サンプルC


 昔から、考えていることを伝えるのは苦手だった。
 だから私はあんなことを言ったのだ。もちろん、後悔はしていない。だって、伝え方はともかくとして、私の気持ちを表すのに、あんなに的確な言葉はなかったのだから。



 懐かしい感覚がして顔を上げた。
 同時に、仕事の進捗を確認する。今日の分の仕事はもう終わっている。嫌味の一つや二つはあるだろうが、昼で帰っても問題はなさそうだ。
 早速私は直属の上司に仕事の成果と昼であがらせてもらう旨伝えてオフィスから飛び出した。「ええ? 君ね、たまにそういうことするけど、はやく終わったなら他の人の仕事を手伝うとか」聞き飽きている。無表情で見下ろしていたからだろう。上司は早々に諦めて「いいよ帰れば。どうなっても知らないよ」といつもと同じことを言った。どうにかなったことは勤めはじめて五年経過した今、一度もない。
 路地に入って、誰も見ていないのを確認して地下に入った。使われていない下水道だ。地図を全て把握しているわけではないけれど、ここから目的の場所へは真っすぐに行ける。スーツに臭いがついてしまうことだけが気がかりだったが、転んだりしなければ平気だろう。
 しばらく歩いて、彼らの秘密基地に辿り着く。わざわざこちらから尋ねることは、そう多くない。ノックをするのも私くらいのものだろう。
「リヒトくん」
 呼ぶと、近くに居たのかすぐに開けてくれて、「あれっ?」と首を傾げている。「どうしたの?」
「ジョーカー居る?」
「奥にいるよ。何か用事?」
「用事っていうか、ちょっと付き合って欲しい場所があって。暇してない? 借りたら駄目?」
「毎日暇なんかしてねェよ」
 部屋着のままのそりと出て来たジョーカーは眠そうに欠伸をしている。寝ていたのかもしれない。
「おはよう」
「嫌味か?」
 ついでに機嫌も悪そうだった。これは、ついて来てはもらえないかもしれないな、と断られた時ショックを受けないように構えて聞く。
「聞こえてた? ちょっと、ついて来てほしいんだけど」
「どこにだよ」
「東京皇国の東のはずれのほう」
「なにしに」
「確認」
「なんの」
「リヒトくん、連れてっていい?」
「僕はいいよ」
「オイ、質問に答えろ」
「ごめん、とにかく一緒に来て欲しい」
「チッ」
 わかったとも、嫌だとも言わないまま、ジョーカーは秘密基地から出て来て歩き出した。一緒に行ってくれるらしい。リヒトくんがこっそり私に顔を寄せて聞いて来る。
「それ、遠回しなデートの誘い?」
「いや、これはたぶん、割と大変なことだと思う」
「え、子供ができたとか」
「できません。そもそも私とジョーカーは、」
「オイ! 行かねェのか!」
 行くよ、と返事をして、リヒトくんに手を振った。「また後で戻って来るかも」とこっそり伝えて、私は地下から出るまでジョーカーの後ろを歩いた。



