折れて曲がって飛び越えて08


約束の一日休みの日、リヒトくんと二、三言葉を交わした後、浅草に帰って来た。出かけた、という形になるのに、ここに来るとやはり、帰って来た。という気持ちになる。二年空けていたとは言えここ最近はちょくちょく顔を見せている。町で引き留められることも少なくなった。第七の詰所にひょこりと顔を出すと、入るなり紅がじっと座って待っていた。「どうも」少し前、阿呆みたいな理由で詰所に連れて来られた時と同じように片手をあげると紅は「……」五秒後ぐらいに「よく来たな」と言った。たったそれだけ言うのに時間を掛けるな。
そう思うのだが、そこからが続かない。待てど暮らせど上がったらどうかとか、そういう話もないものだから、溜息が出た。

「私が使ってた部屋ってまだある?」
「……!? 帰ってくんのか」
「違う。荷物置いて、掃除でもしようかと」
「あ? なんでそんな」
「やることないし」
「あるだろ」
「なにが?」
「……」
「……」

なにがあるってんだか。

「思いついたら教えて」

紅の横を通りすぎて使い慣れた部屋に行く。紺さんあたりが掃除してくれていたのだろう。部屋は今からでも使えるくらいに綺麗だ。やや棚があらされている、これは、ヒカゲとヒナタの仕業だろうか。荷物を置いて、窓でも拭くかと雑巾を絞る。
紅は、私のすぐ後ろをのろのろと付いて来て、何か言いたげではあるけれど、何を言うでもない。以前だったらひっきりなしに(よくもまあそんなに思いつくなというくらい)文句や小言の嵐だったわけだが、大人しくしていてくれるなら気にはならない。世話になったのだから、存分に第七に孝行するのもいいだろう。
と、私は昼過ぎまで掃除をしていた。
今日は掃除で一日終わりそうだ、と庭の雑草を抜いていると、今までどこにいたのか知らないが姿を見せなかった紺さんが出て来て「頼むから縁側で茶でも飲んでゆっくりしてくれ」と涙ながらに言った。「頼む」と念を押された後、またどこかへ姿を消した。
……あの人も大変だな。



なまえは、自分で二人分の茶を淹れて、自分が持ってきた茶菓子を開けて盆に並べた。
必死に、何を話すべきかと考えているのだが、まったくもって上手く思い出せない。俺はいつも、なまえとどういう話をしていたんだったか。なまえへぶつけてきた悪態であればいくらか思い出したが、そんなものを思い出すと、余計に口が開けない。
なまえは茶を飲みながら大きく欠伸をしていた。
無防備な横顔を見詰めている。
眠そうだ。

「……」
「……」

また欠伸をしている。

「寝てねェのか」
「いや、あんまり長閑なもんだから」

さらりと普通に会話ができて、それだけで舞い上がっている自分が居る。こんなことでは紺炉の言う通り「なんの進展もない」。「明日、詰所には最低限の人間しかいねェから、遠慮なく行け!」「若、頑張ってくだせえ!」などと言われたが、なまえは来るなり「やることがない」などと言いながら掃除をはじめて、俺はしばらくよく働くなと感心して、感心している場合ではないと言葉を探していた。いや、やってほしいことはある。
ただ、それを言葉にするとなると難しい。一体どうして「こっちを見ろ」なんて言えるのだろう。結局紺炉がどこからともなく湧いて出て、なまえを強制的に休ませている。休ませる。休み。

「第八では、どうしてんだ?」
「ん? 休みの日? どうだろ。いろいろ。買い物行ったり映画行ったり」
「誰と」
「一人だったり第八の誰かだったり」
「……、お前、この前」
「ん?」
「リヒトと一緒に来たろ。あいつは」
「リヒトくん? 友達。灰島でも仲良くしてるっていうか、灰島での唯一の癒しっていうか……、私的には一番仲がいい友達かなあ……。すごいよリヒトくんは。伊達に天才だなんて呼ばれてない。そもそも学校飛び級ってどうやってするんだろう……」
「いちばん……?」

一番ってどういう意味だ。と言うか。リヒトの話になった途端によく喋るのも気に入らない。一番、一番は、一人しかいないはずだ。そう簡単に付けられるような言葉ではない。なまえの、一番の友人。それは、なまえに一番近しいということではないのか。

「チッ……」
「何で怒ってんの……」

いろいろ飲み込んだが舌打ちだけは消せなかった。なまえはやりずらそうにやや俺から距離を取る。俺となまえの間に置かれた盆と湯呑、それから茶菓子が邪魔だ。

「……」
「……」

そのまま、第八の他の人間のことも一人ずつ聞いて行けば、しばらくは間が持っただろうとは思うのだが、一番最初に一番聞きたくないことを聞いてしまったから会話はそこで途切れてしまった。
なんでもいいから、声が聴きたい。そんな歯の浮くようなことを言えたら、俺達はこんな風にはなっていない。なまえは退屈そうに茶を啜って買ってきたチーズ饅頭を食っている。
菓子も茶も無くなると、なまえは縁側にそのままごろりと転がった。「眠い」おいまさか。

「話がしたくなったら起こして」

目を閉じて、五秒後には寝息が聞こえて来た。
目が閉じられて、意識がないのをいいことに、俺はじっとなまえを見下ろす。寝てないわけではない、と言ったが、目の下にうっすら隈ができている。疲れていないわけではないのだ。だと言うのに、やることがないからと掃除をはじめて、いらない気を使わせた。
そよそよと通り過ぎていく風になまえの髪が煽られて顔にかかる。
俺は音もなく盆を後ろに下げて、そうっと。
恐る恐るなまえの顔に手を伸ばした。柔らかい髪を耳にかける。ふっくらとした頬と、細くあいた口に目を奪われて、そのままぐっと顔を近付ける。どくどくと心臓が煩い。こんなに近かったことは昔だってない。
そもそも、この気持ちを自覚すると同時に話せなくなってしまったのだから、当然だ、そのくせ気は引きたくて下らない事ばかり言っていた。傷付け続けて、俺が浅草から追い出したようなものだ。

「なまえ」

呼んで、唇を合わせる。
好きだ。



「ん、んんー……っ」

背中を伸ばして腕を回す。
太陽が赤い。
……何時間寝たんだ?

「……うーーーん、めっちゃくちゃよく寝た……」
「ようやく起きたか」

紅は私が眠った時から変わらず、いや、ちょっと近いか? 隣に座っていた。もう一度体をのばすとばきばきと音がする。

「もう夕方か。じゃあ、私帰るね」
「あ? 泊まってきゃいいだろ」
「明日も仕事だし、着替えも持ってきてないし帰るよ」

起ちあがると、紅も後ろを付いて来た。荷物を持って詰所を出ると、前回よりはスムーズに紅丸は言う。

「……また来いよ」
「そうだね。めちゃくちゃよく寝れたから寝不足の時にでも」

ひら、と手を振ると、紅も片手をあげていた。思わず、ふっと笑ってしまう。
友達みたいだ。


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20200205:和解度七割くらい


 

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