そして永遠の愛を誓う・中編


勝手な行動をやや怒られはしたものの、民間人の被害はゼロだった。黒野と一緒に事情を聞かれて、ようやく解放される頃には疲れきっていた。主に黒野にちゃんと話をさせるのに苦労した。ズレているのはわかっていたが、私が絡むと本当に話しにならない。
 どうにかこうにか説明を終えて、民間人の協力を得て鎮魂完了、ということで落ち着いた。黒野は呑気に私の顔を覗き込んで「大丈夫か」と言ってくる。「あいつ、うるさかったな」お前のせいだ。と思うのだが、ふと黒野の不健康に白い顔になにか煤のようなものがついているのを見つけて手を伸ばす。私を庇った時に瓦礫がかすったのだろうか。

「黒野くん、怪我……」
「大した怪我じゃ、」

 ない、と黒野は言おうとしたのだろうが、私の指が触れるとぴたりと硬直して動かなくなった。つ、と拭き取ると少しだけ綺麗になる。こういうのはちゃんと消毒したほうがいいのではないだろうか。
 私が頼んだのだから、私が手当をするべきだろう。このくらいの怪我の手当なら慣れている。

「黒野くん」
「……」
「黒野くん!」
「ん、ああ」
「怪我、ちゃんと消毒するからこっち来て」

 黒野は頭を押さえてしばらくまったく動かなかった。
 これはどういう反応なのだろう。
 などと。
 首を傾げていられたのはこの日だけで、次の日からこの日取った行動の全てを後悔することになる。



 なるほど、と思った。
 俺は適当なガラス片や自分の爪、そういったもので適当な傷を見えるところに作り、なまえに会いに行くようになった。なまえは面倒くさそうに視線を逸らすが、その内心配してこちらに来て、怪我に絆創膏を貼ってくれるのである。なまえは優しい。
 最初の二、三回は本当の怪我だと思っていたようだが、流石に何回も重なるとわざとやっているということがバレてしまった。それでもなまえは俺の体の手当をしてくれる。きっと天使に違いない。

「……黒野くん」
「大丈夫だ」

 なまえは「はあっ」と強めにため息を吐いた。もう、心配されているという風ではないが、なまえが俺だけの為に傷を塞いでくれていると思うと、幸せなのでそれでいい。
 ある日、なまえの近くのシスターが俺を見るなり悲鳴を上げた。

「……」

 なまえは険しい表情で俺の腕をじっと見つめる。何ということもない。ただ、なまえのことを考えていたら少し深くえぐり過ぎて、滴る程に血が出ているだけの話だ。「あのね」なまえは言いながら俺に詰め寄った。成長する過程で随分身長差ができてしまったので話しやすいように屈む。なまえは一層不愉快そうにしていた。乙女心というのは難しい。

「わざとやってるでしょう」
「……なんのことだ」
「自分で自分に傷、つけてるでしょう」
「……」

 やっていない、と言おうと思ったが言葉が出なかった。俺は昔から彼女には嘘を吐くことができない。せいぜい黙って時間を稼ぐのだが、なまえは今日は俺に触れもせずに言い放つ。強い口調だった。

「次怪我した状態で目の前に現れても、私、なにもしないから」
「……」

 ぽた、と俺の血が地面に落ちる。

「血、流しっぱなしで教会に来ないで。みんな怖がる」

 俺から言えることはない。「だが」も「しかし」もろくな言葉に続かないだろう。下手な言い訳をするよりも、今、血を流していなければ来てもいい、と言われたことを喜ぶべきだ。

「……わかった」

 折角いつも彼女に構って貰える方法を思いついたと思ったのだが、またやり直しだ。それになまえは今回とてもとても怒っていた。次はなにもしないから、と言いながら、今日も何もしないで行ってしまった。
 俺はしょんぼりと教会を出る。しばらく血は流れ出ていたが、なまえに機嫌を直してもらうためにはどうしたらいいのか考えていたら痛みは忘れた。



