vsカリム編06
最近なまえは、やけにきっちりしている。
寝ぐせがついていることもないし、髪もしっかり乾かしている。ツナギのボタンも一番上までしているし、まさに非の打ちどころがないと言ってもいい。俺がなまえに告白してから一週間が経過した。張り手の跡は流石に消えたし、皆もいつも通りに仕事をしている。
「なまえ」
「報告書? あと三十分くらいであがるからちょっと待って」
「そうか」
なまえの世話を焼けないとなると、話すのはこんなことばかりだ。昼に何が食べたいか、だとか、もっと適当な雑談もできていたはずなのに、どうにも話しかけ辛い。シャワー室から出て来たなまえとすれ違っても「おやすみ」と言い合うだけで、なまえは足を止めることはない。怒っている、訳ではないようだ。
本当に、なかったことにされている、のかもしれない。
あの告白、と言うか、張り手を食らった次の日、リヒトとヴァルカンがこそこそと俺のところにやってきて、事情を説明してくれた。
「プロポーズ?」
「覚えてないっすか……?」
「学生の時にしたらしいぞ」
言われてみれば覚えている。学校からの帰りだったか、買い出しの途中だったか、学生服を着た俺となまえは連れ立って歩いていて、なまえが、まるで遊びに誘うみたいに言ったのだ。
「武久、私と結婚しない?」
年齢的には出来たはずだが、確か、その問に俺は。
「できるわけないだろう」
と。
……「そっか」と言ったなまえはそれきりその日は喋らなかった。次の日は学校に来なくて、一週間くらいずっと避けられ、一週間ぶりに話した彼女は俺のことを「火縄」と呼んだ。なんとなく気にかかっていたが、以降呼び方以外は全て戻ったので、忘れていた。
まさかあれが。
「そのまさかっすよ。一世一代のプロポーズだったみたいで」
「あのなまえがショックで泣いたし一週間落ち込んだそうだ」
それを聞いてもう一度思い出そうとする。細部は忘れてしまっている。のだが、俺は確かに、できないと、できるわけないだろうと言った。いや、それは、彼女の冗談に対する返しのつもりだった。法律が許しても、そういうものは、簡単にしてしまうものじゃないし、簡単に約束するものでもない。そもそもその時には確か、お互い、軍人、消防官になることが決まっていた。……いや、だからこそ、だったのかもしれない。無事生き延びたら、いつか、と。
「……もっとわかりやすく言え、あの馬鹿」
不器用にも程がある。
もっと違う言い方なら俺だって。
「……」
どう、だった、だろうか。
当時の俺に、なまえの全てのかかった告白に、首を縦に振るだけの甲斐性があったかどうか。冗談だと思ったとしても断ってしまった俺に、そんなものが。
「ああ。結婚するか」
あの日、あの時、そう答えていたら。
なまえは今も俺の事を、武久と、そう呼んでくれていたのだろうか。
■
これは非常によろしくない。
火縄とはだいたいいつも通りにやっているが、時々第八に来るカリムがやばい。奴は毎回これでもかと言うくらい近距離で私の隣をキープして、なんやかんやと無理矢理話をして、果てはデートの誘いまでして(断っている)帰っていく。懐かしいなこの感じ、と思っている暇もなく、普段は大人しいくせに、火縄が一丁前に参戦するから困っている。
「おはようございます。なまえさん」
「ああ、おはよう。早いね」
「ええ。なまえさんと話しがしたくて」
「ああ、そう、えーっと、まあ、じゃあ、なんだ、お茶でも淹れよう、」
「カリム中隊長。早く来たなら確認したいことがあるんだが」
「会議の後じゃあいけませんか? 俺も元第一のなまえさんにいろいろアドバイスや助言貰いたいんですよ。誰かさんが引き抜くまではバーンズ大隊長の懐刀なんて呼ばれてたんですから」
「それこそ会議の後でいいだろう」
「俺の優先順位は無視ですか?」
「それになまえには、別の仕事を頼みたい」
「ふうん、そうですかあ……」
「……」
最悪だ。私はため息をついて離れて行く二人の背中を見送った。当然、他の隊員も居づらそうにしている。事情が事情の為、なんとかしろ、とは言われないが、それがまた辛い。いっそちゃんと怒って欲しい。
あーあ。これは。
私は報告書を持って桜備大隊長の部屋に行く。
「消防隊、辞めたほうがいいですかね」
間違いなく迷惑がかかっている。逃げてはいけないと思うのだが、他に迷惑がかかるくらいならいなくなった方がいい。毎日いなくても、必要な時にだけ呼んでもらう方法もある。
逃げてる? そうかもしれない。
しかし、あれは。「よし!」桜備大隊長は立ち上がってにか、と笑った。
「俺とラーメンでも食いに行くか!」
安心するいい笑顔だ。私はほっとして今はその言葉に甘えようと肩から力を抜いた。
「奢りですか」
「もちろん! トッピング全部乗せ頼んでもいいぞ!」
「それは」
ありがたい、なあ。
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20200208