vsカリム_過去編05
大分気を許されている、気がする。いまいちわかりにくいし、なまえさんからの言葉は少ないのだけれど、ただの後輩だった時に比べたら、各段に話をする量も増えた。し、立ち入ったことにも答えてくれるようになった。書類仕事が片付いている時にはお茶を淹れてくれることもあり、時々頭を撫でてくれる。距離は普通の恋人と大差ないのではないだろうか。
しかし、どうしてももう一歩進みたくて、意を決してなまえさんに向き直る。
「次の休みに、どこか行きませんか。二人で」
二人で、を強調するように言うと、なまえさんは「ああ」とカップに口をつけてひと呼吸置いた後に、さらりと。
「いいよ。行こうか」
とまたお茶を啜っていた。「どこに行く?」と軽く聞かれてこちらが慌ててしまう。
「えっ、あ、あー、そう、ですね。なまえさんは行きたいところありますか?」
「いや、特にないかな……、新しいお茶が欲しいくらい」
「じゃあ、その、俺が、考えて計画しても……?」
「任せた」
こく、と力強く頷くなまえさんは、すっかりこの関係のこの距離感に慣れているようでリラックスしてぐっと背中を伸ばしている。続くということは嫌ではないのだ。少なくとも、俺が毎日告白をしていた日々に比べたら、今は楽だと。その程度の話ではあるのだろうが。
「楽しみにしてる」
「っ、う、はい」
また、そんなことをそんなに簡単に言ってしまって俺の事を離さないのだ、この人は。ゆるりと弧を描く唇に釘付けになりながら、次の休みまで、落ち着かない日々を過ごした。
■
どこまで格好がつかなければ気が済むのか。俺は俺を覗き込むなまえさんからの視線に耐えられなくて目を瞑った。体が熱くて、喉が痛む。ついでに鼻水まで出るものだから、もう何がなにやらわからない。
「……」
「……」
「……」
「……、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです」
楽しみにしすぎて前日の夜熱を出した。馬鹿とは俺のような人間のことを言う。隠し通そうと思っていたが例のごとくなまえさんに「調子悪いでしょう」と看破され、なまえさんにもたれるように倒れてしまった。わざとではない。限界だった。
「なにかいる? 薬? 医者?」
「いえ、大丈夫。大丈夫なんですが。その」
精神的に、と言うと、なまえさんは「……なんかこう、キャンセルの連絡とかした方がいいなら代わりにするけど」と真面目な顔で返してきた。そういうのはもう終わっている。あ、待て。そうか。やらなければなまえさんが俺の苗字を名乗るのを聞けたのか? いや、電話はこの部屋にはないし、やってもらったとしても俺が聞くことは出来ない、か。「また今度行こう」なまえさんは俺の額に乗っかって乗っている氷の位置を直すと、に、と格好良く笑う。
クソ。今日一日この笑顔を独占するつもりだったのに。眩しくて目を閉じると、なまえさんはするりと俺の頭を撫でた。う、これはこれでいいなんて思ってはいけない。大人しく撫でられていると、なまえさんの手のひらが俺の顔に触れた。先程まで水仕事でもしてきたのだろうか。冷たくて、気持ちがいい。
「気持ちいい?」
「はい。あの、」
こうなればヤケだ。甘えられるだけ甘えてしまおう。「そっちの手も」と言うと「はいはい」と簡単に手を貸してくれた。俺だから甘やかしてくれているのだと信じたい。……、いや、このくらいのこと、この人は誰にでもするか……。俺の熱がじわじわとなまえさんの手のひらに移っていく。本当に気持ちがいい。
「元気なら何か食べる? おかゆあるよ」
「ありがとうございます。食います」
よし、と立ち上がってなまえさんは部屋を出ていった。そういえば、なまえさんが俺の部屋に居てくれるのははじめてかもしれない。いや、二人だけははじめてだが、そうでなければ一度ある。フォイェンとレッカも交えて鍋をした時、か。
■
ただ幸運なのは、なまえさんも休みだから、なまえさんが俺の看病をしてくれているという一点に尽きる。土鍋に作られたおかゆには鮭フレークが入っている。匂いも味もいまいちわからないが、見た目はとても美味そうだった。
「味わかる?」
「いえ、あんまり」
「それならよかった」
「?」
それならよかった? なんだ、適当に返事をしたのだろうか? そう思ってなまえさんを見つめるが、適当に返事をする時の顔とは違うような。