 しばらく黒野の姿を見かけなかった。
 このまま諦めてくれますように、そんな祈りも虚しく、半月ほど経過したあたりで黒野に声をかけられた。普段はこちらが無視し続ければ声をかけてくることはほとんどないのだが。黒野に声を掛けられた、と、それだけの理由で嫌な予感が湧き上がる。

「これを」

 言われて黒野の手のひらに視線を落とすと、小さな紙袋を手の上に乗せていた。無言でいると「もらってくれ」と黒野はこちらに少し、手を寄せた。触れそうになる指先が震えている。
 彼は私が触れたり大事にしたりするものに狂ったように嫉妬するくせに、いざ私に触れようと思うと難しいようで、手は一定以上近付いて来ない。何故、と考えたことがある。もしかして嫌われたくないと思っているのでは、と思い至って考えるのをやめた。もしそうだとしたら破綻している。なにもかもが壊れている。

「なんで?」
「手間をかけさせたからな。もう、怪我はしない」

 誓う、と黒野は私を見下ろしている。私は黒野と一度目を合わせて、もう一度黒野が差し出す贈り物に視線を落とす、この贈り物自体に罪はないが、一つ貰うと次の日もまた持って来そうで手が出ない。

「いいよ、いらない」
「貰ってくれ」
「いらないって」
「頼む」

 まるで私がいじめているみたいだ。切ない声でそう言われて、私はこの場から逃げてしまいたくなる。

「……いらない。君、受け取ると際限ないんだもの」
「そうなるだろうな」

 それもそうだ。だが、それのどこが問題なのか。黒野はそう思っているのだろう。「物なんか特に、貰っても困る」ここまで言うと流石の黒野も私が本当に嫌がっていることを察して「ふむ」と考え始める。

「……なら、これは、誕生日。なまえへの誕生日プレゼントだ。まだ先だが、そういうことにしておいてくれ。なにか物を贈るのは、あとはクリスマスに一回だけの、年に二回、だけにする。それならどうだ」
「それ、絶対守る?」

 言ってしまってから、間違えた。と思う。二回ならいいとか、これはそういう問題ではない。そもそもくれるというのが迷惑なのだ。訂正しようとしたが、黒野が目を輝かせて身を乗り出し「守る」「絶対に」などと言うものだから諦めた。
 全部を駄目だと言うともっととんでもない約束をすることになりかねない。これでよかったと思うことにして頷いた。

「わかった」

 そのまま黒野は満足して帰って行った。
 私は一度自室に戻り包装紙を解いてみる。中に入っていたのは小さな銀の花の細工が上品な髪飾りであった。これはきっと修道服と合わせても良いし、嫌いなデザインではない。割合に好みだし、下手をしたら自分も買うだろう。しかし。

「はあ……」

 黒野の顔を思い出す。あれが選んだのだと思うとやはり素直に髪に付ける気にはならなかった。考えに考え抜かれてこれなのだろう、とわかってしまってまた暗澹とした気持ちになる。

「勘弁してよ」

 こういうのは、なかったことにしてしまうのが一番だ。
 黒野は、私がこの髪飾りをしていないからと言って、どうしたのか、なんて聞いてくることはないだろう。
 投げると、ゴミ箱の底で、かん、と音がした。残響が大変に不快だった。



 あれから何度か教会に来てなまえの様子を確認しているのだが、俺が選んだ髪飾りはつけてくれていない。苦々しくも受け取ってくれたのだから、一度くらいはつけてくれただろうか。いや、受け取って貰えただけで今は充分かもしれない。最近は彼女との間にいろんなことが起こる。距離も近付いているのではないだろうか。
 なまえはずっと忙しそうにしていたから、声をかけられそうになかった。仕方がないからと教会から出ると、なまえの声がした。声のするほうに足を進めると、あれは教会が保護している子供なのだろうか。きゃあきゃあと随分盛り上がっている。
 建物の影に隠れながらじっと眺めるが、一人が鈍くさくも転び、なまえに抱き起されていて嫉妬で狂いそうになる。そいつは男だろう。自分で立つからそんなに丁寧に起こす必要はない。更に頭まで撫でられている。
 なまえは優しいから仕方がない。
 だが、ずるいだろう。子どもだからと言って甘やかしすぎるのは良くない。弱いのはいいことだが、なまえは駄目だ。やらない。腸が煮えくり返る。今にも黒煙を出して首を跳ね飛ばしそうだった。ああ。しかし。
 ずるい。ずるいな。

