ひと月遅れのはじめまして(9)


特に約束がなくても駅の外に黒野が待っている。そういう日が三日目ともなると彼も好きでやっているのだろうと気にしなくなった。彼も暇というわけではないだろうが、彼と友人になるということはこういうことなのだろう。
そして食堂でまた。

「……ん?」

黒野はいつもの席に先に座っていた。しかし、あれは彼の同僚だろうか、上司だろうか。スーツの男性と親し気な様子で話しをしている。ここからでは何の話をしているのかわからないが、何の話だったとしても間に入っていくのは憚られた。いつもと違う席に座って持って来たメロンパンを齧る。
家の最寄り駅の近くのパン屋のものだ。メロンパン以外だと、チーズとハムが入ったパンがなまえのお気に入りで、あのパン屋を利用するときにはどちらにするか大層迷う。そして結局メロンパンを選ぶ。大学時代からこうだ。好きであるというのもあるが、どこか安心するのかもしれない。それしか食べたくないわけではない。

「なまえ」
「ああ、黒野さん」
「どうしてこんなところにいるんだ」
「お話終わりましたか」
「あんなのは大した話じゃない」

黒野は隣に座って、なまえの言葉を聞くと、不服そうにきゅっと唇を閉じた。不貞腐れたようになまえから目を逸らし、明後日の方向を見る。ここでようやく、なまえは黒野が怒っていることに気付いた。

「……怒ってます?」
「怒っている」

怒っているそうだ。理由が判然とせず、なまえはただ、怒らせてしまったのは申し訳ないな、と思う。少しでも怒っている理由を話してくれたらと考えて「ごめんなさい」となまえは深く頭を下げた。謝る必要がなまえにあったのかどうかはわからない。
黒野はちらりとなまえを見て「まったく」と呆れたように息を吐いた。

「次からは気にせず隣に来い」

黒野は、他の人間と話をしているから、というだけの理由でなまえがこの場所を選んだことが気に入らないらしかった。邪魔になってはいけないと気を遣ったつもりが、裏目に出てしまった。理由がわかって、なまえはいくらかほっとする。

「迷惑じゃ?」
「変に気を遣われる方が迷惑だ」

そしてストレートすぎる彼の物言いにも安心した。ふん、と黒野は鼻を鳴らしている。

「わかったか」
「はい」
「よし、いい返事だな」

なまえが力強く頷くと、黒野はなまえの頭の上に手を置いて、ぐしゃぐしゃと撫でた。大したセットはしていないが、それなりに髪が乱れる。二秒、三秒、十秒経っても頭を撫で続けている。安心したのも束の間、また不安になってきた。

「……あの?」

なまえがちらりと黒野を見上げると、黒野は、なにやら科学の難しい問題に直面したような顔をして呟いた。

「……信じられないくらいさらさらしてるな」

これは褒め言葉ではなく、ただの感想なのだろう。そんなに神妙な顔をして言うことではない。未だに撫で続けているのでされるがままになりながら、なまえは、ふ、と微笑んだ。

「ありがとうございます」

五月十四日、黒野はこの日からなまえの髪を触りたがるようになった。


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20200514

 

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