濡れてる方が惚れている・後編


なまえに言われるままに家に上がらせてもらった。リヒトはまだいないようだ。チャンスなのでは。とどうするべきか考えていると。

「脱いで」
「へ、」
「何?」
「なにって……」

それは流石にいろいろと飛ばしすぎなのではないだろうか。まだ俺たちは恋人どころか、お互いの気持ちすら知らないような。いやしかし。俺は別に、なまえがそう望んでくれるなら。俺でいいっていうなら。全然。むしろ。ほ、本当に?

「濡れてるなら肌着も。お兄ちゃんの余裕で着れると思うからそれ使って。タオルは、はいこれ」
「……」
「え、なに?」
「いや……」

俺は大人しく服を脱いで貸して貰ったタオルで肩を拭いたら、上だけリヒトの無駄にでかいパーカーに着替えた。上半身だけとは言え裸を見たのだから何か反応がないだろうかと、なまえをちらちら見ているが、水泳の授業とか、なんなら夏には海に行くこともあるから俺の体などなまえは見慣れているようだ。ちなみに俺はいつも直視できない。俺だけだ。

「よし」

なまえは手際よく乾燥機のボタンを押して、今度はキッチンに戻ってお湯を沸かし始めた。

「なにかあったかいもの飲もうよ。なにがいい?」
「な、なんでもいい」
「うーん、じゃあ、ココアとかでいい?」

頷くとなまえは「わかった」と言ってにこりと笑った。笑顔くらい、何度も何度も見るのだけれど、中学高校と年を重ねるごとに二人だけで遊んだり、面と向かって話をする機会は減り続けているのでこれは本当に、本当に貴重だ。タイミングが合わないと学校で会っても挨拶だけしかできない日もある。

「はい」
「ありがとう」

なまえも座って、久しぶりにゆっくり二人きりで話ができるのかと思ったが、なまえはココアのマグカップを持ったまま何やら冷蔵庫を漁り始めた。

「なにするんだ?」
「晩御飯作るの。二時間後くらいには皆帰って来ると思うから」
「晩御飯か……」
「そう。適当にテレビとか観てていいよ」

二時間後。なまえの口振りから察するに俺に構ってくれる予定はないらしい。このままでは折角久しぶりになまえの家に遊びに来たのにココアを振舞ってもらっただけで帰らなければならなくなる。何を作るのだろうか。いくつか野菜を取り出して、まな板や包丁、鍋を出している。

「俺も手伝う」
「え、いいよいいよ。大丈夫」
「手伝う」
「いいってば。ゆっくりしてて」
「俺も」
「……ええ?」

なまえの隣に立って言うと、なまえは少し考えて「まあ、丁度いいか」と頷いていた。丁度いい?

「ちなみに、今から作るのは肉じゃがとからあげです。どちらか作ったことは?」
「ない」
「……手伝ったことは?」
「ないな」
「……じゃあ作るの見てたことは?」
「ああ、それならたまにあるな」
「…………どうしても手伝う?」
「どうしても手伝う」

言いながらも、なまえは着々と野菜を切ったり、鍋を用意したりしている。そして何かを考えている。俺はわくわくしながら指示を待っているのだが、なまえは一向に俺に何かをやらせようとしない。

「なまえ?」
「あ、じゃあ、あれ、そこに引っかかってるエプロン二枚持ってきて」
「! わかった」
「で、一枚は52が着て、そっちは私が貰って着るから」
「それで?」
「こっち来て」

ちょいちょい、と手招きされて隣に行く。たったこれだけのことがあまりにも幸せだ。近い。彼女の家だからだろうか、なまえはリラックスした様子だ。いい感じに気が抜けていてとてもいいし、赤いチェックのエプロンが似合っている。あれは確か小学校の時に家庭科の実習で作ったものだ。

