猫について/リヒト


顔を上げると、リヒト先生は頭に猫耳を付けていた。
突っ込むべきか何も言わないでおくべきか迷って手が止まった。真面目な顔で私の手元を見ていた先生が顔を上げる。「ん?」いや、それはこっちのセリフだ。

「ええと。何してるんですか? それ……」
「なまえちゃんもつける? 君のもあるよ」
「……え、ひょっとして猫の日だからとかですか?」
「そうだよ。季節感を大切にしたいじゃない?」
「季節感? 猫の日にそんなもの存在しますかね、耳はつけません」
「まあまあ。今日は一日東京皇国がテーマパークだと思って」
「つけません。つけてどうするんですか」
「僕が責任もって可愛がるよ」
「……」

飲み物を差し出されたから、これはまあ休憩中の雑談にあたるのだろう。冗談とも本気ともとれない人懐っこい(ような気がする)笑顔を深めている。猫耳をつけるのはまだ後でいい。

「先生は猫を飼った事ありますか?」
「あ、猫耳の話はもう終わりなの……? 猫は飼ったことないよ。どうして?」

私は椅子の背もたれにぎっと沈みながら差し出されたお茶を口に含む。道端で見かけたり、友達が写真を見せてくれたりする猫はどれもかわいいけれど、それだけでないだろうと想像する。

「いや、可愛いって聞くけど実際飼ってみるとどんなもんかなって」
「うーん。いざ飼うとなると大変なんじゃないかな。餌代とかトイレとか、病気をしたら病院だし、まずは増えないように手術しなきゃだろうし」
「詳しいですね。猫でも、病院はやっぱり、嫌なんでしょうか」
「嫌がる猫は多いって聞いた事あるよ」

リヒト先生はなんでもよく知っている。ちょっとくらいなら獣医のようなことも出来てしまいそうだ。嫌がる、ということは暴れたり鳴いたりするのだろうか。人間の子供でも同じなのだろうけれど、私には、猫の方が扱いにくいような気がしてならなかった。時間をとって理由について考える。

「人間だって嫌なんだから、事情を説明できない動物にしてみれば、たまったものじゃないでしょうね」
「なまえちゃんは病院嫌い?」
「好きな人います?」
「えっ、なに? 僕の好きな人の話?」
「聞いてな……、え、先生好きな人がいるんですか?」

言葉が通じないことと、幸せかどうかを確認する術がないことが、乗り越えられるか分からない。命をひとつ預かるのは、大変な事だ。と、真面目な話をしていたのに、私はびっくりして目を見開く。この人が好きになるなんてどんな人だろう……、

「やだなあ、僕の好きな人はなまえちゃんだよ」
「……」

はぐらかされた。まあそうか。五つ下の子供に恋の話なんてしてくれるはずがない。「そうですか……」無理に聞こうとはせず諦めると「あれ? 何でそんなに残念そうなの?」と言われた。話を戻してしまおう。

「病院ってあまり行ったことないから勝手に怖いイメージです。両親も兄も、病院のお世話にはなってませんしね」
「行かないで済むなら行かない方がいいよ」

切り替えたらリヒト先生も切り替えて、脈絡のない私の雑談に付き合っている。隣で聞いてくれている、その温かさが気持ちよくて、ぽつぽつと続ける。意味は特にない。ただ聞いて貰えて嬉しい。

「猫を、飼ったら」
「ん?」
「自分より先に居なくなってしまうって分かってるから、辛いですね。毎日は考えなくても、時々そんなふうに考えて、泣いちゃうかも知れません」
「そうだねえ」

リヒト先生は自分につけている猫耳をはずして、目を細めて、私を見ていた。この人はどうだろうか。いつまでこうして家庭教師をしていてくれるのだろう。生きていてくれたら良いけれど、こんな世界だ。いつ、どちが焔ビトになってもおかしくはない。私より先にどこかに行ってしまう可能性はある。けど、もしかしたら、今度こそ。
今度こそ、私の方が先に、その場所へ行けるのだろうか。
そうだったら、きっと私は幸せだ。

「……例えば猫がおじいちゃんおばあちゃんになった時、無理やりにでも入院させたり、病院に行ったりするのは、猫にとって幸せなんですかね。……、苦しんでる時になにもできないのは、辛いですね……」
「うん」

窓の外に視線をやってぼうっと眺める。やや重い空気になってしまった。間違いなく私のせいだ。このまま勉強に戻ることも出来たけれど、私は、リヒト先生が持っている猫耳を引ったくって自分の頭につけた。
招き猫の置物のように片手を上げてくたりと曲げる。

「にゃー」
「……」

ありがとうございました、と猫耳を返す。リヒト先生は興奮した様子でがたりと立ち上がった。鞄をあさりながら叫ぶように私に言う。

「待って待って待って今のもう一回! もう一回やって! 写真撮るから! はい! テイクツー! いつでもいいよ」
「もうやりません」
「なまえちゃんはい、ポーズ!」
「やりません」

写真なんか撮られてたまるか。と言うか、そんな写真持っていて大丈夫なのかこの人は。もし見つかったら、高校生に猫耳をつけてポーズを取らせているやべー奴のレッテルを貼られてしまうのではないだろうか。ああ、でも。

「でも、リヒト先生が真面目に好きな人について教えてくれるなら考えます」
「君だって言ってるのに……!?」

リヒト先生は、何度聞いてもそう言ってはぐらかし続けていた。


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20200222:ねこのひだ。

 

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