20200214/紺炉


「駄目だ、緊張してきた」
「らしくないこと言ってるなあ」

茶化す桜備にうるさいと言って外に出た。手には赤い紙袋と、中には手作りのチョコレートがぎっしり入っている。いくらバレンタインとは言え、家族のようなあの部隊のことだ。一人だけに菓子を渡すわけにもいかない。
なまえは第七の消防詰所に着くまでに深呼吸を何度も繰り返して、そして最後の一回、吸った息は声になる。

「ごめんください。第八のなまえです」
「おう。紺炉の。ちょっと待ってな」

名前を憶えていないわけではないのだろうが、そう惜しげもなく『紺炉の』などと呼ばれてしまうと照れてしまう。なまえは「はい」と返事をしながら照れ隠しにへらりと笑った。

「なまえ……?」
「こんにちは。紺炉さん」

事前に連絡はしなかったから、驚いたように名前を呼ばれる。

「どうしたんだい今日は。いや、まあ用件はなんでもいいが。まずは茶でも飲んで行ってくれや」
「ああ、いえ、今日はお菓子を渡しに来ただけなんです。これどうぞ」
「ん、いつも悪いな」
「今日のはあれです、チョコレート」
「ちょこれえと」
「……」
「……? それがどうかしたのか?」

なまえはなるほど。と頭の中で手を打った。この反応は、この人はバレンタインというイベントを知らない。

「あは」
「なんで笑ってんだ?」

いえなんでも、と言いながら、安堵している自分に気づく。今紺炉には、なまえはただ菓子を持ってきただけに見えている。作りすぎたとか言えば完璧かもしれない。けど、後から双子からか、あるいは紅丸から、そうでなくとも町の誰かから聞けばわかってしまう。
どうするか、少し迷うが、なまえは言わないことに決める。

「今日は本当に、そのお菓子を持ってきただけなので、お気使いなく」
「おいおい、なんだそりゃ。別に気なんか使ってねェよ。俺はお前さんと茶が飲みてェから誘ってんだ」
「んぐ、そんなことを言われてしまうと後ろ髪引かれてしまうんですが本当に今日は」
「時間があるから来たんじゃねェのか?」
「いえ。今日は、この為だけに来たんです」
「今日じゃなきゃ駄目だったって訳かい」
「そうなんです。今日、チョコレートじゃなきゃ駄目だったんです。それは私の日頃の気持ちです。とは言えめちゃくちゃ詰めてあるので、皆で食べて下さい」

では、となまえは逃げるようにその場から離れた。また来ます、と手を振られたら、紺炉もそう強くは引き留められない。
なんだったんだ、と詰所に戻る。
奥へ引っ込むと紅丸が「あ?」と怪訝そうに紺炉を見た。いや、その顔は恐らく自分もさっきしていた。

「今日はこのちょこれえとを渡しに来ただけだっつって帰っちまいました」
「チョコ」
「ええ」
「それでお前はそのまま帰したのか? 何もせず?」
「? なんかあんのか?」

紅丸は大袈裟に溜息を吐いて言う。



今日はバレンタインデーで、意中の相手に菓子、特にチョコレートを送る日として知られている。
なまえももちろんそのつもりで、ただ紺炉やその周りの人たちのことだけを考えてチョコレート菓子をいろいろ作って詰めて来たわけだ。なのだが、知らないのならば知らないで、それはそれでよい気がして立ち去った。
わざわざ好きです、ということもないし、わざわざいつもやっていることを特別にしなくてもよいような。
一人で勝手にやりきった気持ちになって浅草から一歩外へ出る。
と、突然体を抱きすくめられた。

「っ、あ、こ、紺炉さん!?」
「よう。さっきぶりだな」
「あ、は、はい。ええと、何か、忘れ物ですか?」
「そうだな」

体を離して正面を向くと、余程急いできてくれたのか、首筋から汗が落ちた。何か忘れただろうかとなまえは自分の体をちらりと確認するが、特に忘れたものはないように思う。何か落とすようなものを見に付けているわけでもなし……。

「悪かった」
「え、な、なにがです?」
「今日。ばれんたいんって日なんだろ。聞いたぜ。好きな奴に甘いもん贈るんだってな」
「あ、ああ、それははい。そうです」
「知ってりゃなにかしら用意したんだが、いや、これは言い訳だな」
「え、あの、ん?」
「なあ。本当に時間ねェのかい? 甘味買う時間ぐれえなら、」
「こ、紺炉さん? 紺炉さん」
「ん?」
「そ、そんなに気にしていただかなくても、もし何か貰えるんなら一か月後でいいですよ」

今日に今日じゃなくたって。なまえが言うと、紺炉はやや考えるような顔をして。

「……もしかして、俺ァなんか早とちりしてたか?」
「もしかしたら、そうかもしれません」
「その、一か月後ってのは?」
「今日がバレンタインデーで、それに対してホワイトデーってのがあるんです。一月後。バレンタインのお返しをする日、なんて言われてますね」
「そうなのか」

紺炉はほっと体の力を抜いて、笑っていた。(あ、かっこいい)なまえはついその笑顔に見惚れてしまって、紺炉の次の言葉に反応するのが大幅に遅れた。

「ならその日に、とりあえず俺でいいか?」
「あ、はい。お願いしま……、んっ!?」

なんだって? なんと言った? なまえがぱちぱちと瞬きを繰り返して狼狽えるが、一か月後、ホワイトデーのお返し情報はそれ以上解禁されないようだ。紺炉は流れるようになまえの頭に唇を寄せて、すぐに離す。

「よし。楽しみにしてろよ」
「え、あの、ええ……?」

先ほどまでのしおらしい表情はどこへやら、紺炉はにやりと笑いながら浅草へ帰って行った。「えええええ……」どういう意味でどういう準備が必要なのか。なまえはおおよそ相模屋紺炉の思惑通りに、紺炉のことばかり考えていた。


------------------
20200213:バレンタイン追い込み

 

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -