしたいなあ」

 つい。
 近くにあった木を素手で殴り倒す。
 こういうことは割合によくある。落ち着け。こいつはどう足掻いてもなまえと結婚することはできない。大丈夫だ。それに子どもというのは総じてこういうことをよく言うものだ。いちいち真剣に取り合っていては、いつか約束を破ることになってしまう。
 隣を歩く息子は、大きな音がしたからそちらを見たという風に視線を動かして、それから俺を見上げる。

「大丈夫? お父さん」
「大丈夫だ。ああ。こういうときの為の約束だったんだと思うと、俺のなまえは本当に頭が良くて俺のことをよくわかっているんだと思うよ」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味だ」
「うん。お母さんはすごい」
「そうだな。よくわかってるじゃないか」

 あっ、と息子は遠くになまえの姿を見つけて走って行った。
 なまえもこちらに気付いて軽く手を振る。俺が胸を押さえて立ち尽くしている間に、息子はなまえのところに到達しようとしている。
 なまえは二人目の子どもを身ごもっていた。生まれる日までそう遠くない。そちらは顔も性格もなまえによく似た女の子だったら、まだ、かわいがることができるかもしれない。息子は「お母さん大好き」となまえに飛びついた。なまえは「私も大好きだよ」と俺が目下言われたくて堪らない言葉を惜しげもなく使用し、幸せそうに笑っていた。
 電柱に手を付く。いや、しかしこれに八つ当たりをするとなまえは怒るだろう。
 ……そうだ。
 あれは、俺の遺伝子を受け継いでいるのだから、つまり、俺である、よし。そう思うとようやく息が楽になってきた。
 俺もなまえのすぐそばで、息子ごとなまえを抱きしめる。しばらくはこうする度に鼻から血が出たものだったが、今はそういうことはたまにしかない。

「なまえ」
「なに?」
「愛している」
「ああ、うん。知ってるよ」

 俺もなまえに愛されている。
 例え、好きだとか愛しているとか、そういう言葉を言われたことがなくたって。俺の隣にずっといる一生一緒だ。なまえは確かにそう言った。今確かめたってそう言ってくれる。「約束だからね」となまえは言う。それ以上に何があるのか。

「帰ろうか」

 なまえを真ん中にして手を握って家まで帰った。
 こんなに幸せでいいのだろうか、と俺は毎日考える。


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20200616:以下、あとがき
読んで下さりありがとうございました!
夢主が好きすぎて常に死にそうになってる黒野さん書きてえな、と思ってたら書きあがりました。見るからにやべえ奴なのに好きすぎて自分から触れるのも怖いのでよっぽどのことがないと触ったりできないけど、夢主からなにかしらアクションがあると嬉しすぎてぶっ倒れてたら面白いな、でも他の人間がやられてたらめちゃくちゃ嫉妬するし簡単にこの世から消そうとするのでたまったもんじゃない、というような感じで考えて行った、のかな?
夢主から見てもかわいそうなくらい自分にはまっている黒野を見てとうとう絆されるという形になりました。死のうと思っても死ねないし、起きたら周りをどう納得させたのかこいつしかいないし、残念なくらい泣いて懇願されるし、「しかたない」って諦めるしかなかったんだと思います。
これどうやってハッピーエンドにするんだ?と思ってたんですけどどうですかね。これはハッピーですかね。黒野はハッピーでしょうね。それでいいんじゃないですかね。夢主も今となってはそう悪くもないと思ってると思うんですけどね。駄目ですかね……? 私にはもう判断がつかないので適当に楽しんで頂けていましたら幸いです。
次はまともな黒野さん書きたいです。

 

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