愛のつもり/火縄


重力に果敢に立ち向かう、毛束がひと房あった。

「なまえ、寝癖が直ってないぞ。後ろを向いてじっとしていろ」
「え、いい、大丈夫」
「大丈夫ではない。だらしがないだろう」

なまえは、「お前のそのダサい帽子はいいのか」とため息と一緒に吐き出しそうになったが、なんとか踏みとどまって火縄に背を向け真っ直ぐに立つ。
火縄はどこからか櫛を取り出して数秒でなまえの髪を直してしまった。

「これでよし。行っていいぞ」
「ああ……、うん……、ありがとう……」

それが朝の出来事で、次いで、朝食時には顔にかかる髪の毛をわざわざ火縄がなまえの耳にかけ、水仕事をした後のかさかさとした手にハンドクリームをどうしてか火縄がなまえに塗り込んで、ツナギを着崩しているとぴちりと一番上まで火縄がなまえのボタンをはめる。なまえはおとなしくしたいようにやらせているのだが、昼頃から耐えられなくなってくるらしく、いつも、食事の仕方や箸の持ち方にまで口を出してくる火縄に「ウルサイ」と一喝して黙らせている。
それから大体夕方までは何事もなく、昼にうざがられたとしても夕方には突っ込まずにはいられなくなるのか、再び火縄はなまえへあれやこれやと声をかけ始める。なまえは面倒くさそうに返事をして、言われた通りにしたりしなかったり。

「……、あ、愛されてますね、なまえさん」
「……」

気の毒そうな視線を投げられながら、最後まで執務室に残り、シャワーを浴びて自室に戻ろうと言う時。あまりしっかりとは乾かされていない髪を見咎められて。

「なまえ」
「あーー、もう、大丈夫だってば! 私のことはいいから! 自分のことをやってなさい!」
「? 俺は自分のことは自分で出来る」
「わーたしだって自分のことは自分でできます!!」

第八の名物とも言える光景になりつつあるが、なまえはまだ諦めていない。大隊長に相談してもダメ、後輩が入ってきてもやめる気配は無し。日々手を尽くしてやめさせようとするのだが、一時は収まったとしてもその日の内に元に戻る。生暖かくなまえに微笑む後輩。大隊長とは最近用がないと目が合わない。だとしても。

「とにかく、いいから」
「風邪を引くぞ」
「引かない。ここ二、三年引いてない」
「待て」
「待たない」
「待て」
「いだだだだ! 掴むな頭を!」

なまえは大きく溜息を吐きながら火縄に振り返る。見慣れたというよりは見飽きた顔だ。顔ばかりは人間そうそう変わらないから当然だ。なまえは痛みのあまり折れかけるが、タオルを持った手には捕まらないようにひょいと避ける。

「……動くな。大人しくしていろ」
「なんの犯人だ私は。だから、大丈夫、だってば」
「俺がしなければやらないだろう」
「いや、床濡らすくらいべったべたなら考えるけど、このくらい大丈夫だって。いつもだし」
「やらないだろう」
「やらないけども」
「時間の無駄だな……、こっちに来い」
「だから、い、ら、な、い」
「……」
「……」

眼力に押されそうになるが、長年の付き合いでめぢからくらいでは押されない。なまえはじっと火縄を見上げじりじりと距離を取り続けている。

「そんなに嫌か」
「嫌だわ! なんでただの幼馴染にそこまでされなきゃいけないんだ! あと周りからの目! 皆ドン引きなんですが!」
「今は二人だ、周囲の目はない」
「ああ言えばこう言うねえ!!」

誘われたからと言って安請け合いして入るんじゃなかったか? 軽く後悔する程に嫌である。が、その気持ちを当の火縄が理解してくれる様子は一切ない。嫌か、と問うくせにやめる気はないのである。今でも、隙あらばなまえを捕まえて髪を拭こうと狙っている。

「なまえ」
「ともかく! そういう訳だから! おやすみ!」
「なまえ」
「今度はなんですか!」

外はもう暗い、二人しかいない廊下に、なまえの声が反響している。
なまえも、それから火縄もシャワーを浴びて来たところだからか、空気は、やや湿っていた。

「……明日の朝食はお前の好きなものにしてやる。それでどうだ」
「食い下がるなあ!?」

火縄の表情には、変化がないように見える。
見える、が。
なまえには、
ひどく、
残念そうに……。

「……」
「…………」
「…………あー、もう、わかった、わかったから。気が済むまで拭いたらいいよ……」

なまえは不承不承火縄に背を向け髪を預ける。
嬉々として髪に触れる、そんな気配がわかってしまって、余計にげんなりとする。一体なにが楽しいのか。

「よし、終わったぞ」
「はいはい、ありがとうございました!」

ひらひらと手を振り、振り返ることなく廊下を歩きだそうとする。

「なまえ」
「今度はなあに!」
「おやすみ」
「……明日の朝! フレンチトースト! おやすみ!」

「わかった」と火縄は小さく笑ってなまえに、ようやく、背を向けた。なまえはがっくりと肩を落とし、その後五度ほど溜息を吐きながら自室へ戻った。
今日も結局、こうなった。


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20191029:ぜっっっっっったい恋愛不器用すぎてヤバイと思う

 

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