大雨事変・前/紺炉


「がんばってきてくださいね、なまえさん」とマキに見送られ、なまえは「頑張るも何も、仕事だからなにもないよ」と笑った。「またまたあ、そんなこと言ってこの間の掃除のお手伝いの後いっぱいお土産持って帰って来たじゃないですか」「いやあれは……、浅草の人が何故かいろいろくれて……」せんべいやら大福やら、果ては古着や原国の料理本まで持たされた日のことを思い出し、今日は大丈夫だといいのだが、となまえは息を吐いた。
嬉しくないわけではないが、第八の隊員として返せるものがない。それが心苦しいのである。と言うか、何故、浅草であんなに有名になってしまったのだろう。なまえは首を捻りながら浅草エリアに足を踏み入れた。
と、ざわ、と何人かがなまえに気付いて色めき立つ。

「おっ! なんだよ、今日は紺さんのお迎えないのかい?」
「今日は仕事ですからね」
「なら俺が送って行こうか?」
「こら! やめときなって! 紺炉さんににらまれるよ」
「だよなあ」
「あ、この前は着物ありがとうございます。これ、よかったら事務所の近くの人気のお菓子で……」
「あらまあ! わざわざ? ちょっと待ってね。ちょっと! ちょっとあんた! 今家に何かあげられるものあったかねえ!?」
「え、いや、あの、この前のお礼なのでもう……」
「ごめんねなまえちゃん、これ大したものじゃないけど」
「え、え、あー、あ、ありがとうございます……」
「おう! なまえちゃんじゃねえか! 今日こそデートかい!?」
「いえ、仕事で……、あ、この前はおせんべいありがとうございました。これ、お礼で……」
「なにい? 流石紺ちゃんの未来の奥さんだなあ……! よっしゃ! 今日はさっきかかあにナイショで買った最中持って行きな!」
「ええ? だからこれ、……ありがとうございます」

消防官としてはあまり役に立てないから、せめてものお返しに、と買ってきた菓子折は、全部他の何かに変わった。第七の詰所に着くころには持ってきた荷物より貰ったものの方が多くなっていて、荷物を器用に積み上げて歩くなまえを見つけると、第七の隊員は揃って声を上げて笑っていた。

「こりゃまた、ふ、くく、どうしたんだい」
「どうしたもこうしたも……、あ、この、これ、右手の小指にかかってるやつお土産です。よかったら食べて下さい」
「お、なまえの菓子かよ! やるじゃねーかなまえ!」
「今日はなに作って来やがったんだ!? 毒とか入ってねえだろうな!?」
「シフォンケーキだよ……、甘くないので新門大隊長も良かったらどうぞ」
「甘くねえのかよ!」
「ふざけんなよ、しこたま甘くしてこいよ!」
「そういうお客様は付属のシロップをかけて貰えればいくらでも甘くできるように作ってありますのでご安心を」
「「ひゅー! さっすがなまえだぜ!」」
「そろそろこの荷物置かせてもらっていいですか?」

ヒナタとヒカゲはなまえから白い紙袋を奪い去り、どこかへ持って行ってしまった。「全部食うと紺炉がキレるぞ」と紅丸が言い二人の後を追い、「キレねェよ」と紺炉がなまえの荷物を半分受け取った。

「ちゃんと持って帰るので、とりあえず邪魔にならない場所に置かせてもらっていいですか? 常温でダメになるようなものはないはずなので……」
「で、どうしたんだこの荷物。……まあ、大体の予想はつくが」
「おそらくその予想通りではあるんですが……、その、前回いろいろくれた方にお礼のお菓子を渡したら、こんなことに……」
「まァた好感度あげちまったのかい」
「最低限の礼のつもりだったんですけど……」

詰所の隅に箱や袋や風呂敷を積み上げてなまえは大きく伸びをした。既に一仕事終えたような風で、紺炉は笑ってしまう。やはり迎えに行くべきだったかと考えるが、人が多ければもっと貰って来ていた可能性もある。

