vsカリム編03
なまえに変わった様子はない。仕事の具合もいつも通りで、体調が悪そうということもない。適当に入ったカフェでも、すぐ横を走っていく子供に気安く微笑みかけたり、店員とにこやかに話しをしていたり。……。本当に。彼女の隣はストレスがない。いや、寝ぐせだとか、細かいところが気になることはあるが、それは俺の楽しみでもある。彼女のことを重く感じたことは一度もない。
「明日は私が食事当番か。どうしようかな。朝目玉焼き、昼ハヤシライス、夜二つ合体させて目玉焼き乗ったオムハヤシとかにするかな」
「いいんじゃないか」
「よしよし、材料あった?」
「ハヤシライスのルーだけないな。あと卵も買い足した方がいいだろう」
「出て来たついでだ、買って帰ろう」
「待て。折角二人いるんだ。他に足らないものも一式買うぞ」
「ああ。いいよ」
なまえがパスタとパフェを平らげるタイミングで切り出す。
ストレートティーを満足気に飲んでいるから、今なら大抵のことは面倒くさがらずに答えてくれるだろう。
「カリム中隊長と付き合うのか」
「んぐ、」
げほ、げほ、と数度むせて、胸の辺りをとんとんと叩いている。「あー」などと呼吸を整えながらこちらを見る。
「どうなんだ」
「付き合わんよ」
「付き合わないのか」
「そう」
「付き合っていたんだろう」
「だよ。でも、それは理由にならないでしょう」
「そうだが」
「ない」
なまえはもう一度紅茶を飲み下して「ない」と繰り返した。言い聞かせるような言い方だ。可能性はあるのかもしれない。良くも悪くも面倒くさがりな彼女のことだ、付き合った方が面倒ではない、と判断したら、将来的にはくっつくのかもしれない。……いや、昨日のなまえの言い方だと、それはもう起こったこと、なのかもしれない。
「ちゃんと考えているのか」
つい、責めるような言い方になってしまって、なまえは不愉快そうに眉を顰める。しかし、感情的になることはなく、ふう、と息を吐いて言った。
「第八に迷惑かけてたら教えて」
そうじゃなければ口出しするな、と、そういう意味の言葉だった。俺はどうにか「わかった」と言うが、パスタと甘いもので上げた気分は、一気に通常よりも下に下がってしまった。それでも、切り替えの早い彼女は、買い出しを始めるころにはいつもの調子に戻っていた。……俺はとてもじゃないが、そんな風にはなれない。
■
なまえがシャワーを浴びる時間はいつも大体決まっている。二人きりで話がしたい時はこの時間を狙うと良い。
「なまえ」
「うっわ、火縄」
声を掛けると嫌そうにするのは、髪の乾かし方が甘いからだろう。昨日に引き続き、今日も別に、髪を乾かしたいわけではない。乾かしたくないわけでもないが。
「昼間の話だが」
「昼? オムハヤシ?」
「違う」
「……」
まだなにかあるのか、と露骨に嫌そうな顔で俺からの言葉を待っている。わかっている。カリム中隊長とのことは、俺が口出しするべきではない。なまえは仕事に私情を持ち込むことはないだろう。できないことはできないと言う。自分がいることで雰囲気が悪くなるようなら近付かない。彼女はそういう女性だ。
「俺と、付き合ってくれないか」
「は?」
「好きだ」
なまえは頭からタオルを落として口を開けている。今日は、そのタオルではなく、なまえの頬に手を沿える。さらさらしていて、あたたかい。用事もないのに彼女の肌に触れるのははじめてかもしれない。こうしていると穏やかな気持ちになるし、いつもはきはきと動くその唇に触れて、みたくなる。
そうっと彼女に顔を寄せると、ぎり、と歯を食いしばる音がした。
音がしたのと、俺が左方向に吹っ飛ばされるのは同時だった。
ぱあん、と、なまえの右手が俺の頬を張った。
「今の言葉は、これで聞かなかったことにする」
事態がよく呑み込めない。聞かなかったことにする? それは、今の俺の告白はまとめてなかったことにする、ということだろうか。何がそんなに気に障ったのか、少しでも探るために目を合わせる。
「次言ったら、グーで殴る」
何故、お前が泣きそうな顔をしているんだ。
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20200207