濡れてる方が惚れている・前/52
部活を終えて帰ろうと傘を探すと、さしたはずの場所に見当たらない。「ええ?」確かに朝は降っていなかったけれど、予報では昼から雨だったし、さらに言えば何も私の傘でなくても良かったのではないか。
はあ。とため息を吐いてスマートフォンを取り出す。兄に迎えを頼もうか。と言うか、兄に迎えを頼むしかない。走って帰るにはあまりにも距離がある。近くのコンビニまでだって十分はかかる。
厚い雲が晴れる様子はない。
「なまえ?」
声をかけられて振り返る。私に気安く話しかけて来る男子など数人しかいないから、誰が立っているのかは見なくてもわかる。
「ああ。52」
当然のように私の隣に並ぶので、私はすかさず周囲に女子生徒の影はないか確認した。大丈夫そうだ。この男は知らないだろうが、女子高生というのは本当に面倒だし、この男が思うよりも、ずっとこの男は面倒な女にモテる。
「帰らないのか」
この後の展開を予想して、忘れ物を取りに行くとか適当なことを言おうか、図書室で本を読んで帰るとか、そういうのでもいい。のだが、心配そうにこちらを覗き込む目に嘘を吐くのは憚られた。「傘が、」それだけ言っただけなのに、52は大きく目を見開いて言った。
「ないのか?」
「うん。だから、お兄ちゃんに迎えに来てもらおうかと」
「俺と帰ればいいだろ」
そうなる、よなあ。
どうなのだろう。私はあまり高校生の男女の距離感について詳しくないのだけれど、ただの幼馴染は二人で同じ傘の下に入って下校したりするのだろうか。「いやあ、でも、」と人目を気にしていると、52は黒い傘をぱっと開いた。
やや大きめの丈夫そうな造りの傘は、確か、ジョーカーさんと一緒に選んだ去年の誕生日プレゼントだ。護身用傘という商品名で、52は大層喜んでいた。
「俺と帰ろう」
そしてやっぱり私は、断ったら落ち込むだろうと思うと、断ることはできないのだった。女子に見つからないことを全力で祈りながら「うん、よろしく」と入れて貰った。
■
52一人が使っているところを見た限りでは大きすぎたかなと思ったものだが、二人入るとやはり狭い。52がしきりにこちらが濡れていないか気にしてくれているのが申し訳なくなる。
「ごめんね」
「いや、むしろ、俺は」
「うん?」
保育園に通っていた時は私の方が背が高かったのに。すっかり抜かされたのはいつだっただろうか。52を見上げると、顔を赤くして目を逸らした。
「な、なんでもない」
目を逸らしても数秒後には直ぐに私の足元だとかを気にしているし、しっかり車道側を歩いている。私相手にそこまでする必要なんてないのに。
そんなことを考えて52を盗み見ると、制服の肩にぽたりと傘から雫が垂れるのを見てしまった。いや、もうだいぶぐしゃぐしゃなような…。ワイシャツが肩に張り付いてインナーの色がしっかり透けている。
「52、肩濡れてる。傘もっとそっちに傾けてよ。私は大丈夫だから」
「濡れてない。平気だ」
「いや、嘘じゃん、べったべたじゃない?」
「濡れてなんかない」
52のこれは誤魔化す気があるのかないのか。頑なに大丈夫。濡れてない。を繰り返すが、三月とはいえ雨が降ればしっかり寒い。ハンカチをポケットから引っ張り出して肩を拭こうと手を伸ばす。
「濡れてるように見えるけどね……、ハンカチ使う?」
「つか、い、いや、濡れてないって言ってるだろ」
私の手を払い除けるようにしたので、そこで諦めても良かったのだけれど、今日は傘を借りている。もう一度やや語気を強めて言ってみる。
「拭いてあげるから、ちょっと屈んで」
「うっ」
なるほど、ハンカチを貸す、よりは私が拭いてあげる、方が彼にとっては断りづらいことらしい。大人しく少し屈んだ52の肩にハンカチを乗せる。瞬く間に水を吸って、すぐ絞れるくらいになってしまった。思わずため息をつく。何でこんなになるまで放っておいたんだろう。
「……、めちゃくちゃ濡れてるよ」
「そう見えるだけだ」
意地っ張りなのか紳士なのか。あくまで私だけを雨から護って家まで送り届けるつもりらしい。ここまでされて、じゃあありがとうで返すほど、幼馴染甲斐のない女ではない。
52は、多分この手の話には乗ってくる。
「家寄って乾かして行く?」
「えっ」
案の定、私の方を見下ろして嬉しそうにぽかんとしている。乾燥機に放り込んで、服が乾くまで一時間くらいだろうか。
「お茶くらいなら出すよ」
52はこんな天気で、しかも肩は私のせいでびしょ濡れだと言うのに、目をきらきらとさせながら頷いた。
「行く」
最近、家族ぐるみの遊びでも、彼の家に集合することが多かったから、52を家に呼ぶのはひさしぶりだなあと(もう傘を自分の肩に傾けてもらうのは諦めて)ぼんやりと歩いた。
-----------
20200317:相合傘したかった。たぶん夕立の話もいつか書きます…。