ひと月遅れのはじめまして(2)


火曜日は雨が降っていた。
なまえはクッキー生地がやや硬いメロンパンを齧っていた。オフィスに帰ると「黒野さんと仲いいの?」と謎なことを聞かれたが、仲が良いわけではない。はじめて喋ったくらいだ。
灰色の空から雨が降って来る。ざあざあととめどなく、夜までには止むといいのだけれど、きっとこのまま降り続けるだろう。
最後の一口を口に放り込んでぼんやりしていると、今日も隣の椅子が引かれた。昨日も同じことがあった。丁度気配も同じだった。
がた、と音がした後に、すっと隣に座る。長身の黒い男の人だ。

「……」
「……」

昨日と同じように、無言で隣り合う。
なまえはやや雨の音が遠ざかるような感じがした。更に、周囲の喧騒まで聞こえにくくなった。
何か、話しかけるべきだろうか。

「……」
「……」

昨日は確か、天気の話をしていたんだったか、なまえは昨日とは全く違う灰色の空を見上げて思い出す。

「今日は雨ですね」

ぽつり、となまえが言うと、隣に座る、優一郎黒野がばっと勢いよくなまえの方を見た。あまりの勢いになまえも黒野と目を合わせる。金色の目が大きく開く。思ったよりも怖そうではない、とやや印象が修正された。
目を合わせたまましばらくお互いに固まる。真一文字に結ばれた唇が震えているように見える。
黒野は顔に似合わず恐々と口を開いて言う。

「そうだな」

あまりにも強く視線を合わせられるから、なまえも目を逸らさない。

「今日は、もう食べ終わったのか」
「はい」
「今日も、メロンパンか」

昨日、彼は「今日もそれか」と言っていたのを思い出す。自分のことは以前から知っていたのだろう。食堂で一人メロンパンを齧っている新人というのはそんなにも目立つものなのだろうか。なまえはやや恥ずかしいような気持ちになりながら頷いた。

「はい。ええっと、黒野さんは何か食べましたか」
「!」

黒野はまた目を見開いて、なまえに飛び掛かりそうな勢いでなまえを見た。両肩を掴まれていてもおかしくないくらいだったが、彼の体はやや椅子から浮かされただけだった。

「俺のことを知ってるのか」
「すいません、有名人ですから」
「そうか」

椅子に座り直して、窓の外を眺める。なまえも同じような姿勢に戻った。

「そうか」

彼は大変に満足そうに更にもう一度「そうか」と頷いた。何か食べたのか、という質問は聞こえていなかったようで、返事は返って来そうにない。それは構わないが、では自分の名前はどうなのか。知っているのだろうか。ちらりと黒野の様子を確認して聞いてみようか迷うけれど、もうそろそろ戻る時間だなと立ち上がった。「では」と言うと黒野は「なまえ」と呼び止めた。転びそうになった。それは下の名前だ。

「午後も、がんばってくれ」

なまえは昨日より穏やかな気持ちで「はい」と返事をした。明日も会うのだろうか。
五月五日の火曜日、なまえと黒野はようやく知り合いになった。


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20200505:知り合い編

 

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