サンプル@/新門紅丸


火事だった。
 焔ビトによる火事である。焔ビトになったのは一〇二号室の住民だ。気の良いおばあちゃんだった。いつも穏やかに挨拶をしてくれたのを思い出す。もう既に鎮魂は完了しており、特殊消防隊は引き上げているところだった。
 一般消防士が懸命に消火活動をしているが、特殊消防隊の到着が遅れ、尚且つ焔ビトは暴れまわって居た為、既に隣の家屋にまで火の手は広がっている。大きな音を立ててアパートが崩れた。例え数時間後に消火活動が終わったとしても、しばらくここに住むことはできないだろう。
 私の家は二〇二号室だった。
 借家であるし、家は惜しくないけれど、寝泊まりする場所は必要だった。
 幸い免許証やカード、通帳などは手元にある。いつこういうことがあっても良いように印鑑も持ち歩いていた。それから、今日が金曜の夜であることも救いだ。土曜日と日曜日、二日あれば会社の寮を借りる手続きもできるだろう。月曜まで休みを貰えれば盤石だ。そこまでブラックな会社じゃないし、家が燃えたとなればもう少し休みをくれそうな気もする。
「とりあえず今日、は」
 カラオケボックス、漫画喫茶、駅前のホテルなどいろいろと選択肢はある。
 あまり無駄遣いするのもいいことではないけれど、数日だったらホテルに住んでもいいだろう。まずは駅まで出なければ、と歩き出す。
 炎は、見ていたくない。
 あの日のことを、思い出すから。



 ホテルの前まで来て肩を落とす。人が殺到していた。どうやら、私の家だけではなく、他の地区でも大規模な火事があったらしい。この分だと部屋は空いていなさそうだ。同様の理由で、他の夜を明かせる施設も怪しい。時間を確認する。午後七時。
 実は一つ、頼めば三食布団付き、しかも無料で泊めてもらえそうなところに心当たりがないわけではない。ただ、気が進まなくて選択肢に入れていなかった。
 いくら気が進まないとは言え、野宿したほうがましかと言えばそうでもない。私が一方的に嫌がっているだけで世話にはなっているし、行ったら行ったでやりたいこともある。前に行ったのは何時だったか。
 思い出そうとぼんやりしていると、名前を呼ばれた。
「あ、あれ、紺炉さん」
「よう。どうしたんだこんなところで」
「……びっくりするくらいちょうどいいところに現れるんですねえ」
 どうしてこんなところに、と思うが、手に持っている紙袋で大方の事情を察した。あれはこのあたりに最近できたケーキ屋の紙袋だ。私は気付かないフリでその紙袋を見ないようにした。
「ん? なんかトラブルか?」
「いえ。火事で」
「火事? ああ、このあたりで二件あったらしいな」
「その内一件、私が住んでるアパートなんです」
「おいおい、なんだそりゃ。大丈夫なのか?」
「いえ。全焼しました。困ってるところです」
「困ってるところですじゃねェよ、そう言う時はウチに連絡して来たらいいだろうが。ったく、俺達が断るとでも思ったのか?」
「……いえ」
 予想通りの反応だった。ありがたい。と、同時にずしんと心が重くなる。断らないと思ったから連絡しなかった。
「ほら、部屋用意してやるから今日の所は帰って来な」
「はい」
 言われるままに私は紺炉さんの後ろに続く。前浅草に顔を出したのは半年くらい前だ。一年に二度くらいしか浅草に行っていないのに、この人にとって私が浅草に行くことは浅草に帰ることにになるようだ。
「なんなら、ずっと居たって構いやしねェんだからな」
「……」
 私は何も答えなかった。
 紺炉さんは気使うようにふっと笑って「まあいいけどよ」と前を向く。
「紅も、喜ぶ」
 その新門紅丸が苦手だとわかっていて言うのだから、親切なんだか、人が悪いんだかわからない。それに、紺炉さんはいつもそう言うが紅丸くんが私を見て嬉しそうにしているところなんて見たことがない。睨み付けられるか、酒の席に無理矢理連れていかれそうになるか、よくわからないことで怒鳴られるか、どれかだ。紺炉さんには一体何が見えているのだろう。はあ。
 私はやっぱり、返す言葉が見つからなかった。



