結婚式みたいだね/紅丸


ふらりと浅草に現れたなまえは、また、ふらりとどこかへ行ってしまうのではないかと思う時がある。

「なまえ? さっき本返しに行くって出てきやしたぜ」

詰所にいないと思ってヒヤリとしたが、紺炉に行き先を告げているなら大丈夫かと安堵する。にやり、と紺炉が笑う。

「……なに笑ってやがる」
「いいや、何も。出てくなら帰りに醤油買ってきてくれ」
「出ていかねェよ」

貸本屋ならば、待っていればそのうちに帰って来るはずだ。詰所で適当な仕事をしながら待つのだが、昼になっても戻らない。いくらなんでもかかりすぎだ。町のヤツらに掴まっている可能性もある。昼近くになれば用もないのに昼飯に誘うのがあいつらである。
そうなればまだかかるだろう。が。

「おい、紺炉」
「若。なまえならまだ帰ってねェよ」
「……」
「醤油頼むぜ」
「クソッ……」

がしがしと頭をかいて、紺炉の言う通りに町に出た。大分時間が経っている。貸本屋にまだいる可能性は低いが、まずは行ってみるしかない。

「なまえちゃん? 随分前に出てったよ。川の方散歩して帰るってよ」

貸本屋の親父は「まだ帰ってないのかい」とにやりと笑った。どいつもこいつも似たような顔で笑いやがる。俺は「そうか」とだけ言って今度は川の方へ向かう。
貸本屋はわざわざ店の外に出てきて「いつもありがとな」と手を振ってきた。
言われた通りに川の方へと歩いていると、橋でひょこひょこと遊ぶヒナタとヒカゲから声がかかった「あ、若」「若だー」こちらに気付くと駆け寄ってきて、足元を犬のようにぐるぐる回る。同時に頭を撫でてやると、何か、口の中に入れていることに気づく。

「何食ってやがんだ」
「なまえが寄越してきた飴玉だぜ! 若もいるか?」
「なまえの奴料理の腕メキメキ上げてきやがってむかつくぜー」

飴玉みたいなもんはいらねえが「なまえはどっち行った?」ヒナタとヒカゲは「「あっち」」とやぐらの方を指さした。

「なんだー、わか、なまえに用か?」
「とっ捕まえてきてやろうか?」
「……いや、いい」

暗くなる前に帰って来いよ、と二人に伝えて、俺はやぐらの方へ歩き出す。通りに出れば、今日も飽きもせず騒がしい町の奴らがいる。その一部は、俺が何を目的に歩いているのかわかるようで、勝手にニヤついていやがる。

「紅ちゃん、なまえちゃんならあっちだよ」
「おう、紅。魚買ってかねえか?」
「紅丸! なまえちゃんとはどこまでいったんだ? 俺はシーまでいってるに賭けてんだがどうなんだ!?」

なんて奴らだ。俺はともかくなまえを巻き込むな。「なあ! どうなんだい!」としつこい為、軽く手刀を振り下ろして黙らしておいた。

「昼間っから酔っ払ってんじゃねェよ」

やぐらが大分近くなってきた。
見上げると、小さな人影が町を見下ろしているのが見える。
見つけた。

「……」

底が抜けたような青を背に、浅草に流れるどこか香ばしい風に身を任せて、さらさらと細い髪が揺れている。顔が見えるところまで近付くと、相変わらずの湖畔のような瞳は数々の感情を並々と湛え。浅草の町を愛おしそうに見下ろしている。
俺は立ち止まって、しばらくそんななまえを見ていた。
じっとみていると、町を見下ろしていたなまえはようやく、こちらに気付いて。

「若」

と、近くに隊員がいるからだろう。言って、ふわり、と浅草を見つめていた時とはまた違う笑顔を作った。これでもかと言うくらい柔らかく笑う。
浅草の空気を全身に受けたからか、あるいは浅草の人情のようなものをその体に注がれ続けているからか、はたまた、いや、そんなことより、そんな顔をされてしまったら、ゆっくり歩いてなんて気分ではなくなって。
能力を使い適当なマトイを手繰り寄せる。
直進ルートでなまえの傍へ。なまえはわかりやすく慌てている。今頃、なにか急ぎの用事でも忘れていたかと考えている頃だろう。忘れていったのは用事ではない。

「なまえ」
「わ、若、なにか緊急の用事ですか?」
「いいや、そういうわけじゃねェ」

忙しなく動くなまえの腕を掴まえて、ぐ、とこちらに引き寄せる。「え、」なまえを左腕に座らせて、そのまま。「え、え、ええッ!?」上昇。やぐらにいた消防官や、町の人間がこちらを見上げている気配がする。

「あ、あの、ええと、若」
「ここからの方がよく見えるだろ」

怖がっている、ようには見えない。なまえも上手くバランスを取っている。俺の言葉を聞いて動揺するのをやめて、言われた通りに町を見下ろす。

「…………、わあ」

まったくこんな顔をずっとあの場所で晒して居たのだと思うと困ったものだが、改めて、これほど近くで見られるのは俺だけなのだから、まあいいかと思い直す。どこからか手を振られて、なまえが手を振り返す。「すごい、若はいつもこんな景色を見てるんですね」ぐるりと町を見下ろして、最後に俺と目を合わせる。「ありがとうございます!」

「……なまえ、」
「はい、何ですか?」

礼を言われるような動機ではなかったけれど、もし、なにか謝礼を強請るとするのなら。

「なまえ」
「……あ、っ、いや、でも、若、ここ、皆から見えますけど」
「見えねェよ、お前からもあいつらの顔なんざ良く見えねェだろ」
「そ、うですかね……」
「ああ」

なまえは俺の肩に置く手に力を入れて、真っ直ぐに俺の顔を見下ろした。物理的に俺からは行けねえから、なまえを呼び、そう、俺たちはもう、ある程度言葉がなくても、この程度の意思疎通なら可能になった。

「ん、」

音もなく、なまえの唇が、俺の唇に触れる。
浅草が、どれだけこいつを愛そうが、こいつは、俺のだ。
唇が離れるか離れないか位のタイミングで、聞き慣れた、空を登る花火の音がして、すぐ頭上で、どーーーん、と花が咲いた。ひっきりなしに花火が上がる。
なまえは、今にも倒れそうなくらいに赤くなって、顔を両手で覆っている。「ヤッパリミエテルジャナイデスカ……」

「カエリマショウヨ……」
「紺炉に醤油頼まれてんだよ」
「こ、この流れでまた町にィ!?」
「は、いいじゃねえか。別にからかわれんのはいつもの事だ」
「そうですけど、そうですけど……!」

地上に降りる途中、詰所で双眼鏡片手に目の辺りを押さえている紺炉が見えた。まさか泣いてんじゃねェだろうな。


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20191028:結婚式みたいだね

 

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