ひと月遅れのはじめまして(1)/黒野


灰島重工にゴールデンウィークはないらしい。
かわりに、六月に何日かまとめて休みをとってもいいことにはなっているので、完全にブラックである、とも言えない。全員がそう思っているかはわからないが、少なくとも、なまえにとっては悪くない話だった。出かけるにしても、一人で行動するのなら、人が少ない方が動きやすい。それだけの理由である。
遠出、と言っても東京皇国はそう広くない。どこへいくべきか、夏の近付いている濃い青空を見詰めながらぼんやりと考えた。
食堂の壁、窓の方へ向かうように設置された高い椅子とテーブル、角から数えて五番目の席になまえは座っていた。天気がいいし、このまま帰りたくなるなあ。生地にメープルシロップが練り込んであるらしい、甘い香りのするメロンパンをかじって、どうにか午後へ向かう気持ちをまとめていく。
なまえの一時間の昼休みは、こうして、ゆっくりと過ごす。
灰島に入社して一か月になるが、二週目からこの場所をお気に入りの場所と定めてメロンパンを齧っている。食堂には売店もあるし灰島スペシャルメニューも存在するけれど、朝、ふらりとパン屋に寄ってメロンパンを買ってくるのは唯一の楽しみであった。別段、仕事が面白くて堪らない、とか、そういうことはない。やっていくことはできるだろう、と、これもやはり、ぼんやり考える程度であった。
メロンパンの糖分を体に沁み込ませながらぼんやりと食べていると、がた、とすぐ隣の席で音がした。誰か来たようだ。わざわざ確認するようなことはしないが、背が高そうで、体格から男の人であろうと思った。
なまえは構わずぼうっとしているのだが、男の方はなまえをじっと見つめて、それからぼそりと言った。

「今日もそれか」
「……え」

なまえが驚いて声のした方を見ると、彼とぴたりと目が合って話しかけられているのだと気付く。それから、何を言われたのか考える。あまりよく聞いていなかった。だが、何か同意を求められたような気はして「はい」と答えて前を向いた。驚いた。空の色や雲の形が変わったわけではないが、びっくりしすぎて感情がそちらに入らなくなっている。

「……」
「……」

落ち着かないので自分のデスクに戻ろうかと思うのだが、このあたりでようやく、さっき言われた言葉は「今日もそれか」だったと気付く。最初、何を言われたかわからなくても、後になって途端はっきり頭の中で再生されることが、割合によくある。
そして、隣に座っているのは優一郎黒野であることもわかった。思い出した、とも言う。
別部署だ。話をしたことはない。しかし、彼は有名人である。同僚の女の子が「あれが最狂って呼ばれてる黒野先輩だよ」と教えてくれた。「ふうん」なんでも弱いものいじめが趣味の人らしい。
自分はいじめられるのだろうか。一人でいる人間というのは弱く見えるだろうか。

「……」
「……」

無言だった。
いじめられる、という雰囲気ではない。
なまえはなまえでどうしたら良いのかわからないが、黒野も黒野でどうしたらいかわからない、または、何がしたいのか自分でもわからない、という様子だった。ただ、なまえの方をちらちらと気にしている。
用がある、のか。
目が合わないように努めて窓ガラスの向こう側を見ているのだが、用事があるなら、話しかけられても良さそうなものだが。なにか用事ですか、そう聞いてみようか迷う。迷うけれど、二人は一時間無言で隣に座り続けていた。ちなみに、席はたくさん空いている。
そろそろ休憩時間が終わるという時、なまえは自分が出したゴミを持って立ち上がる。
できるだけ隣は見ないようにして歩き出すと、後ろから、また。

「いい天気だな」

ぽつり、と独り言のような言葉が聞こえた。
天気。いい天気だな。とは。独り言なのかなまえに声をかけたつもりなのか。なまえは確認するために後ろを向くのだが、黒野はまだ立ち上がる様子はなく、先ほどなまえがしていたのと同じに外をじっと眺めていた。
二秒、返事をするべきか迷うが、やはりやめた。
なまえはこの優一郎黒野という男のことを噂以外には一つも知らない。もし、また話をすることがあれば謝るなり、こちらから天気の話をしたらよいだろうと考えた。結局、何が目的で、彼はなにをしていたのか、わからないままこの日は終わった。二時間もすると忘れていた。
五月四日の月曜日の業務は、こうして、つつがなく終わった。


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20200504:はじまりました。よろしくお願いします。

 

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