 人々の生活圏からはずれた場所に来ると、ジョーカーは面倒くさそうに「それで?」と言った。
 最近の地震でコンクリートは割れてしまって、ビルが倒壊した跡もそのままになっている。ヒールで来るんじゃなかったと後悔した。
「聞いてるか? なにがあんだ。こんなとこに」
「ジョーカーがいる」
「お前、ふざけてんのか? 今はそういう冗談に付き合ってやる気分じゃねェ」
「違う。なんて言うのかな。私の能力知ってるよね? で、私が感知するところによると、ジョーカーの反応が、二つある」
「意味がわからねェ」
「秘密基地の方は貴方だってわかってたからいいんだけど、もう一つ、全く同じ反応が湧いて出たから何事かと思って。私も、意味はわからない」
「なんだそりゃ」
「わからない」
 こんなことははじめてだった。人の熱の反応は、特に、能力者の反応は独特だから離れていても個人が特定できるのだけれど、ふと、今から向かっている場所に、ジョーカーとまったく同じ反応の個体が現れたのだった。
 ジョーカーでなければ放っておくのだが、彼のことはそれなりによく知っている。
 関係性に名前を付けるのは難しい。リヒトくんなんかは恋人同士と思っているようだが、そこまでの関係ではないし、友人、とも言えないだろう。ジョーカーはおそらく、私の事が苦手なので、私が一方的に世話を焼いている。その程度の繋がりだった。
 ただ。
「あ」
 ヒールで小石を踏みつぶして、盛大に滑った。
 自分の運動能力を呪いながら反射で手を出すけれど、地面のどこにもぶつからなかった。私の能力は、人の熱反応をかなり遠距離からでも察知できるだけの能力なので、転ぶ自分自身を守ることはできない。
「ありがとう」
「気を付けろよ」
 こうして助けてくれる程度には、嫌われていない。普段の当たりの強さから考えても、好かれている、とは口が裂けても言えないが、嫌われてはいないのである。
 気を取り直して歩き出すと、天井のないビルの中、隅の方で寝転がっている人を見つけた。あれだ。
 隣のジョーカーと、寸分違わず同じ反応だった。
「ジョーカー、どう?」
「この近くに、他に反応はねェのか?」
「私達以外いない」
 何者かの罠である可能性を疑っているのだろう。常識で考えれば、同じ人間が二人居るだなんて考えられないし、あそこで転がっている彼は、ジョーカーを引っ張り出す為に、誰かがジョーカーの真似をしているとも考えられた。私にしてみれば、真似、というか、ここまで来るとクローンだ。他人がここまで彼になりすませるとは思えない。
 ジョーカーに動く気配がないから、私が前に出る。「オイ、不用意に近付くんじゃ」私は、罠だとは思っていない。ついて来て貰ったのは確認してもらう為だ。
「ねえ、君」
 すぐ傍にしゃがんでそっと肩に手を置くと、彼は勢いよく起き上がった。
「っ」
 服のどこかにナイフのようなものを隠していたらしい、手の先から血が落ちる。「誰だ、お前」少年の声だった。警戒して、こちらにナイフを向けたまま言う。彼の目は私、それから後ろのジョーカーへと動く。ジョーカーと目を合わせて、目を見開いている。やっぱり、そうだ。
「なんだ、お前、どうして」
 同じ顔をしていた。ジョーカーは隻眼で、彼にはまだ両目がある。ジョーカーの髪は長いし、彼のは乱雑な印象の短髪。そう言った違いはあるが、目の色も形もほぼ同じ。何年前の姿なのだろう。わからないが、見た目から判断して、十五とか、十四とかおそらくそのくらいの年齢だ。
「そういうことか」
 だから、俺をわざわざ連れて来たのか、とジョーカーは言った。
 私はジョーカーに、これはジョーカー自身かどうか、判断してもらう為に来てもらった。
「こいつが居て良かったな。52」
 かなりとんでもない事態だと理解しているが、居て良かった、などとはじめて言われたせいで、驚いて彼を振り返ってしまった。



