ひと月遅れのはじめまして(13)


外部からの電話の対応を終えて受話器を下ろす。はあ、と大きなため息を吐くと、上司に「どうしたの」と聞かれた。一瞬、なまえは話をするべきかどうか迷うがなんとなくやめておいた。「なんでもないです」下らないことだ。よくわからない男からの電話であり、向こうは名前も名乗らずにひたすらセクハラのような質問攻めをしてきたというだけの話だった。下着の色なども聞かれた気がして、なまえは吐き気を覚えると同時に、そんな人間が存在することに嫌気がさした。

「どうした?」

食堂のいつもの場所でぼうっとしていると、黒野はなまえの顔を見るより先にそう言った。この男は案外なまえのことをよく見ている。いつから見ていたのかを聞くことは、もう造作もないけれど、自然な流れで聞ける時もくるだろうとあえて聞いていない。

「いえ、ちょっと変な人の相手をしただけです」
「ちょっと変? それは、どう変なんだ」
「電話でセクハラされたんです」
「セクハラ」
「すっごいぼそぼそ喋られていまいち聞き取れない箇所もあったんですけど、開口一番下着の色聞かれました」
「……」

下着の色の他にももっととんでもないこともいくつか。黒野はじいっとなまえを見下ろして何かを考え込んでいる。ひどいめにあった、となまえは思っているのに、黒野が隣に座った瞬間から少しずつ落ち着いてきた。

「相手の顔と名前と住所と勤め先は聞いたか」
「え、」
「聞いたのか?」
「いえ。適当にあしらって電話切りました」

そうか、と黒野は舌打ちしそうな不機嫌顔で俯いた。わかっていれば、燃やし尽くしてやったんだが。黒野は本当にやりそうだった。実際やるのだろう。なまえは黒野が静かに怒っているのを見てありがたい、と思う。更に緊張が解けていった。「大丈夫ですよ」大丈夫だ。これはただの愚痴なのである。接客中におかしな客に当たった。それだけだ。


「直接来たらどうする」
「あんな馬鹿なこと、電話だから言えたんだと思いますよ。直接はきっとありえません」
「何故そう言い切れる。そうだ、なまえ」
「はい?」
「しばらく家まで送って行く」
「えっ、い、いいですよ、そんなの」
「送って行く」

こうなると黒野は頑なだった。明日も明後日も仕事はあるのに、この勢いだと毎日でも送ってくれるのだろう。黒野の帰る時間が遅れてしまうのはあまりにも申し訳ない。しかし、考え直してもらう為の良い言葉は思いつかなかった。「じゃあせめて、時間が遅い時はいいですから」「遅い時こそ必要だろう」残念ながら、黒野の言葉は間違ってはいない。
なまえがどうしたものかと悩んで唸っていると、家まで送ると決めている黒野はもう次のことを考え始めていた。

「ところで、下着の色を答えたのか?」
「答えませんよ」
「ならいい。ちなみに俺になら教えられるのか?」
「ええ? そんなもの知りたいですか?」
「親友だからな」
「親友だからって異性に今どんな下着つけてるか喋るのはやや引きません?」
「恥ずかしいなら俺のを先に見るか?」
「見ないです」
「見ないのか」
「見ないです」

黒野は露骨に残念そうに息を吐いた。なまえはその様子を横目で見ていて、ふく、と堪え切れずに笑っていた。食欲が湧かなくてまだ食べていなかったメロンパンをようやく袋から出した。五月十九日、この日から、一緒に帰るようになった。


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20200519

 

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