折れて曲がって飛び越えて09
先日、帰って行ったなまえの笑顔が何度も、何度も再生される。「またね」……、「またね」。あまり考えていると紺炉だけでなく他の若衆にも「若、御機嫌ですね」なんて言われてしまうからいけない。
次は、いつ来るだろうか。いいや、俺が行ってみたらあいつはどうするのだろうか。案外さらっと「折角来たのだから」と普段している遊びを俺としようと言う気になったりするのかもしれない。
「伝えなくてよかったのか?」
「あ?」
「いや、二つ返事で恋人同士とはならねェだろうが、なまえのことだ、適当にはしねェよ」
「……」
適当にはしない。それはその通りだろう。いや、なまえが人間を雑に扱うところなど見たことがない。だからこそ、俺の言葉が本気ではないと知りながらも傷ついたり、耐えてしまったりした。
縁側で無防備に眠るなまえを思い出す。
来た時はやや怠そうだったが、帰る時には、少しは疲れが取れたようだった。ぐっすり眠れた。とも言っていた。考えてみれば当然だ。ここは、奴にとっても実家のような場所なのだから。そう思うと、きっとこれからは、眠い、とか、そんな理由でここに帰って来ることもあるのではないだろうか。
「あいつがいざって時帰って来られるのはここだ。それでいい」
この町が、そう言う場所であれたなら、今のところは。
「大変だ! なまえちゃんが灰島の黒野って奴と付き合ってるらしい!」
全然良くねェ。詳しく聞かせろどういうことだ。
■
「なまえ。そろそろ俺と結婚する気になったか?」「なりません。あとそれセクハラです」「趣味でな」「セクハラが趣味な人とどうして結婚したいと思うんです?」「セクシャルなやつはお前にだけだぞ」「いらねえんですよそんな限定品」「それはそれとしてこのあと飯でもどうだ。奢るぞ」「頂きます。パスタがいいです。カルボナーラが食べたいです」「お前のそういうところが俺は最強にかわいいと思うのだがどうだろうか」「さあさあさっさと行ってさっさと帰りましょう」と、確かに、腕を掴んで町を歩いたかもしれない。
第八に来た紺さんに、有無を言わさず抱え上げられ「ちょっと『返して』くれ」と桜備大隊長ににこりと言った。桜備大隊長もにこりと笑って「いいですよ。ちょっとの間だったら『貸し』ましょう」と。いらないところで火花を飛さないで欲しい。
それはそれとして、私は第七の詰所で正座をさせられ、紅の目の前に座らせられている。変な顔だ。怒っているような気もするし、今にも泣きだしそうでもある気がする。
「単刀直入に聞くが」
紺さんの方を見る。
なんだ?
私はなにをやらかした?
「灰島の黒野ってやつと付き合ってるって噂は、本当かい?」
は? 黒野? 噂?
真剣な顔で何を聞くかと思ったらそんなことか、私は肩から力を抜く。紺炉さんにまで怒られたら私は本格的に浅草には帰って来られくなると怯えていて損をした。
「いや、黒野先輩とは別に、」
「付き合ってんのか」
「……いや、よく告白されるし重めの手紙貰うけど、付き合ってはない」
「外で飯食ってんの見た奴がいたそうだが」
「ああ、社長に呼び出されて。会社戻る前にランチしたかも」
「それだけか?」
「まあ」
紅と紺さんに交互に質問されて圧が強いが、その噂は真実ではない。二人で歩いていることは仕事上よくあるが、それだけだ。
「今のところは」
話の流れ、自分の置かれている状況はよく理解できたのでそんなことを言ってみる。ちょっと確認したいことは、私の方にも実はある。紺さんもだが、その言葉に紅丸の方が過剰に反応してぐ、と眉間の皺を増やして私に詰め寄る。
「今のところってどういう意味だ」
「いや、そのままの……」
「そいつと可能性があるってのか」
なにかあっては、まずいみたいな言い方だ。
「私はないつもりだけど、社長とか黒野先輩はそういう流れに持って行きたいみたいだから、わからないって話」
「ふざけんな」
ふざけてはいない。黒野先輩はどうしようもない変態であり、良いところはなかなかないが、私のことは本当に気に入っているらしい。私に害を成すことはないし、うん、私に害を成すことはない。あ、そうだそうだ、ああ見えて料理もできる。これはいいところだ。
私はちらりと紺さんを見る。
二人にしてくれませんか。
そう目配せすると、紺さんは剣呑な雰囲気を一瞬で取り去り、ぐ、と親指を立てた後そうっと部屋を出て行った。……いや、これは、私、というより、紅に気を使ったのだけれど。
「黒野先輩のことは、最近だと断り続けるのに若干疲れて、いっそ付き合うかなってちょっと思ってたけど、今は、あれ」
「……あれってなんだ。お前まさか、他にいんのか」
「いるっていうか。一応確認」
他に好きな人が、か。
いや、好きかどうかは、どうだろうか。
わからない。けど、看過できない気持ちはある。
好き、という言葉はやや当てはまらない。ただ、気になる、という感じだ。
「この前、キスしてたけど、あれはどういう気持ちからなの?」
君だよ、新門紅丸。
■
きす。
言われて一秒固まって、そのあとぐあっと体が熱くなった。こいつ起きてやがったのか!? いや、こいつにだって相当の心得がある。あれだけ他人が近付けば気が付いて意識が戻って当然だ。
俺が迂闊だったとしか言いようがない。
バレたら怒るだろうかとも思ったが、なまえはけろりとしている。
「嫌われてはいないと思ってて、話しにくいのはいろいろやりすぎたからだと勝手に決めてかかってたから、びっくりした」
全く吃驚しているようには見えない。
クソ。なんだってこいつはいつもいつもこう余裕なんだ。
こういうところが昔から気に入らない。俺ばかり気にして、俺ばかりがこいつを好きで、こいつはと言えは感情が外に外に向いていて俺のことは簡単に置いて行ってしまう。気付くと終わったことを話してくれる、今となっては、帰ってくるならそれでいいと思えるが、当時は手を引いて欲しくて怒っていた。
「してみただけ、とかだったら、なかったことに、」
そんなわけあるか。
言うより先に手が出ていた。
胸倉を掴んで唇に噛みつく。
「――なかったことに、しないの」
なんだってこんなに余裕なんだ。
結局、全部予想の範囲内なのだろうか。
「なかったことになんか、するわけねェだろ」
なまえは胸倉を掴まれたままで、ふ、と笑った。ああだから。そんな顔をされると、しばらく正常に頭が回らねェ。
「寝込みを襲ったくせに」
……。
-----------------
20200205:次でおわり。