 結構深く刃が入ったようで、右手がじんじん痛む。一人だったら泣いているかもしれない。
 けれど、応急手当として巻かれている布を見ると、少し痛みを忘れた。放っておいても死にはしない、と言ったのだが、ジョーカーは迷いなく自分が眼帯にしている布を貸してくれた。帽子を深く被って、右目を隠して歩き出す。
 もう一人のジョーカー、恐らく数年前ジョーカーである52はそのやりとりをじっと見ていて、私に小さく「悪い」と言った。「大丈夫。もう痛くない」虚勢を張れるまでに回復したのは、52が思ったよりもずっと素直であったからだろう。
 ジョーカーはまだ、この異常事態が何者かの罠である線は捨てきれないようだが、恐らく一番わけがわからなくて不安なのはこの52だろう。ジョーカーが簡単に事情を聞くと52は「地下の自分の部屋で寝ていて、気付いたらあんたが」とだけ言った。ジョーカーが未来の自分であることは、なんとなく納得してくれた風だった。「外って、そんなことがあるのか」と私に聞いた彼にジョーカーは苛立ちを隠さず「あるわけねェだろうが」と怒っていた。とは言え、実際起こってしまっている。
 三人で地下を歩き、向かっているのは私の家だ。
 私は、保護したらリヒトくんに調べて貰おうと思っていたのだが、ジョーカーはこの事態を余程認めたくないのか、しきりに私におかしな気配はないか聞いて来る。ジョーカーが罠だと疑っている以上、秘密基地に連れて行くのは得策ではないだろう。なにせ入口はあんなでも、あれは彼らの秘密基地なのである。
 町に入ってからは私が先頭を替わって歩く。
 52はどこを歩くべきか位置取りに困っていたようだったので「こっちに」と呼んでみる。数秒考えて、大人しく私の隣に並んだ。「よし」にこりと笑うと、わかりやすく困っていた。新鮮な反応だった。今でもよくジョーカーは私のやらかすことや態度に困っているが、そう言う時は大抵舌打ちかどこかへ逃げて行ってしまうのである。
 ふ、と意味もなく笑うと、52は素直に「どうして笑うんだ」と聞いて来た。その反応がどうにもかわいくて、怪我をしていない方の手で頭を撫でた。「オイ」と制止を入れて来たのはジョーカーの方だった。
「ごめんね」
「いや……」
 私から目を逸らした、頬は赤い。色が白いから紅潮するとよくわかる。見れば見る程、ただの少年だった。どうやってここにこうしているのか、どうしてここに来てしまったのか、わからないことばかりだが、彼が52であることに違いはない。難しいことは後でリヒトくんにでも任せるとして、私のやるべきことは、折角だからこの状況を楽しんで行ってもらう事だ。それ以外に彼に対してやりたいと思うこともない。
 口に出したら、どちらの彼にも能天気だと呆れられるだろうから、黙っているけれど。
「着いたよ」
 小さいが一軒家だ。十年程前までは祖母と暮らしていたのだが、十年前に他界した。両親はおそらくまだ生きているが、どこにいるか知らない。
 ジョーカーは久しぶりに家に上がって、じろりと52を睨んで言った。
「おかしなことするんじゃねェぞ」
「……」
 彼らは、元が同じ人間だからであろうか、お互いがお互いに警戒心を剥き出しにしている。単純に、彼らが私程呑気ではないとも言える。
 まず、必要なことはなんだろうかと考え出すが、家に上がった二人は睨み合うばかりでどこかに落ち着こうという気がまったくない。「座ったら?」と声をかけると二人とも同じタイミングでこちらを見た後、同じ場所に座ろうとしてまた睨み合っていた。今にも掴み合いの喧嘩がはじまりそうな雰囲気である。
 引き離した方がよさそうだ。
「52」
 呼ぶと、表情には出ないが、ほっとしたのがわかった。人は感情の変化で体を覆う熱量が変わったりするから不思議である。
「お茶淹れるんだけど、手伝ってくれる?」
 52はこく、と頷いて私の指示を待っている。本当に新鮮な反応だ。もしジョーカーに同じことを頼んでたら「怪我させた奴にやらせりゃいいだろうが」と文句を言われたに違いない。失礼なことを考えたのがバレたのかリビングの方から舌打ちが聞こえた。
 ジョーカーが立ち上がって、こちらに歩いて来る。
 彼がこの家に来るのは久しぶりだったが、物の場所はしっかり把握しているので、目当てのものの場所まで一直線だった。棚から救急箱を取り出して言う。
「まず手当だろうが」
 茶なんか淹れてる場合か。能天気バカが。お前はそんなだから道で転びそうになるし、会社では孤立してるし、友達も少ないんだろうが、と後半怪我とはとても結びつかないようなことを言われたが、全て真実ではある。
「そうだね」
「はァ……」
 溜息を吐きながらも、私に触れる手は丁寧だった。ジョーカーのしたいようにさせていると、52が消毒液とガーゼとを掴んで言う。
「俺がやる」
「あ? お前は隅の方で丸まってろ。寄越せ」
「俺が怪我させたんだから、俺がやる。お前こそ、俺が気に入らないならそう言えばいい」
「うるせェな。退いてろ」
「嫌だ」
「お前なァ」
「この人のことも、気に入らないなら構わなきゃいいんじゃないのか」
「あァ
「うっ」
 ぎり、と私を掴んでいる手に力が入って小さく声が出てしまった。ジョーカーがぴたりと動きを止めて、私ごと52に押し付ける。
「ジョーカー」
 帰ろうとする彼の背中に呼びかけると、彼は抑揚のない声でいつも通りに私に言う。
「邪魔になったら放り出せ。そいつは、保護が必要な程軟じゃねェ」
 玄関の重たいドアを開け閉めする音がして、部屋が途端に静かになってしまった。必要かどうかわからなかったが、私は52に「ごめんね」と声をかけた。52はジョーカーが去って行った方を見ながら、無表情でぽつりと言う。
「めんどくさい奴だな」
 ジョーカーがいないのをいいことに、思い切り笑ってしまった。怪我にまで響いて、52に「おとなしくしろ」と怒られた。



 

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