普通が一番/ジョーカー


「ついに……この時が来ました……」

なまえとジョーカーとの間にただならぬ緊張感がたちこめる。小さなローテーブルを挟んで二人、中央に鎮座するのはくつくつと小さく音を立てて煮えている鍋だった。何がどう煮えていて、鍋の中身は何色なのか、どちらの目にも見えてない。部屋は真っ暗だった。闇鍋だ。

「それでは、始めましょう!!第一階!チキチキ闇鍋大会〜〜!!!」

パァンパァアン!!とこれはクラッカーらしい音が二方向から鳴り響く。なまえは頭に降って来た、クラッカーに仕込まれていた紙を頭にかぶりながらあらかじめ手元に用意していたタンバリンを打ち鳴らす。パァンパァアンとこれまた派手に音が鳴るのだが、ここには「ただ盛り上げるだけなのだから鈴を鳴らすだけでいい」と冷静にツッコミを入れる人間はいない。ジョーカーは口笛で囃し立てていた。

「元々、火を通さなきゃ食えねえようなもんは入れてねェしな。入れてねェよな?」
「それは食べてみてのお楽しみですよ。とは言っても、もう大分煮込んでますから、とんでもない塊の生肉とかじゃなければよっぽどいいと思いますよ。えーっと、うん。もうそろそろ煮えたんじゃないですかね〜」
「よし。ならいくか」
「ええ、ええ行きましょう。ふふ、やっちまいましたねジョーカーさん」
「やっちまったなァ」

ノリとテンションとそれから勢い、後は全てを覆い隠す暗闇で誤魔化してはいるが、実のところ二人とも、全身から冷や汗が止まらないでいた。鍋が煮えているのはいい。暗いのも(百八歩譲って)いい。しかし、この立ち上る匂いだけはどうしようもなかった。換気扇を付けてはいるが、近隣住民から苦情が来るのも時間の問題かもしれない。なまえには今強烈に香る甘いような苦いような、香ばしいような匂いがなにから発せられるものか、さっぱりわからなかった。それでも、蓋を開ける。こんなに寒気のする湯気をあびたのははじめてで、鳥肌が立った。

「ジョーカーさん?」
「どうした」
「まだ戦う気力は残ってますか」
「おいおいハニー。この悪臭だけでお手上げか?」
「……いえ。この世界には悪臭を放つ美味しいものも存在します。右手に箸、左手におわんの用意はよろしいですかダーリン」

二人は「これはまずいんじゃないのか」「食ったら死ぬのでは」「今からでも遅くはないやめておけ」「いいからやめろ」と心が叫ぶのを無理矢理押し込めて同時に鍋に箸を伸ばす。ここまできたらやるしかない。誰もがそういう場面を経験して生きている。これは、その場面の一つにすぎない。適当に掴んだ具材を口に入れると、二人は食事をしているというのに一気に体温が下がるのを感じた。

「は」
「吐いたら駄目ですよ。私は今なにかぬるぬるしたものを飲み込みました」
「なあ、は」
「吐いたら駄目ですからね。次はこれいきましょうか。これなんですかねええぁふぉおぁ」
「俺たちはよくやった。そうだろ?」
「いや、まだです。まだですよ。まだ、私達はまだやれますよ」
「どっから来るんだその自信は」
「例えばね、ジョーカーさん。今ここで、誰か私達以外の男女が乗り込んできて、愛の前では大した障害じゃないとか言いながら鍋ごと食べて去って行ったら、私達は一生そのカップルに敵わないと、それこそ死ぬときまで思い出すことになると思いませんか。そんな、そんな後味の悪いことがありますか? それを思うと、例え胃が消化を諦めて爆発しようが腸が吸収を拒否して捩じ切れようが食べきる必要があるとおもいまあせふうんくあ」
「流石は俺の女だっつー心意気ではあるけどな。それ、ここで発揮するような根性か? げほっ、なんだこの粉……、つーかさっきから口の中がぱちぱち言ってんだが心当たりは?」
「炭酸キャンディ……」
「よく残ってたな」
「鶏肉に切れ目を入れて捻じ込んでおいた……、炭酸キャンディ……」
「お前は最高の女だよ……」

ジョーカーが頭を抱える気配がした。なまえは自分の味覚を感じる神経に一日休暇を与えるように命じながら鍋の中身のやわらかい塊に箸を突きさして自分の皿の上に乗せた。においは嗅がない。それは自殺行為であるからだ。

「あぁ!!?」
「どうした」
「どーして、どーしてプリンを鍋に入れちゃうんですか!!おバカさんなんですか!?」
「悪かった。なら、ゼリーを入れたお前も責められるべきだな?」
「すいませんでしたっっっっ!!!!」

地獄を煮込むとはこういうことを言うのだなあ、となまえとジョーカーは半日前に自分たちの発想力を呪った。どうしてどちらも止めなかったのか。どうして自分は降りると言えないのか。鍋の具材を選ぶのも、クラッカーを買うのもタンバリンで鋭い破裂音をさせられるように練習するのも面白かったからに他ならない。鍋が面白くないはずはない。二人はそう信じて疑っていなかった。最初の一口を食べるまでの話である。