 俺と代われ。

 そんな時だ。なまえが不用心にも席を外してどこかへ行く。子供たちだけで適当に遊んでいるようで、他の人間の大人の眼はない。
 それだけ確認したら充分だった。ふらりと子供たちの輪に入り込んで、なまえに抱きしめられてた子どもの頭に手を置き、持ち上げる。

「いいな。お前は」

 それがまかり通るなら。子どもだからという理由で甘えられるなら、俺だって。
 子どもたちがきゃあきゃあ言って叫んでいる。俺にいとも簡単に持ち上げられた子どもは何が起こったか分からない様子でただ怯えていた。

「俺はどうしたらいいと思う?」

 ぎり、と掴む力を強めると頭にこつ、と何かが当たる。視線を落とすと震えながら何かを投擲したらしい子どもがこちらを見つめていた。ああ、こいつは確か、なまえとハイタッチしていたか。
 こいつでもいいな。
 周囲がだんだんと騒がしくなっていく。だが、大人が俺の邪魔をしに来る気配はない。そんなもんだ。誰が来たところで、俺が止まることは。

「黒野くん」

 離す。
 これは、ほとんど反射だった。
 びく、と俺は子どもではないけれど怒られた子どものように体を震わせて「なまえ」なまえは俺の顔を見るなり右手を振り上げ、俺へと振り下ろす。

「いい加減にして」

 すぱん、と頬を張られた。
 そっと、叩かれたあたりを指先で撫でる。
 触れられた頬が、とても熱い。
 ああ。よかった。また、触って貰えて。

「もう二度と、ここには来ないで」

 ふわふわとどこかへ行ってしまいそうだった思考を引っ張り戻す。
 はっとしてなまえを見ると、俺に向けられているのは間違いなく殺意だった。銃を一丁か、なにか俺を殺す力のあるものを与えられたら、なまえは迷わず俺を亡き者にする。そんな気がして悲しかった。「なまえ」

「それは」
「返事は」

 こちらの話を聞いてくれそうにない。最も、なまえはいつも、俺の話は聞いているのかいないのかわからないけれど。

「……」

 できない、と思った。そんなことはできない。ここに来ないと言うことは、なまえを見ることができなくなるということだ。俺にはそんなもの耐えれない。なまえは俺の視界にいてくれるだけで、俺がどれだけ安らかな気持ちになるか知らないから、あんなに残酷なことを言えてしまうのだ。
 なまえに俺は必要ない。
 それはわかっていたが。
 なまえが人に手を上げるところをはじめて見た。それはとても心が痛むような、はじめてを貰えてうれしいような。一生俺だけであればいいと思う。ああ。やはり駄目だ。考えているとどんどん上向きになってしまう。俺はなまえに関することを考えていると悲観的になれないのだ。
 しかし、事実として。
 きっと、嫌われた。



「なまえさん、あの人、また……!」

 呼びかけられてすぐに飛び出す。
 黒野も腐っても社会人である。毎日というわけではないが、暇さえあればここに来て、無差別に子どもや老人なんかを痛めつけて遊んでいる。そんなクソみたいな趣味は私の目の届かないところでやって欲しい。学校が別々になってからはそうしていたはずだ。
 一体何故。と考えるが、答えは秒で出て来る。
 そうしていれば、私は止めに入るしかないから。

「黒野!」
「なまえか。早かったな」

 標的になってしまった人はただただ怯えていて、黒野は私の顔を見ると満足した様子で帰っていく。
 私はその日、フォイェン中隊長に呼び出された。クビもあり得るな、と執務室へ行ったのだが、フォイェン中隊長は真剣な顔をして「見回りを強化して、必要なら戦闘して大人しくしてもらいます」と言った。