味が分からない方が都合がいい? 誰にとって? 俺か? それとも、なまえさん? 不味いかもしれないということか? なまえさんが味に文句を付けるなんて珍しい。いや、これはそうじゃなくて、いや、まさか、そんな、そんなことが……。
「も、も、もしかして、まさか、あれですか、これは、その」
ん? となまえさんは首を傾げる。おかゆが光って見えだした。
「なまえさんが、作ってくれたんですか」
かち、かち、と時計の音が響いている。なまえさんは「あー」と軽く頭をかいた後、やや照れくさそうに頷いた。
「まあ、そう」
「っ!!!!」
嘘でもいいから美味いって言えばよかった! 見た目を褒めるとかいろいろできただろうに、俺は一体何をしているんだ。元気だったら頭を抱えてのたうち回っているだろう。
口の中のお粥を噛み締める。
……よし、熱にうかされている、ということにして。
「あの、味、わかんないんで」
「ん、うん。そうだろうね」
「また、今度、すげー手が空いた時でいいんで」
「うん」
「作って、くれますか」
ああ、となまえさんはなんでもないみたいに頷いた。
「別にそのくらいいつでも作るけど」
そんなことは無い。普通に頼んだら絶対に「今は無理」とか「面倒だから嫌だ」とか「気が向いたら」などと断る。俺は知っている。実際後輩時代にそれとなく頼んでみたり、頼んでもらったりしたがこのおかゆが初めての手料理だ。鍋会の時ですら野菜を切っていただけだった。「今!」
「今作るっていいましたからねっげほ、ごっほ……!」
「あーあー……、大声出すから……」
なまえさんにとんとんと背中を叩かれてまた熱が上がる。そして顔も近い。そんなに近いと移ってしまいますよ、とは言えない。なんならもっと近くてもいい。人肌恋しいという体で頼み込んだら添い寝までつけてくれないだろうか。寝られる気はしないが。
「じゃあ、私は仕事に戻る」
「えっ、ああ、え、休みですよね?」
「午前休にしてもらった。今日はあと適当に私でもできる仕事片付けておくから、カリムは明日もゆっくり休めばいいよ」
「……すいません」
「いや、バーンズ大隊長もそれでいいって言ってたから気にしなくていい」
今日、は。なまえさんにとっては良いことが何も無い日になったのではないだろうか。休日は俺の世話と俺の仕事の肩代わりで潰れて、明日はきっと中隊長、俺の代理として動くことになるのだろう。
だと言うのに、あまり嫌そうではないから困ってしまう。面倒な仕事や無駄な付き合いが嫌いなこの人が、嫌な顔ひとつせず俺の世話を焼いている。……勘違い、してしまう。
「また終わったら来るよ」
「あ、あー、あの、」
「ん?」
「ちょっと、三秒でいいので、こっちに」
「どうした? なにか必要?」
ぼそっと、聞こえないと確信している音量で声を出す。聞こえないから自然、なまえさんはもっと俺の方に寄って、俺の顔に顔を近づけて。
「? なんて?」
ひょい、となまえさんが屈むタイミングに合わせてなまえさんに手を伸ばす。
ちゅ、と触れるだけのキスをして、すぐに離す。
「……」
「……」
「嫌、でしたか」
目を丸くするなまえさんにそう聞くが、そんなもの嫌に決まっている。風邪をひいている人間からのキスなど。道連れにするつもりかと怒られても仕方がない。
「……あー」
怒られるかもしれない、けど、怒られないかもしれないとも思っていた。なまえさんは、なんだかんだ言って俺たちにとても甘い。訓練の時以外はとても、とても。後輩にさえそうなのだから、恋人になった俺は、より多くのことを許されるのではないかと、期待している。
少しくらい怒ってくれても良かったのに、なまえさんは、風邪が移ったら、とか、そういう野暮なことは一切口に出さなかった。
「まあ、大丈夫」
穏やかな波ような無表情だ。照れているようにも困っているようにも、呆れているようにも見える。
「改めて、また、夜に来るから。いい子に安静にしているように」
「ガキとか子供じゃねェんですよ」
そうだね。となまえさんはやはり、色んな感情を内包した不思議な無表情で言う。「子供はこんなことしないね」ぱたり、と部屋の扉が閉まって一人になった。ぼす、とベッドに倒れ込んで、掛け布団を頭まで被る。
なまえさんと、キスが、できてしまった。
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20200224