ひと月遅れのはじめまして(12)


今日はどこのメロンパンにするか考えながら家を出た。極めてぼうっとしていて、なんの備えもしていなかった。突然休みになったりしないだろうか、職場が爆発するなら誰もいない今のうちに、などと、なまえは眠気に後押しされる形で物騒なことを想像した。そんな時にだ。マンションを出てすぐだった。

「なまえ」
「うわあ!?」

こんな所で下の名前で、しかも至近距離から名前を呼んでくる人間なんて一人もいない。なまえは思わずひっくり返りそうになったが何とか耐えた。
ばくばくと鳴る心臓を押えながら相手を確認する。黒野だった。

「? どうした。なにかあったか」
「いや、く、黒野さんが予想外のところに居て気づくより前に話しかけられたから驚いたんですよ、ああ、びっくりした……」
「そうか」

なまえが出入口から少し逸れると、黒野もそれに習い、少しだけずれた。一体今日はどうしたのか。なまえはそう聞いてみようと口を開くが「なまえ」と黒野がまた名前を呼んだ。「なまえ、」

「俺たちは随分長い間友達をやったと思わないか」

どきりとする。
なまえは自分のことを勘が良いとは思っていないが、黒野のここ二週間の様子は普通ではなかった。気に入っているとか、気まぐれだとか、そういう軽い感情ではないことくらいはわかる。

「い、一週間が長いならそうとも言えますかね……?」
「長くないのか? 長いということにしておいてくれ」

なまえ、とまた黒野は呼んで、本題へ迫る。

「ここまで親しく友人を続けてきたわけだが」
「は、はい」

どうするべきか、もし、本当にそう、ならば。
どきどきと、驚かされた時とよく似た音が体からしている。黒野はゆっくりとした語り口で諭すようになまえに言う。

「これだけ親しければ、俺とお前とは親友と言っても差し障りない」
「ああ、そっちですね」
「どうだ?」

なまえはつい、ほっとしてしまった。黒野のことはよく分かってきたが、まだ、友人でいたいとなまえは思っていた。とは言え、黒野の言葉がなまえな予想通りだったとしたら、断ることができたのか、それはわからない。たぶん、無理だった。

「どう、どうでしょうね……」
「俺はいいと思うんだが」
「悪くは無い、と思いますよ、仲が良いのはいい事です」
「それで?」

こうも自信満々に親友になろうと言われると、自分の考えは見当違いなのではという気がするけれど。

「……私も、差し障りない、と思います」

親友になってみるのも、悪くなさそうだ。今週は何が起こるのだろうか。楽しみだ。楽しみだけれど、黒野の宣言が、その言葉ではなかったことを、残念がっている自分もいることに気づく。安心したけど、がっかりもしたのだ。乙女心は複雑だった。

「よし。親友ともなれば、二人の時間をもっと伸ばしても問題ないな」
「……」
「どうした」
「いえ、あの、あー、黒野さん」
「なんだ?」

なまえの気など知りもしないで上機嫌そうな黒野になにか驚くようなことをお見舞いしてやりたくなるが、首を傾げる黒野との距離がいつもより近くて顔を逸らしてしまった。

「……やっぱり、なんでもないです」

この人はきっと私のことが好きなのだろう。ほとんど確信のようなものだ。なまえは、五月十八日から黒野と一緒に出勤するようになった。隣を歩く時、彼がずっと、なまえの無防備な手のひらを気にしていたことには、もう、気付いている。


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20200518

 

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