 浅草に入ると「お、久しぶりじゃねェか」と声をかけてくれる人もいる。「お久しぶりです」と頭を下げる。もうすっかり暗いから静かなものだが、賭場や飲み屋は盛り上がっている様子だった。
 酔っ払いのはじけるような笑い声が聞こえてびくりと震える。浅草は嫌いではないけれど、現状住む場所がないというのは大変に不安だ。いくら大切なモノは鞄の中とは言え、一人になれる空間が欲しい。一刻も早くだ。
「大丈夫か?」
 紺炉さんに聞かれて一つ頷く。大丈夫だ。何の問題もない。
 私が頷いたのを確認してから、紺炉さんは第七特殊消防隊の詰所の扉を開いた。するとすぐに第七、いいや浅草を取り仕切る私と同じ年の男の子。新門紅丸が待ち構えていた。ああ。いることはわかっていたが。やはり。
「紺炉。お前、どこで油売って……」
 紅丸くんは私に気付くとぴたりと言葉を切って目を丸くしていた。
 こういう時、私は呼吸の手順を思い出す。息を吸い込んで、それから吐き出す。大丈夫だ、呼吸はできる。次に、ただ息をする為ではなく、言葉を喋るためにすう、と空気を体に取り入れる。
「こ、んばんは」
「……お前」
 挨拶に返事はない。あまりまともに会話をできたことがない。私は無害であろうと努めているのだが、私のそういう態度が、彼には気に入らないようで。二秒ほど目を合わせていたが耐えられなくなって紺炉さんの後ろに隠れた。
「う、紺炉さん」
「オイ、なんで隠れる」
「ご、ごめん、」
 もう駄目だ。
 紺炉さんを挟んでもこちらを見ている圧が強い。私はまた呼吸のやり方を思い出す。息を吸って吐いて。助けを求めるように紺炉さんを見上げた。
「火事で家が燃えちまってな。数日ここに居ることになった」
「よ、よろしくお願いします……」
 紺炉さんに甘えてばかりではいけないと紺炉さんの影から半歩だけ出て紅丸くんにそう言うのだが、どうにも彼の考えていることはわからない。今すぐ逃げ出したくて、つい一歩後ろに下がってしまう。肩に触れた暖簾が異常に重く感じる。
「数日……」
 じっ、と見下ろされて体が更に小さくなる。
「数日って何日だ」
「ご、ごめんなさい」
「あ? なんで謝る」
「ご、ごめ、土日で出てくから」
「別に、出て行けなんて一言も言ってねェ。居りゃいいだろ。何日でも」
「本当に、ごめんなさい」
「だから、謝るな。こっちを向け」
「ひっ」
 す、と私の顔を無理矢理上げようと差し出された手が目の前に迫って、ばっと後ろに下がる。そうしてしまって、またやってしまったと後悔する。
「紅」
 事情を知っている紺炉さんが気を使ってくれなければ、私はここにいることはできない。情けない話だが、私は新門紅丸が怖くて堪らない。
「チッ」
 不機嫌そうに舌打ちをする。当然だ、と思う。のだが、申し訳ないという気持ちに反して私の肩はびくりと跳ねる。これでもいくらかマシになったのだ。はじめて会った時なんかは声も出なかった。
 紺炉さんの優しい声が私を呼ぶから、どうにかそちらに進む。
 紅丸くんの横を通り過ぎる。もう止められないし、手も伸びてこなかった。数歩歩いて、ふう、と体から力を抜く。
 いつの間にか自分を守るように胸の上に手を乗せていた。心臓がどくどく鳴っているのがわかる。いっそ止まってしまえばいいとは、何度思ったかわからない。
「なんでだよ……」
 紅丸くんがそう言ったのが聞こえた気がした。
 ごめんなさい。私は心の中で何度も謝った。



