ひと月遅れのはじめまして(4)


五月に入って随分と暑くなってきた。春用のコートの出番は早々におしまいかとスーツのみで出勤すると、今日はやや肌寒かった。予測のできない日々が続くな、となまえは自動販売機で買ったホットカフェオレを啜った。オフィスは冷房が効き過ぎていて寒いし、明日からは少々寒くても対応できるように用意をしなければならなそうだ。
食堂のいつもの席は日が当たるからあたたかい。夏は暑いのかもしれない。

「あ、こんにちは。黒野さん」
「こんにちは。なまえ」

黒野と食堂で会うようになって今日で四日目だが、下の名前で呼び捨てにされるといちいち驚いてしまう。同期どころか、気心の知れた友達だって下の名前を呼び捨てにする人は一人か二人しかいなかった。

「元気か」
「おかげさまで元気ですよ」
「俺はなにもしていない」
「ビタミン剤を貰いましたよ。それで、黒野さん、よかったらこちらをお納めください」
「なんだこれは」

なまえが差し出したのは、手のひらに乗るくらいの紙袋だ。軽くて、じわりとあたたかい。黒野が来る前に電子レンジで温めておいたからだ。なまえは「いらなかったら返して貰って大丈夫なんですが」と前置きをした。

「メロンパンです。美味しいですよ」

まあ、メロンパンはなんでも美味しいんですけどね。となまえが笑うと、黒野はなまえの笑顔と渡された袋を交互に見てから袋の口を開けた。やわらかい、甘い香りが立ち上る。

「ビタミン剤のお礼ですね。限定五十個のメロンパンなのでレアものですよ。朝、ちょっと早起きして買ってきました」
「お前が、俺にか」
「はい」
「俺に」
「そうです」
「そうか」

じ、っとメロンパンを睨み付けたまま動かなくなってしまった黒野を、なまえはカフェオレを啜りながら見ていたが、どんどん不安になってくる。黒野があまりにメロンパンに口を付けようとしないものだから、なまえは耐えられなくなって口を挟む。

「あ、あの? メロンパン駄目でした?」
「いいや。噛み締めていた」
「食べたようには見えませんけど」
「そうじゃない」

黒野は顔を上げて、いつもの真顔のままなまえに言った。

「ありがとう」
「あー、いえいえ、値段で言ったら黒野さんのくれたビタミン剤の方が高価ですからね。しかも健康に良い」
「これはこれで健康に良いぞ」
「ん? 昨日は栄養が偏ると」
「精神的にだ」
「精神的に」

五月七日、また黒野はなまえに理解のできないことを言っている。彼もメロンパンが好きなのだろうか。彼が重きを置いているところがわかりそうでわからない。
黒野がいつまで経ってもメロンパンを食べようと言う動きを見せないので、なまえは「あー」と冷めゆくメロンパンの身を案じた。

「貰ってくれるなら今食べてくれると嬉しいんですけどどうですかね、こっそり温めておいたので」
「そうか。まだ噛み締めていたかったんだが」

もしかして匂いの話をしているのだろうか。今度は突っ込まなかった。

「お前がそう言うのなら、そうするか」

黒野は素直に一口齧ると、口の端についてしまったクッキー生地の欠片を親指の腹で拭って一つも落とさず舐め取った。器用な人だと見ていると、メロンパンに視線を落としたまま感想を教えてくれた。

「ふわふわしてるな」
「ふ、」

ふわふわ。
また似合わない言葉を平然と言うから吹き出しそうになった。なったけれど。

「美味い」

黒野の真顔が微かに綻んだように見えて、なまえは笑いそうになる自分を押さえ込むことに成功した。「それなら、良かったです」爆笑しそうになっているのを耐えているから小刻みに震えていたのだけれど、メロンパンを美味いと言ったのは本当だったようだ。食べ終わってからようやく、黒野はなまえに「どうした?」と聞いた。
なまえは、優一郎黒野という人間をほんの少しだけ好きになった。


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20200507:似合うとか似合わないとか考えずに「ふわふわ」とか「もふもふ」とか言って欲しさ。

 

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