「……ごめんなさい」
「何故貴女が謝るんですか」
「謝ることくらいしかできなくて」
「そんなことはありませんよ。こう言ってはなんですが、彼が異常なんです。だから、貴女が心を痛める必要はないんです」

 大丈夫です。ここは第一特殊消防隊の教会なんですから。と彼は言うが、こんなことが皇王庁あたりに知れたら間違いなくクビである。バーンズ大隊長までで止めておいてくれているからまだ、私はここにいられるのだ。大分、同僚からの視線が痛いが。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「いえ、大丈夫じゃないんですけどね」

 フォイェン中隊長がふっと笑って私の手を取った。私は思わず周囲を確認してしまう。こんなところを見られたら、とつい思った。「私は大丈夫ですよ」とフォイェン中隊長が言うので、私は小さく息を吐いた。

「できることがあれば教えてください。弱音を聞くことも、こうやって傍にいることもできますから」
「……」

 救われる、というよりはやはり、心が痛む。
 こんなに良くして貰っているのに、私があれを呼び込んでいるのだ。要らない仕事を増やしてしまっている。
 何よりつらいのは、私はあれを止める方法を知っているのに実行していない、という点だ。
 私は私を犠牲にすることにより、黒野がここに来るのを止めることができるだろう。極めて安全に言うことを聞かせることも可能なはずである。私が私を諦めれば、全てうまくいく。だが。それは。それだけは。

「ごめんなさい」
「謝らないで。私は貴女が」

 どおん、と爆発音が建物を揺らした。出動警鐘ではない。しばらくすると廊下を駆ける音と一緒に「なまえさん! なまえさん!」と私を探す声も聞こえてくる。あれが来たらしい。
 外へ飛び出して行こうとする私の腕を、フォイェン中隊長がぐっと掴む。「中隊長?」

「貴女はここにいてもいいんですよ」
「そんなわけにはいきませんよ」
「私達でなんとかします」
「駄目です。あいつとはまともに戦っちゃいけない」

 早くいかなければ。

「私が、止めないと」

 フォイェン中隊長は「わかりました」と腕を離してくれた。「では、行きましょう」また、胸が痛んだ。ごめんなさい。今度は心の中だけで伝えた。ごめんなさい。
 騒ぎの中心へ向かうと、カリム中隊長と交戦中だった。私はまず黒野の視界に入らなければと突っ込む。
 氷と黒煙とが飛び交い、戦闘素人の私は何も考えずにただ真っすぐ走る。

「黒野くん!」

 黒野はぴくりと反応して、その反応したのがまずかったのだろう。両断した氷の欠片が勢いよくこちらに飛んでくる。私に、咄嗟に避ける、だなんてことはできない。「なまえ!」とフォイェン中隊長が呼ぶ声が聞こえる。氷の破片は、ぴ、と頬を霞めて飛んで行った。

「!」

 カリム中隊長が武器を構え直す、隙あらば氷漬けにしてくれようというのだろうが。黒野は青い顔をして私の頬を手で包んだ。

「違う、俺は」

 なんだ、と私は状況が読めないで立ち尽くす。頬を押さえられているから上手く喋ることもできない。馬鹿力め。「すまない」黒野が泣きそうになりながら言う。

「お前は。お前だけは」

 縋りつくように膝を折って私と視線を合わせる。

「怪我をさせたかったわけじゃ」

 ああ。と思う。
 私はケガをしたらしい。だが、体感としては大した傷ではない。それでも、まるで命に係わる大怪我のように黒野が狼狽える。しきりに指を動かして私の頬を撫でている。

「本当に、違う。そうじゃない」

 許してくれ。と黒野は言った。「いいから」と私は黒野をいつものように追い返し、カリム中隊長やフォイェン中隊長に何度も頭を下げた。
 頭を下げながら考える。黒野は私に傷がつくのが嫌である、らしい。
 ならば、これは光明だ。
 この方法は、私があれの傍に一生居る約束をするより、ずっといい。きっと黒野には堪えるだろう。そうと決まれば、まず、用意するものは、
 ――よく切れる刃物だ、一つあればいい。


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20200615

 

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