 痛くて苦しい夢を見た。
 昔、私が浅草で暮らしていた頃の夢だ。
 父と、兄と、私の三人が家に居た。
 とは言っても、家には寝る時以外帰っていなかった。兄と日が暮れるまで外で一緒に居て、そうっと家に帰る。父が居ないとラッキーだが、時々リビングで女の人と居る時もあった。そういう時はまだマシだ。一番嫌なパターンは父が一人で酒を飲んでいる時。
 兄は私を先に子供部屋に入れてくれたけれど、しばらくすると父の怒鳴り声と、なにかしら、家の物が壊れる音がする。それから、父が兄の体を張る音。兄は必死に私を守ってくれたのだけれど、兄も私も子供だった。
 兄が動けなくなったら私だ。
 繰り返す言葉はたった一つ。
「ごめんなさい」
 何に謝っていたのかはわからない。どうして謝らなければならなかったのかもわからない。けれど、そう言うしかなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。どうにか死なずに生きてきたけれど、それは全て兄のおかげだ。兄がいなければ私は生きていない。
 眠っていられなくて目を覚ます。
 なんだか静かだと周りを見て、ああ、そう言えば浅草に来ているんだったと思い出す。
 あまり良い思い出のない静かな夜だ。
「う」
 涙が出るのは痛くてじゃない。
 こういう時。
 兄が頭を撫でてくれているような気がするのだ。
 けれど、もうどこにも兄はいないから、涙が出る。明日は兄の墓参りに行こう。半年ぶりだし、お墓も掃除して、綺麗にしたら、少しは気が晴れるかもしれない。昼過ぎには会社に行って、寮の手配。
 ヒカゲちゃんとヒナタちゃんに「てぶらじゃねーか!」「なにてぶらでかえってきてんだ!」と怒られたので、何か買って、それから戻って来よう。日曜日の夕方には寮に入っていたいが、どうだろうか。
 這うように移動して、から、と窓を開ける。
 浅草は、星が良く見える。
 良い思い出はないに等しいが、兄がいたのも浅草だ。だから、嫌いにはなれなかった。兄と父が居なくなってから世話をしてくれた紺炉さんのことも好きだし、ヒカゲちゃんとヒナタちゃんも、私に「かえってきたのか」と言った。
 ただ。
 夢の中の父と紅丸くんの姿が重なる。
 はじめて引き合わされた時は何の冗談かと世界を呪った。
 わかっている。
 父と紅丸くんとがいくら似ていても彼らは別人だ。
 だが。
 私を睨む目、だとか。苛々した時の舌打ち、だとか。声を荒げた時、無理矢理に私を掴もうとする時、ふと、重なるのである。顔だけでなく声も似ているものだからもう私にはどうすることもできない。
「……明日も会う、よね」
 わかっている。違う。大丈夫だとも思える。けれど、目の前にするとどうしても駄目だ。挨拶だとか必要最低限の会話だとか、そういうものはどうにか、どうにかできるから、近付かないようにしているのだけれど、どうしてか彼の方から私に声をかけてくる。
「どうせ苛々するだけなんだから、放っておいてくれたらいいのに」
 目を閉じると、また、父と紅丸くんの姿が重なった。