「野菜、これと同じに切ってくれる?」
「まかせろ」

わざわざ見本を作ってくれていたようだ。そんなことをしてくれなくても野菜くらい切れると思うのだが。
なまえは野菜は俺に任せて何やら鍋に水を張ったりし始めた。そっちは何をするのだろうとちらちら見ているとなまえが「手元。指、切らないでね」と短く言った。心配されてしまった。

「52、ちょっと」
「ん?」
「はい。味見」

小さな皿に少しだけ乗せられた汁は、後から肉じゃがになるのだろうか。イマイチ全体像が見えてこないが、言われるままに口に入れる。

「どう?」
「いいんじゃないか?」
「本当に?」

なまえは俺が使った皿に汁を足してそのまま。

「うーん、悪くはなさそう。でももうちょっと甘くしちゃお」

衝撃の展開に固まっていると、なまえは調味料を足して、もう一度俺に皿を寄越した。そんな。これは。

「今度はどう?」
「……」

ごく、と喉を鳴らして口を付ける。これは。これは間接キスでは。なまえは何も気にしていないようだが、俺は味がわからないくらいに動揺している。「どう?」と聞いて来るなまえに申し訳ないが「美味い」とかくかくと頷いた。許容量がオーバーしてどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。

「……52? 手が止まってるけど」
「はッ、あ、う、悪い」
「こんな感じで、普通料理っていうのは味見を」

キス、してしまった。顔が熱い。なまえはどうして平気なのだろうか。慣れているとか? いやいや。なまえに恋人は出来たことがないはずだ。それにしても今日は一体どういう日なのだろう。なまえと相合傘をして帰って、家にあげてもらって、一緒に料理をして、まるで恋人同士のようだ。口元が緩みそうになるのを必死に押さえながら野菜を切る。

「聞いてた……?」
「き、聞いてたぞ!?」
「本当……?」

本当、と言うとなまえは「まあいいか」と息を吐いてそして笑う。

「まあ、そんな感じで、分量計って余計なモノ入れずに最悪味見さえしてくれればそうそう事故料理が出来上がることもないはずだから」
「なまえはなんでも作れるんだな」
「なんでもは作れないけどね」
「俺はできないから、すごいな」
「ははは、52が料理までできたら余計にモテそう」
「その条件、なまえにはあんまり関係ないだろ」
「そうかな。私、料理が上手な男の人は好きだよ」
「え……?」

俺はたった今仕入れた貴重な情報を頭の中で反芻する。
料理が、上手な、男が、好き……? なまえは確かにそう言っていた。料理が。料理ができれば。なまえは。もしかして。俺、を。脳内で俺がなまえに料理を振舞う絵が見える。「美味しい」と言って貰える想像だけで相当だが、その後になまえは言うのである「こんな風に上手に料理ができる人のお嫁さんになら是非なりた、

「おっ、肉じゃがか」
「げっ、兄貴」
「こんばんは。ジョーカーさん。早かったですね」
「悪かったな。家の弟が」
「いえ、傘借りたのは私ですから」
「な、なんで」
「なんでって、なまえから連絡貰ったからに決まってんだろうが」

「ついでに晩飯もどうかってよ」それは、それは大変に嬉しい話だが、兄貴はいらなかった。するりと俺となまえの間に入ってきて「手伝うぜ」などと言う、断られてしまえという俺の願いも虚しくなまえはすんなり「ありがとうございます」と礼を言っていた。俺の時とは随分違う。

「あとはからあげを、もうつけてあるので、卵と片栗粉で」
「よし」

今のが指示だったのだろうか。何の話をしたのかまったくわからなかったのだが。油を温めはじめて、上機嫌になまえの横に立つので睨み付けてしまう。料理ができる男。そう言えばこいつもそれなりに料理ができる。現状なにもできない俺よりはなまえの好みに近いということになるのだろうか。帰らないだろうか。腹痛とかで。兄貴はこちらに気付いて「はッ」と笑う。

「なに睨んでんだ。指切るなよ」
「切らねェよ」

料理修行を、するしかねェ。


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20200422

 

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