「ん? なんだろ。あ、チーズかな。まとも」
「アタリじゃねェか。こっちはアンコウだぜ。定番だな」
「あ、ガラ入れこっちですよ。んん? この葉っぱなんだろう。すうすうする」
「ミントだな。大葉ぶち込んだのはお前か。俺達やっぱり気が合うな?」
「本当ですよ。東京皇国ベストカップル賞があったら絶対上五組には食い込めます」
「やるならトップ取るだろ。こんな苦難を乗り越えてるカップルは他にいねェ。おい、お前のいくら、潰れずに残ってたぜ」
「失礼しました。やる前から弱気はいけません。目指せチャンピオン。見せつけてやりやしょう。ジョーカーさん、茶わん蒸し入れました?」
「プリンも茶わん蒸しも一緒だろ」
「私もグミもゼリーも一緒だと思ったんですけどグミは見当たらないですね。果汁グミじゃ硬度が足らなかったかな。ハリボーにするんだったですね」
「だな」

地獄だった。いつ取っ組み合いの喧嘩がはじまってもおかしくはない。けれどそれだけは起こらないので、なまえもジョーカーもお互いに対して寛大だ。この場合、どちらが悪い、ということもない。
ただ、この状況は早々にどうにかするべきだ、となまえは考える。
続けてふと、いくら高級な料理でも緊張していると味がわからないことがあるな、と無理矢理連れていかれた飲み会のことを思い出した。ならば、ひょっとして、今回のこれも、緊張感のあるなにかしらの要素を足したのなら、味がわからなくなって飲み込むことに集中できるかもしれない。
緊張感、緊張感。

「…闇鍋をすると、貴方の顔が見えないから不安になっちゃいますね」

声のトーンを落として、真剣な声で言った。

「隣に行ってもいいですか」

食べずらいこと必死だろうが、なまえはどうにか鍋をどうにかしたいと考えて、ジョーカーの返事を待たずに、さっぱりしているんだかどろどろしているんだかわからない鍋の汁の入ったお椀と一緒に隣に座った。隣に、一緒に戦っている人の存在を感じて、やや心が安らいだ。ごく、とジョーカーが何かを飲み込む音がした。

「っていう、作戦なので、ちょっとシリアスに行きましょう」
「……」
「あ、あれ?」
「……」
「もしもし、ジョーカーさん? これはシリアスにいく作戦なんですけど、大丈夫ですか? おーい?」

こと、と机にお椀を置く音がしたと思ったら、なまえの手からも箸とお椀が取り上げられて、机に置かれた。鍋は依然、くつくつと音を立てている。たまに、とんでもない異臭を放つ気泡がぽこりと破裂する。こんな香りの爆弾はかの料理学校の第一席でも作れまい。
そんな不穏な部屋の中。真っ暗だというのに、ジョーカーはなまえの腕を正確に掴んで、そっと肩を押し、床に倒す。「なまえ」

「しかたねえな。そう思わねェか?」
「なにがですか?」
「部屋は暗いし、甘ったるい匂いもする」
「ああ、チョコが下の方で焦げてる匂いですね」
「ここまでお膳立てされちゃ、やることは一つだろ?」
「あっ!? さては、現実逃避をはじめましたね!?」
「大丈夫だ。こんな暗くちゃなにも見えねェよ」
「なんにも。なんにも大丈夫じゃない! 駄目ですよ、うっかり机を蹴ってひっくり返したら大惨事どころの騒ぎじゃないですよ。お願いです思いとどまって下さい」
「大丈夫だ。片付けはちゃんと手伝ってやる。なんなら俺が八割やってもいい。後半楽しくなってきていろいろよくわからねェ薬品とかぶち込んじまったしな」
「えっ」
「ん?」
「も、もしかして、食器棚に並べてあったみどりのやつとか」
「入れたな」
「うわあああああ」
「なんだよでかい声だし」
「いいから立って、逃げましょうまずいまずいまずい」

なまえの声が真剣だったため、ジョーカーは言われた通りになまえを抱えて部屋から出た。部屋から出た、その三秒後、ドカン、とクラッカーの十倍くらいの音がして、部屋が一つ吹き飛んだ。「その薬品は、私がリヒトくんに貰った、長時間煮込むと爆発する薬品です……」「なんで貰ったんだよ……」「くれるって、言ったから……」幸い能力者が二人のおかげで火が燃え広がることはなかったのだが、案の定、ひどい異臭で人が集まり始めていたのでその夜は揃って逃げた。帰って来たのは一週間後の昼間である。
それまで、闇鍋事件について触れないようにだらだらと過ごしてきたが、流石に、もう帰らないわけにはいかなかった。
一部屋丸ごと黒焦げになった一軒家を見詰めて、二人はどういう表情になればいいのかわからないでいた。
もういつか匂いは消えているはずなのに、ここに来ると、口の中でミントとプリン、しいたけと炭酸キャンディが喧嘩をしていたあの時のことを思い出す。

「……闇鍋なんて、こりごりですね」
「今回俺たちはまた世界の理について学んだわけだ」
「はい」
「掃除するか」
「はい」

なまえはまとめて洗い流す為にデッキブラシを持ち、ジョーカーさんは瓦礫を燃やし尽くす為に炎を出した。

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20200502:こちらもプロット交換会で紅茶あめさんにプロット貰って書かせて頂きました。本家の腹を抱えて笑える夢も是非どうぞ…。

 

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