 結局あまり眠れなかった。
 どうせ眠れないのだからと早朝から紺炉さんを手伝って朝食を作り、早々に食べてしまって掃除道具を借りた。花くらい供えたいから、花屋が空くまで部屋に籠って居ようと思ったが、世話になっている、という立場がそれを許さず、できるだけ紅丸くんの部屋とは離れた場所の掃除をしようと雑巾を絞った。
 紅丸くんとは会わないように、と強く思ったのが良くなかったのだろう。
 私の前で仁王立ちした紅丸くんはじっと私を見下ろしている。
「お、は、よう」
「……今日は、墓か?」
「ご、ごめんなさい」
「だから、謝ることなんて一つもねェだろうが。墓行くんだな?」
 怒っている。
 私はじりじりと後ずさりながら頷く。行く。兄のお墓参りに行く。
「その後は」
「っ、ごめ」
「だからなあ……!」
「!」
 す、と紅丸くんの手が上に上がる気配がして身構える。いや、わかっている。頭ではわかっているのだ。彼は私を殴ったことなんかない。現に今も、自分の頭に手を持って行っただけだ。
 だと言うのに、私があまりにも怖がるものだから、紅丸くんに不快な思いをさせているのである。「チッ」とその舌打ちも、父のものと重なって体が震えはじめた。これだからいけない。意味もなく怖がられて、苛々しない人間なんていない。
「ごめんなさい」
 紅丸くんには悪いことをしてしまっている。
「……それで、その後はどうすんだ」
 また謝りそうになってぐっと口を閉じる。今、何を聞かれているのか考える。兄のお墓参りに行く。その後のこと。聞く、ということは何か用事でも頼みたかったのかもしれない。申し訳ないが、出て行くための準備がある。
「会社に、寮、入れて貰えるように、手続き、を」
「寮? 浅草にいりゃいいじゃねェか」
「迷惑に、なるし」
「ならねェよ」
 ならないことはないだろう。
 現に今、不要に紅丸くんを苛つかせているのは私だ。それなのに、居てもいい、なんて言ってくれるのはやはり、優しいから、なのだろうけれど。ちらり、と紅丸くんを見上げる。一秒に満たない間目を合わせることができただけだった。駄目だ。似ている。不機嫌そうな眉や目元、感情の読めない雰囲気。黙られるとそっくりだ。怒っていたり苛立っている時など重なる、と言うか、もう、同じに見える。
 無理だ、と思う。
「……」
 紅丸くんは「はァ」と息を吐いた。それにすら、肩が震える始末なのだから、手に負えない。関わらなければお互いになにもないのに。いや、彼は気を使ってくれているのだろうから、無碍にするわけにもいかない。どうにかしなければ、という気持ちはしかし、私に重くのしかかってくるだけだ。
「今日の、朝飯、」
「っ、そ、そろそろ、行くね。明日には、ちゃんと出てくからっ」
「オイ、待っ、」
 花屋が開くにはまだ時間があるだろうが。別にお墓を綺麗にしてから花屋に行ったっていい。予定は全て前倒しになるが、問題はない。私はその場から、紅丸くんから逃げ出した。
 ごめんなさい。本当に。



 紅はあいつのことを好いている。
 それは、浅草の誰もが知っていることなのだが、残念ながらあいつはと言えば出会った時から紅を怖がっている。
 とぼとぼと詰所の廊下を歩く紅を見つけて声をかける。あの様子だとまた逃げられてしまったのだろうが、逃げられたということはまあ、会話はしたということだ。
「よう。あいつァもう行っちまったのか?」
「ああ……」
「……朝飯、美味かったって言えたか?」
「言う前に逃げられた」
「ははは。そうか」
「笑うんじゃねェよ」
 彼女はこんな調子だというのに、紅は彼女のことを諦める気は全く起こらないらしく、彼女が浅草に来るとわかると途端そわそわとしはじめ、どうしたら彼女と話ができるのか考えている。俺もまあ協力はするのだけれど、ことごとく成功しない。というのも、毎回紅が自分に課す『舌打ちをしない』『苛つかない』『怒鳴らない』それから『不用意に手を伸ばさない』というのを我慢できないところに大きな要因があるように思う。
 俺はあいつとそれからその父親の話をあいつから聞かされているから知っているが、紅は、ただ単に自分のことを怖がっている、としか思っていない。
 あいつには「父と紅丸くんとが関係ないのはちゃんとわかっているから言わないで欲しい」と頼まれているから、俺も紅には言っていない。あいつはあいつで、どうにかしたいと思ってはいるのだろう。
 壊滅的な状況だが、それでも、最近ようやく、一言二言であれば会話ができるようになっている。紅の当面の目標は彼女と一緒に茶を飲むことである。
「明日まで、か」
 ぽつ、と紅が呟く。右手は自身の顎に添えられていて、次はどうやって近付くべきか考えているのだろう。今日は、あいつの手料理が食えたからすこぶる機嫌が良い。ついでにいつもの倍量くらいは食っていた。例えば美味いと言えなかったとしても、その様子をあいつが見てさえいたのなら伝わるものも(多少は)あったのだろうけれど、今日に限ってややゆっくりと起きて来たものだから、紅が卓に着く頃には、あいつはもう全て済ませて別の事をやっていた。
「また声かけてみりゃいい。晩飯前には帰って来るだろうからな」
「そうだな……」
「明日はもっと早く起きて来いよ」
「わかってる」
 あいつがここに居てくれると、紅が素直で助かるんだがなあ。

 

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