ひと月遅れのはじめまして(17)


「おはよう」

と、黒野が言った。そしてなまえは、知らない部屋で目を覚ました。思考が停止する、とはこういうことを言うのだと、すっかり見慣れた黒野の顔を見ながら思う。黒野は続ける。

「普段もこんなに早く起きるのか?」

黒野は、なまえのすぐ隣で体を横にしていた。なまえはまず昨日のことを思い出すところからはじめる。昨日は金曜日。飲みに行って、楽しくてしょうがなくて。楽しい気持ちに任せて飲んでいた。こんなことははじめてだが、後半の記憶がない。結果としてここは恐らく黒野の家で、黒野の隣で寝ていた。

「あ、ああ、く、くろ、黒野さん」
「どうした? 二日酔いか?」
「いえそれは大丈夫なんですけど、私は、私はなにかとんでもないことをやらかしましたか? 昨日の私は、一体なぜ、黒野さんに担ぎ込まれる事態に?」
「特に何もやらかしていない。お前はほぼ寝てただけだ」
「あああその寝てたのがまずいですよごめんなさいすぐ帰ります……」
「シャワーくらい浴びていけばいい。朝飯もあるぞ」
「いやでも、そんなにお世話になる訳には」
「風呂はすぐ入れるようにしてあるが」
「う、」

わざわざそうしてくれたのだと思うと頭から断ることはできなかった。風呂を借りることにする。着替えはこれをと自分のシャツを押し付けてくる黒野を「すぐ帰りますから」と
振り切り、できうる限り平静を装って風呂に入って、そして出た。全く落ち着かない。
身だしなみを整えてすぐに出て行こうとしたのだが、黒野がテーブルに朝食を並べていてこちらも無視はできなかった。塩胡椒の加減が絶妙なタマゴサンドを御馳走になった。このままでは昼も一緒に食べることになる。なまえは片付けを手伝うと深々と頭を下げた。

「本当に、大変に、お世話になりました……」
「まだいたらどうだ」
「いえいえ、いくら親友と言えどそう無遠慮にいつまでも居座る訳にはいきませんよ」

ははは、と笑うと、黒野がややむっとして言う。

「違うぞ」
「へ」

流石にやらかしすぎたか、友人関係は解消か、と心配する隙間はなかった。黒野はじっとなまえを見下ろして、大真面目な顔をしている。

「俺とお前とは昨日恋人になった」

恋人になったらしい。なまえはまた頭の中が真っ白になるのを感じる。恋人。恋人? 服はしっかり昨日のままだし、体になんの違和感もないからただ一緒に寝ていただけだと信じて疑わなかったが、まさか、という思いが強くなる。恋人になっていることは別にいい。しかし、まさか。まさか。自分は黒野と。

「え……え? き、きの、きのうのよる、え、まま、ま、まさか、いやそんな、え、私たち、え?」
「大丈夫か?」
「恥を承知で聞きますが昨日の夜、もしかして、しちゃったんですか?(セックスを)」
「ああ、(告白は)もう済んでる」
「ひえっ」

なまえは思わず頭を抱えた。そんな性急なことがあっていいのか? 自分の方が酔った勢いで迫ったのではないか? 流石にそこまでは聞けずになまえは頭を抱えてうずくまった。若干頭が痛くなってきた。一度現実逃避を挟まなければ現実を見られそうになくて、なまえは同じくしゃがみこんで背中を擦る黒野と向き合う。

「黒野さん、服元通りにしておいてくれるなんて優しいんですねえ…」
「服は触っていないが?」
「あれ?」
「ん?」
「え?」

なまえと黒野は揃って首を傾げた。有耶無耶にしておくことできはない。腹を決めるしかない。なまえは改めて記憶が曖昧であることを黒野に伝えた後、なにがあったのかを一つずつ聞いていく。なんのことはない、なまえが酔って告白をした後、すぐに眠ってしまったから家に運んで、隣で寝ていただけだそうだ。なまえは全身から力が抜けるのを感じた。

「な、なんだ! よかったあ」
「ところで、覚えてないならもう一度いいか。実は先に言われてしまって悔しい思いをした」
「へ?」

黒野はなまえの手を掴み、親友であった時より距離を詰めた。真正面から至近距離で黒野を見ていると、顔に熱が集まってくる。

「好きだ。俺と付き合ってくれ」

その告白に、結婚を前提に、という意志が隠れていたことに気付くのは、もう少しあとの話になる。

「は、はい。私も、黒野さんが好きです」
「よし」

言いながら、黒野はなまえをベッドに戻して、自分もその上に乗る。想定されていない二人分の体重に抗議するようにベッドが軋む。「え」

「ああああああそれは、それはまだ、もうちょっと、黒野さん、黒野さん待って助けて下さい!」
「俺が迫っているのに、俺に助けを求めるのはどうなんだ」
「他に誰に助けを求めろっていうんです。私は知り合い少ないんですよ!」
「……」

なまえの必死の訴えは何故か黒野の心を動かしたらしい。

「……仕方ないな」

はじめから、冗談のつもりだったのかもしれない。あまりにあっさり引き下がるのでなまえはそう考え始めるが、離れていく黒野はあまりに名残惜しそうで、半分は本気だったのだとわかってしまった。

「今日のところはこれでいい」

離れるふり、だったのか、今思いついたのか。黒野はなまえの首筋に口付けをして自分の唇をぺろりと舐めた。なまえはしばらく両手で顔を隠していたが「いつまでもそんなところで寝ていると気が変わるかもしれないが」と脅され赤い顔のままベッドから飛び起きた。
二十三日、やっぱり泊まっていけと何度も言う黒野を振り切って家に帰った。が、来週はなまえの家に黒野が泊まりに来る事になった。金曜夜からみっちり日曜まで居たいそうだ。


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20200523

 

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