「さて、今日もよろしくお願いします」
「おう。こちらこそよろしく頼むぜ」

第八で鍛えられているのだろう、なまえは早速切り替えて、本日の仕事に取り掛かった。今日は、町の修復作業が重なり滞った事務仕事の手伝いである。



湿った空気の匂いがして顔を上げる、窓を開けて空を見上げると、ぽつり、と鼻先に水滴が落ちて来た。丁度雨が降って来た。

「紺炉さん。洗濯物とか干してませんか?」
「ん、いや、雨か?」
「はい。今丁度降って来ましたね」

外に干しているものがないのならいい、となまえは再び仕事に戻る。雨の音はだんだんと強くなり、日が暮れる頃には水滴が落ちる音しか聞こえなくなっていた。止む気配はないし、例え傘を差していたいたとしても濡れずに歩くことはできないだろう。
第八に帰る頃にはびしょぬれだろうな、となまえはそれだけ思って、借りた机の上を片付けながら、窓のガラスをつるつる降りていく雨水を見ていた。

「……ひどくなっちゃいましたね」
「……そうだな」
「帰るのが大変そうですね、これ」
「そうだなァ」
「まあ、こんなこともあろうかと笠も合羽も持ってきてるから、大丈夫なんですけどね」

ころり、と笑うなまえに、紺炉は思わずその場で転びそうになった。今の流れで、どうしてそうなるのだろう。じっと見下ろしてみるが、どうやら本気で帰る気でいるし、もう一つの可能性については考えてもいないらしい。

「いや、泊まっていけばいいじゃねェか」
「え、そんな。大丈夫ですよ。雨くらい」
「まあ、お前は大丈夫かもしれんが、アレがダメだろ」
「アレ……?」

あ、となまえは今日貰った大量の土産物の山を思い出す。確かに、あれがあると傘も差せない。となると、泊めてもらって早朝帰るのが自然な流れだ。
第七の詰所に泊めてもらうのははじめてではない。とは言っても、あの時は隊のほぼ全員が居たから、泊めてもらうのだとしたらまず桜備に許可を取らなければ、なまえがじっと考えていると、今の今までこの部屋に寄り付きもしなかった紅丸がひょこりと部屋に顔を出した。

「おい、予報よりひでェ雨だから今晩は泊めてやってくれって第八から連絡あったぞ」

新門大隊長、となまえは言って、そういうことならとすっと切り替える。

「そうですね、お土産ダメにするわけにもいきませんから。ごめんなさい、今日はお世話になります。今、手伝えることありますか? 夕飯の準備とか」
「……」
「……」

紅丸と紺炉はなまえの能天気な言葉を聞きながら目を合わせる。もちろん、最強の消防官とは言え雨を降らせることはできない。この展開は全くの予想外であった。故に、紺炉は少なからずなまえが一人で詰所に泊まる、という事に動揺しているのだけれど、当のなまえはあくまで仕事上の、非常事態の一種として一晩過ごそうとしている。
しかし、それでは面白くないのである。紅丸はそこにぽん、と一石を投じる。

「紺炉の部屋でいいよな」

え。となまえの表情が固まった。

「ちょっと待て、若、それは」
「なんか問題あんのか?」

紅丸はわざとなまえに問う。

「え……、いや……、あるかないかで言えば……ない……ん、ですかね……?」
「ならいいじゃねェか」

後は適当にやれと言わないばかりに、さっさと部屋から出て行って、部屋には再び、紺炉となまえの二人だけが残される。

「……、え、あ、すいません……? お、お邪魔します……???」
「……」
「……」
「……、いいのか……?」
「エッ」

いい、とは。
なにが、などと野暮なことを聞き返すわけにもいかない。
いかない。いかないが、しかし。え、ホントに? なまえはようやく焦り始める。沈黙に耐えかねて「い、いや、悪い。なんでもねェよ」と紺炉は言ったが、なまえは今更事の重大さに気が付き、手のひらから汗が溢れた。


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20191027:つづくぜ!(ヒナヒカに言わせたい)

 

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