ひと月遅れのはじめまして(15)


「黒野さんと付き合ってるの?」とついに聞かれたが、なまえは「親友です」とすぱりと答えた。親友だ。「親友?」「親友なんです」親友というのは、朝、家まで迎えに来て、昼は一緒に昼食を食べて、勤務時間が終われば家まで送ってくれる関係を現わす言葉ではないと理解している。強いて言うのならば黒野に過保護にされている状態、となるだろう。同じ事務室で働く何人かと、同期の女子には「それは大丈夫なの?」と面白がられるより先に心配されて、灰島は案外良い人ばかりだとなまえは大袈裟に頷いた。
「本当に大丈夫なのか」と詰め寄られるとなまえは黒野からビタミン剤を貰った話をする。大抵それで危険はなさそうだと判断される。毎回聞かれるのも面倒になってきたところで、遂には直属の上司にまで声を掛けられた。

「やめたほうがいい」
「やめるってなにをです?」
「子供を甚振っている姿を見なかったのか?」
「あれは仕事ですよね?」
「違うな。あれはあの男の趣味だよ」

わざわざ少人数用の会議室に呼び出されて、これはほとんど面談であった。この上司は前々からなまえと黒野との関係についてよく思ってはいなかったようで、黒野が事務室に現れる度に不機嫌そうに表情を歪めている。黒野ことが好きではないのかもしれない、となまえは考えている。
はじめは気付かなかったが、最近になって、黒野に書類を届けさせたのも、彼の言うところの黒野の『趣味』を見せたかったからなのだとわかった。「君もそのうち、ああいう目に遭う」

「次は君だぞ」
「大丈夫ですよ」
「そんな保証はどこにもない」
「それを言うなら、私が同じ目に遭うという根拠もありません」
「根拠なら見たはずだ」
「黒野さんは案外普通の人ですよ」
「馬鹿な。あいつはただの異常者だ」
「ならば私も異常なんでしょう。私はあの人の親友ですから」

変わり者であるが、感性が素朴すぎてかわいい人だと最近は思う。「っ」なまえの飄々とした態度が彼を煽る形になったのだろう。上司は机を思い切り殴って大きな音を立てる。普段の様子からは予測できない激情に、なまえはどうしていいかわからなくなった。

「お前は、何処までも俺の厚意を無碍にするな」
「そんなつもりはありません」
「渡したメモを捨てただろう」
「メモ?」
「黒野に書類を届けさせた日だ」

ああ、と呑気に声を出すことはなかったが、メモの裏に数字が書いてあったのを思い出す。あの番号は、この人の連絡先だったらしい。そうだったかもしれない、と気付いたのは捨てた後だった。捨てる前だったとしても、結果は変わらなかったと断言できる。相当に面倒なことになっている、となまえは俯いて考え込んでしまった。
ぬっと、上司の手のひらがなまえに伸びる。
椅子を引いて逃れようとするが、髪を掴まれた。

「離してください、これは、誰のためにもならない」

暴れると、なまえの手の甲が男のスーツの胸のあたりにぶつかり、何かが飛んだ。ポケットの奥から飛び出したのは、ここ数日見当たらないと思っていたペンだ。やめるべきなのはこの男の部下であることだな、となまえは抵抗を続けた。
なまえの逃げようとする力は簡単に絡めとられて、もつれるように床に倒れた。男がにたりと笑って何か言う。イイ眺めだとか、きっとそんなことだった。体を足で押さえられて動けない。両手の力はこの男の片腕の力に及ばない。あとは噛みつくくらいしかできることはない。完全に自由になった男の腕がなまえに伸びてきたが、触れる直前、鍵ごと扉が吹き飛ぶ音がした。灰のにおいがする。

「……そうだな。弱い人間を甚振るのは面白い」

それはわかるさ。と黒野は言う。
ぎら、と射貫くような光りを持つ金の瞳を見ると、すっかり体の力が抜けてしまった。

「弱いやつはいい。吹っ飛ばしてもいいし、水に突き落としてもいいし、単純に泣かせてもいいだろう」

黒野の右手がなまえの上司を持ち上げる。

「お前も、弱いな?」

黒煙が上司の体に巻き付いて、彼は小さく悲鳴を上げた。黒野は分別があるのかないのか。騒がれては面倒だと思ったようで早々に上司を締め上げて意識を奪い、部屋の隅に放り投げた。
黒野はなまえの前にしゃがみこんで、じっとなまえを見つめていた。大丈夫か、だとか怪我はないか、だとかそういう言葉はない。ただ、なまえを見ている。なまえもまた、黒野の瞳を覗き込んで、彼のことを見ようとした。ゆらり、と目の中の光が揺れる。なまえには黒野が不安がっているように見えた。
なまえは立ち上がる。埃を払って、黒野にそっと手を伸ばす。

「黒野さん。お腹すきませんか」
「……」
「黒野さん」
「……そうだな。なにか、定食でも奢ってやろう」
「メロンパンがあるのでいいです」
「俺と半分ならいけるだろう」
「いや、たぶん、三分の一でも厳しいような……」
「大丈夫だ。お前なら」
「単純に食欲湧かないですよ。メロンパン一つでもいけるかどう、」

廊下の真ん中だったが、黒野はなまえを抱きしめた。幸い、周囲に人はいないようだ。なまえの耳元で、黒野は何か言いたそうにしていたが、結局彼はなまえにかけるべき言葉が見当たらなかったようで、しばらくするとなまえの体をそっと離した。「……」離したけれど三秒後にもう一度抱きしめた。抑え込むような深い息遣いが言葉になることはやっぱりなくて、またそっと体を離される。なまえも何を言うべきなのかわからなかった。異性の親友ができるのははじめてだから、仕方がない。少し早いがそのまま食堂へと向かった。
五月二十一日、廊下の角を曲がるまで、手を繋いでいた。


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20200521:遅れて――――すいませんでした―――――!!!!

 

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